ヴァイノ・アールトネン

ヴァイノ・ヴァルデマール・アールトネンフィンランド語: Wäinö Valdemar Aaltonen1894年3月8日 - 1966年5月30日)はフィンランドの美術家、彫刻家[1]チェンバーズ人名辞典英語版は彼を「フィンランドの優れた彫刻家の1人」であると形容した[2]

ヴァイノ・アールトネン
ヴァイノ・アールトネン
生誕 (1894-03-08) 1894年3月8日
ロシアの旗 フィンランド大公国カリナイネン英語版
死没 1966年5月30日(1966-05-30)(72歳)
フィンランドの旗 フィンランド共和国ヘルシンキ
職業 彫刻家
活動期間 1916年 - 1961年
代表作 パーヴォ・ヌルミ像(1925年)
アレクシス・キヴィ像(1939年)
フィンランド国会議事堂英語版の大会議室にある肖像
配偶者 アイノ・ピエティライネン(Aino Pietiläinen、1920年-1929年)
エルサ・ランタライネン英語版(1931年-1941年)
エルヴィ・ヘルテル(Elvi Hertell、1942年-1960年)
エリサベト・マーシク(Elisabeth Maasik、1961年-1966年)
子供 マッティ・アールトネンフィンランド語版
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生涯 編集

アールトネンはフィンランドのカリナイネン英語版村で仕立屋の息子として生まれた。子供の頃から聾者だったが、美術に興味を持ち、1910年から1915年までトゥルク絵画学校フィンランド語版で美術を学んだ[3]。トゥルク絵画学校では主に絵画を学び、彫刻家としての技芸は独学だった。大理石の加工技術は親戚のアーッレ・アールトネンフィンランド語版とともに、またヒルヴェンサロ島英語版で石工の学徒として働いたときに勉強した。彫刻家のフェリクス・ニールンドフィンランド語版がトゥルク絵画学校で1学期代理教師を務めたが、彼の作品は若いアールトネンに多くの霊感を与えた[4]

1923年、アールトネンはイタリアへ旅行した。彼はこの旅行でキュビズム未来派を知り、後の絵画作品でその傾向が表れた。

第一次世界大戦の戦火が広がる最中、アールトネンは戦争祈念碑を作った。彼はすぐに民族主義者にフィン人の模範として称賛され、1927年にはストックホルムで展覧会が開かれた。彼の彫刻は民族主義的であり、フィンランド国民の胸像や記念碑を作ることで知られる。一例としては1925年に作った、ヘルシンキ競技場で飾られたパーヴォ・ヌルミの像があり、別の例としては1928年に作ったジャン・シベリウスの胸像がある。この2作品はアールトネンの多くの作品と同じく銅像であったが、彼は石像やガラス像も作った。主に写実主義の影響がみられるが、キュビズムによる影響もある。アールトネンは20世紀初期における直彫りの先駆者であった。

フィンランドの新しい国会議事堂が建てられたとき、建築家のヨハン・シグフリド・シレン英語版はアールトネンから直接彫刻を購入することを望んだが、結局公開コンペが行われ、やはりアールトネンの「労働と未来」が勝利した。アールトネンが1932年に完成した、金箔を着せた石膏像は彼の死後に銅像に作り替えられた[5]

1966年、ヘルシンキで死去した。アールトネンの作品の多くはトゥルクにあるヴァイノ・アールトネン美術館英語版の常設展で展示されている[6]

家族 編集

アールトネンは4度結婚した。彼は1920年に歌手のアイノ・ピエティライネン(Aino Pietiläinen)と、1931年に女優のエルサ・ランタライネン英語版と、1942年に画商のエルヴィ・ヘルテル(Elvi Hertellと、1961年に医者のエリサベト・マーシクと結婚した。一人息子のマッティ・アールトネンフィンランド語版は建築家になり、トゥルクのヴァイノ・アールトネン美術館などを設計した[4]

栄典 編集

 
1982年に発行された、フィンランド議会75周年の記念切手。

アールトネンは1940年に教授の称号を与えられ[7]スオメン・アカテミア英語版の会員を1948年から[8]1964年まで務めた[9]。1941年にルンド大学に名誉教授に[7]、1950年にヘルシンキ大学の名誉教授に任ぜられ[8]、1958年にソビエト美術アカデミーの名誉会員になった[10]。1947年、スウェーデン王家からプリンス・エウシェン勲章英語版を授与された[11]

トゥルクのヒルヴェンサロ島英語版ではアールトネンに因んで名づけられた学校[12]と海浜公園がある[13]

作品 編集

 
アールトネンによるパーヴォ・ヌルミ競走像の隣に立つアールトネンとヌルミ、1930年代の写真。
 
フィンランド国立劇場英語版にあるアレクシス・キヴィ像、2005年撮影。

脚注 編集

  1. ^ AALTONEN, WÄINÖ Waldemar” (フィンランド語). Register of the Artists' Association of Finland. Artists’ Association of Finland. 2017年1月15日閲覧。
  2. ^ Chambers Biographical Dictionary英語版, ISBN 0-550-18022-2, p. 1.
  3. ^ Schildt, Göran, Modern Finnish Sculpture. Praeger Publishers, New York, 1970.
  4. ^ a b Ahtola-Moorhouse, Leena. “Aaltonen, Wäinö” (スウェーデン語). Biografiskt lexikon för Finland. Svenska litteratursällskapet i Finland. 2017年1月15日閲覧。
  5. ^ Parliament's Buildings and Art”. Parliament of Finland. p. 21. 2017年1月15日閲覧。
  6. ^ Wäinö Aaltonen”. Wäinö Aaltonen Museum of Art. 2017年1月15日閲覧。
  7. ^ a b Pfäffli (kirj. Pfäffli), 1994, p. 323.
  8. ^ a b Pfäffli (kirj. Pfäffli), 1994, p. 324.
  9. ^ Pfäffli (kirj. Pfäffli), 1994, p. 327.
  10. ^ Pfäffli (kirj. Pfäffli), 1994, p. 325.
  11. ^ Medaljförläningar – Prins Eugen-medaljen” (スウェーデン語). Sveriges Kungahus. 2017年2月20日閲覧。
  12. ^ Wäinö Aaltosen koulutie”. Turun kaupunki. 2017年2月17日閲覧。
  13. ^ Wäinö Aaltosen rantapuisto”. Turun kaupunki. 2017年2月17日閲覧。

参考文献 編集

  • Pfäffli, Heidi (toim.) (1994). Wäinö Aaltonen 1894–1966. Turku: Wäinö Aaltosen museo. ISBN 952-9565-09-7 

外部リンク 編集