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ヴァルデマール・クリンゲルヘーファー

アインザッツグルッペン裁判の際のヴァルデマール・クリンゲルヘーファー

ヴァルデマール・クリンゲルヘーファー(Waldemar Klingelhöfer、1900年4月4日1980年頃)は、ナチス・ドイツ親衛隊(SS)の将校。アインザッツグルッペンの指揮官の一人。最終階級は親衛隊少佐(Sturmbannführer)。

略歴編集

ロシア帝国モスクワに生まれる。一家でドイツへ帰国し、カッセルの学校で学んだ。第一次世界大戦後、オペラ歌手として働いていた。1920年代には義勇軍(フライコール)の「ロスバッハ」(de:Freikorps Roßbach)に所属している。1930年6月1日に国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)に入党。1933年2月に親衛隊(SS)に入隊した。1937年にカッセルのSDに配属される。1941年から1943年にかけてはアインザッツグルッペンBやその隷下の部隊で勤務した。アインザッツグルッペンB隷下のボルコマンド・モスクワの指揮官にもなっている。その後、ベルリンの国家保安本部IV局(対外SD局)で勤務した。

戦後、ニュルンベルク継続裁判のひとつアインザッツグルッペン裁判にかけられた。裁判によると彼はゲットーから逃れた30人のユダヤ人スモレンスク近くのタタルスクで殺害したという。1948年4月10日に絞首刑判決を受けた。しかし終身刑に減刑され、さらに1956年12月12日には恩赦を受けてランツベルク刑務所から出所した。その後はフィリンゲン=シュヴェニンゲンde:Villingen-Schwenningen)で暮らした。

外部リンク編集