ローマー (競走馬)

競走馬

ローマーRoamer1911年 - 1920年)は、アメリカ合衆国サラブレッド競走馬。1910年代のアメリカ競馬で活躍し、1914年には年度代表馬にも選ばれた。1981年アメリカ競馬殿堂入りを果たした。

ローマー
欧字表記 Roamer
品種 サラブレッド
性別 せん
毛色 鹿毛
生誕 1911年
死没 1920年1月1日
Knight Errant
Rose Tree
母の父 Bona Vista
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 Clay Brothers
馬主 Clay Brothers
→Andrew Miller
調教師 A. J. Goldsborough
競走成績
生涯成績 98戦39勝
獲得賞金 98,828ドル
テンプレートを表示

経歴 編集

出生 編集

クレイ兄弟所有のラニーメードファームで1911年に生まれたサラブレッドである。その交配は人為的なものではなく、父馬ナイトエランが牧場の仕切り柵を飛び越えて、盲目の母馬ローズツリーIIに跨り、その結果生まれたという逸話がある。名前のローマー(放浪者の意)は、この逸話から名付けられている。結果生まれたローマーであったが、生育の状況は悪く、デビュー前に去勢手術を施されている。

競走馬時代 編集

2歳のときに、クレイ兄弟所有のもとでデビューした。一度ローマーの評価額を調べる意味でクレーミング競走で使われるが、このとき1000ドルのクレーミング価格で出走したローマーはほかの馬主に買い取られそうになり、クレイ兄弟が2005ドルを出して何とか手元に戻したという一幕があった。その後ローマーはニューヨーク会計士であったアンドリュー・ミラーに2500ドルで購入され、同氏の預託するジャック・ゴールズバラ調教師のもとで後の競走生活を送ることになった。

2歳シーズンはサラトガスペシャルステークスなど4勝を挙げている。その翌年1914年、ローマーは顕著な活躍を見せ、クラシック競走の勝鞍こそないが、同世代を相手にした競走ではブルックリンダービートラヴァーズステークスではそれぞれ2着に8馬身・10馬身という大差での勝ちを挙げている。

さらに古馬混合戦のカーターハンデキャップまで様々な競走で勝ち星を挙げ、この年だけで16戦12勝の戦績を残した。レコード記録も作っており、ワシントンハンデキャップでは、133ポンド(約60.3キログラム)を積まれながらも当時のダート9ハロン(約1811メートル)のアメリカレコード記録を、カーターハンデキャップではベルモントパーク競馬場のダート7ハロン(約1408メートル)のトラックレコードを叩きだしている。これらの活躍が評価されて、ローマーは同年の賞金王に輝き、年度代表馬にも選出された。

翌年以降も競走を続け、4歳と5歳のときの戦績は最優秀古牡馬に選出されている[1]。一般的なせん馬と同様に長期間の競走生活を送り、様々な距離や馬場条件の競走で使われ、またオールドローズバドリグレットザフィンウマルハイヤーム、ウォークラウドといった、数世代のクラシックホース・トップクラスの実力馬らとの対戦を繰り返していった。7歳時には3度目のサラトガハンデキャップ優勝を収め、8歳時にもオールドローズバドを破ってのステークス競走勝ちを収めている。

また、7歳時の1918年8月にはサラトガ競馬場のダート1マイル戦(約1609メートル)に出走し、1890年にサルバトールによって記録されたアメリカレコードを0.45秒縮めるアメリカ新記録を樹立している。このレコードは、後の1968年にドクターフェイガーが更新するまで長年保持され続けていた。

8歳時は脚のトラブルもあり6戦1勝にとどまる。牧場で休養して復帰を目指していた矢先の12月31日に、馬主であるミラーが心臓発作で急死した。その数時間後にローマーは牧場のパドックで凍った路面に脚を滑らせて転倒、骨折により予後不良と診断され、その場で安楽死の処置がとられた。

後の1981年、アメリカ競馬名誉の殿堂博物館はローマーの競走成績を評価し、同馬の殿堂入りを発表した。

評価 編集

主な勝鞍 編集

※当時はグレード制未導入

1913年(2歳) 17戦4勝
サラトガスペシャルステークス
1914年(3歳) 16戦12勝
ブルックリンダービー、カーターハンデキャップ、ヒューロンハンデキャップ、ミッドサマーステークス、ステートフェアステークス、トラヴァーズステークス、ワシントンハンデキャップ
1915年(4歳) 13戦8勝
ハヴァードグラスハンデキャップ、マーチャンツ&シチズンズハンデキャップ、クィーンズカウンティハンデキャップ、サラトガカップ、サラトガハンデキャップ
2着 - ブルックリンハンデキャップ
1916年(5歳) 13戦1勝
ユンカースハンデキャップ
2着 - サラトガカップ
1917年(6歳) 17戦7勝
アケダクトハンデキャップ、サラトガハンデキャップ(2回目)、エクセルシオールハンデキャップ
2着 - クラークハンデキャップ、エッジメアハンデキャップ
1918年(7歳) 16戦6勝
ピアリポントハンデキャップ、クィーンズカウンティハンデキャップ(2回目)、サラトガハンデキャップ(3回目)、エンパイアシティハンデキャップ
2着 - カーターハンデキャップ、ブルックリンハンデキャップ、サラトガカップ、エクセルシオールハンデキャップ
1919年(8歳) 6戦1勝
ドミノカップ

年度代表馬 編集

  • 1914年 - アメリカ年度代表馬
  • 1915年 - アメリカ最優秀古牡馬
  • 1916年 - アメリカ最優秀古牡馬

表彰 編集

血統表 編集

ローマー血統タッチストン系 / King Tom 5x5=6.25%、 Stockwell 5x5=6.25%) (血統表の出典)

Knight Errant
1901 青鹿毛 アメリカ
父の父
Trenton
1881 青鹿毛 ニュージーランド
Musket Toxophilite
West Australian Mare
Frailty Goldsbrough
Flora Mcivor
父の母
St. Mildred
1890 イギリス
St. Simon Galopin
St. Angela
Lady Fitz James Scottish Chief
Hawthorn Bloom

Rose Tree II
1896 鹿毛 イギリス
Bona Vista
1889 栗毛 イギリス
Bend Or Doncaster
Rouge Rose
Vista Macaroni
Verdure
母の母
Fanny Relph
1892 イギリス
Minting Lord Lyon
Mint Sauce
Elm Consternation
Elmina F-No.18-a


備考 編集

  1. ^ 当時に最優秀古牡馬の選定はなく、これらは後年の選定によるものである。

外部リンク 編集