ヴァンダレイ・シウバ
ヴァンダレイ・シウバ(Wanderlei Silva、1976年7月3日 - )は、ブラジルの男性総合格闘家。パラナ州クリチバ出身。アメリカ合衆国ネバダ州ラスベガス在住。ヴァンジ・ファイトチーム[2]/キングスMMA所属。元PRIDEミドル級王者。PRIDE GRANDPRIX 2003優勝。
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基本情報 | |
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本名 |
ヴァンデレー・セザール・ダ・スィウヴァ[注 1] (Wanderlei César da Silva) |
通称 |
ジ・アックス・マーダラー (The Axe Murderer) 戦慄の膝小僧 PRIDEミドル級絶対王者 |
国籍 |
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生年月日 | 1976年7月3日(46歳)[1] |
出身地 |
![]() パラナ州クリチバ[1] |
居住 |
![]() ネバダ州ラスベガス |
所属 |
シュートボクセ・アカデミー →エクストリーム・クートゥア ヴァンジ・ファイトチーム/キングスMMA |
身長 | 180cm |
体重 | 93kg |
リーチ | 188cm |
階級 | ライトヘビー級、ミドル級 |
バックボーン | ムエタイ、ブラジリアン柔術、柔道 |
テーマ曲 | Sandstorm (ダルード) |
総合格闘技戦績 | |
総試合数 | 51 |
勝ち | 35 |
KO勝ち | 25 |
一本勝ち | 3 |
判定勝ち | 7 |
敗け | 14 |
引き分け | 1 |
無効試合 | 1 |
概要と功績編集
1999年からPRIDEに参戦。PRIDE中期の象徴的選手であった桜庭和志を破り一躍スターダムにのし上がると、PRIDE.17におけるミドル級王者決定戦で再び桜庭を破り初代PRIDEミドル級王者となった。その後PRIDE GRANDPRIX 2003のトーナメントを勝ち抜き、グランプリでもミドル級王者となり、PRIDE参戦以来(無効試合、引き分けを挟んで)17戦無敗、タイトルマッチでも3回連続防衛に成功したことから「PRIDEミドル級絶対王者」と呼ばれていた。その後ヘビー級のマーク・ハント戦での敗戦によって連勝が途絶えると、PRIDE GRANDPRIX 2005の準決勝でヒカルド・アローナに敗北し、ミドル級での無敗記録も途絶えた。その後防衛戦でアローナを下しリベンジを果たすも、2007年の防衛戦でダン・ヘンダーソンに敗北、5年以上保持していたミドル級王者から陥落した。PRIDE消滅後は再びUFCを主戦場にして、UFCに在籍した6年間で970万ドル(約12億円)の報酬を稼いだ[3]。
来歴編集
1976年、ブラジルのパラナ州クリチバに生まれる。13歳のときシュートボクセ・アカデミーに入門し、ムエタイを学ぶ[4]。
1996年11月1日、ブラジルでプロ総合格闘技デビュー。欠場者の代理出場で、対戦相手ジウソン・フィリォとは20kgの差があったものの、逆転のKO勝利を収めた[4]。翌1997年9月にはInternational Vale Tudo Championshipの8人制トーナメントに出場、決勝のアルトゥール・マリアーノ戦では打撃で試合を優位に進めていたが自らの頭突きで目尻をカットし、ドクターストップでTKO負けとなり、準優勝に終わった[5]。
UFC編集
1998年10月16日、ブラジルで開催されたUFC BrazilでUFC初出場。ビクトー・ベウフォートと対戦し、スタンドパンチ連打で開始44秒でTKO負けを喫した[6]。
1999年4月27日、IVCライトヘビー級(-91kg)王座決定戦でユージーン・ジャクソンと対戦し、ギブアップ勝ちを収め王座獲得に成功した[7][8]。
1999年5月7日、UFC 20でトニー・ペテーラと対戦し、膝蹴りでKO勝ちを収めUFC初勝利を挙げた。
PRIDE編集
1999年9月12日、PRIDE.7で日本の総合格闘技大会PRIDEに初出場を果たし、カール・マレンコ相手に立ち技・寝技でともに優位に立って判定勝ちで白星デビューを飾る[9]。11月21日のPRIDE.8では、松井大二郎と対戦。松井のタックルを切り続け、スタンドの膝蹴りで松井の出血を誘い判定勝ちを収めた[10]。
2000年1月30日、「PRIDE GRANDPRIX 2000」の開幕戦にリザーバーとして出場、ボブ・シュライバーにスリーパーホールドで一本勝ち[11]。4月には日本で行われたUFC 25のUFC世界ミドル級(現ライトヘビー級)王座決定戦でティト・オーティズと対戦し、判定負けで王座獲得に失敗した[12]。その後シウバは8月12日に自身が所属するシュートボクセ主催のメッカVTでトッド・メディーナをKOすると、2週間後には日本でPRIDE.10(8月27日)に出場し、ガイ・メッツァーに勝利。10月31日に行われたPRIDE.11でのリングス無差別級王者ギルバート・アイブルとの一戦は開始直後にアイブルへのローキックが急所に命中したためノーコンテストとなった[13]。12月23日のPRIDE.12ではリングスKOKトーナメント優勝のダン・ヘンダーソンと対戦、ヘンダーソンの攻撃で左目をカットし視野を塞がれるものの、1ラウンド終盤から攻勢に転じ、2ラウンドにマウントポジションを奪うなど試合を優位に進め、判定勝ちを収めた[14]。試合後のインタビューではミドル級のトップコンテンダー桜庭和志との対戦をアピールした[15]。
2001年3月25日、PRIDE.13で「ミドル級頂上対決」[16]と評された桜庭和志との一戦が実現。この大会から4点ポジションからの膝蹴りが可能となり[16]、この新ルールはシウバに有利と言われていたが[16]、試合ではテイクダウンを狙った桜庭にこの攻撃でダメージを与え最後はサッカーボールキックでTKO勝ちを収めた[17]。この一戦で「戦慄の膝小僧」の異名を轟かせ、一気にスターダムにのし上がった。その後5月27日のPRIDE.14で大山峻護に勝利した[18]シウバは11月3日のPRIDE.17で桜庭との再戦が決定[19]、またこの一戦が初代PRIDEミドル級(-93kg)王座決定戦となることが発表された[20]。迎えたタイトルマッチでは1ラウンド途中、桜庭にフロントチョークに捕らえられた体勢から桜庭をボディスラムでマットに叩きつけ左肩を脱臼させ、1ラウンド終了後、ドクターストップによるTKO勝利となり、以後5年以上に渡ってタイトルを保持することになるPRIDEミドル級王座獲得に成功した[21]。年末12月23日のPRIDE.18にも出場しアレクサンダー大塚と対戦、膝蹴りで鼻骨骨折に追い込みドクターストップによる勝利を手にした[22]。
2002年の初戦は2月24日のPRIDE.19でのミドル級タイトルマッチで田村潔司と対戦、パウンドでダメージを与え最後は右ストレートでKO、初防衛に成功した[23]。4月28日、PRIDE.20で「PRIDE vs K-1」頂上決戦と評された[24]ミルコ・クロコップとの特別ルール(3分5R判定なし、グラウンドでの膠着はブレイクの後スタンドからのリスタート)での対戦は、時間切れで引き分けた[24]。8月28日にはDynamite!への出場が決定、一度はジェレル・ヴェネチアンとの対戦が決定したものの、大会プロデューサー石井和義の呼びかけに応じた極真空手王者の岩崎達也に変更となった[25]。試合では岩崎に比べ12kgの体重差があったものの、左ハイキックでダウンを奪いパウンドでTKO勝ち[26]。11月24日にはPRIDEの東京ドーム大会で金原弘光を相手にミドル級タイトルマッチを行い、シウバの踏みつけで金原陣営がタオルを投げ入れ、2度目の防衛に成功した[27]。
2003年、ミドル級トーナメント「PRIDE GRANDPRIX 2003」に出場[28]。8月10日に行われた1回戦では桜庭と3度目の対戦となったが[29]、桜庭のローキックにカウンターの右ストレートを合わせて失神させ、返り討ちにした[30]。10月には準決勝の組み合わせ抽選会で吉田秀彦の指名を受け対戦が決定[31]、迎えた11月9日の準決勝では吉田を判定で破り決勝進出を果たすと[32]、決勝ではクイントン・"ランペイジ"・ジャクソン相手に首相撲からの15発の膝蹴りでKO、ミドル級グランプリ優勝を果たした[32]。
2004年2月15日、PRIDEの新シリーズであるPRIDE武士道の第2回大会に出場、「日本VSシュート・ボクセ 3対3対抗戦」の大将戦として美濃輪育久と対戦し[33]、開始1分過ぎ、テイクダウンに失敗して引き込んだ美濃輪にパウンドを浴びせKO勝利を収めた[34]。4月には「PRIDE 武士道 -其の参-」でのパンクラス・ライトヘビー級王者近藤有己との対戦が決定するも[35]右膝靭帯損傷により欠場となり[36]、試合は8月に延期された[37]。8月15日の「PRIDE GRANDPRIX 2004 決勝戦」で行われたこのノンタイトル戦は「日本人最後の砦[38]」と称された近藤をパンチでダウンさせ、踏みつけによりレフェリーストップとなった[39]。試合後にはリングに登場したクイントン・ジャクソンの挑戦表明を受け、「ヤル!」と応じるパフォーマンスを見せた[38]。10月31日のPRIDE.28で実現したジャクソンとの再戦は首相撲からの膝蹴りで失神KOに追い込み、PRIDE史に残る激闘を展開し、ミドル級王座3度目の防衛に成功した[40]。大晦日の「PRIDE 男祭り 2004」では桜庭と4度目の対戦が決定していたが[41]、桜庭の怪我[42]で直前に対戦相手がヘビー級のマーク・ハントに変更となった[43]。試合は2ラウンドにダウンを奪われるもマウントポジションを取るなどポジショニングで優位に立ち挽回するが、判定は1-2でPRIDE初黒星を喫した[44]。
2005年は連覇を掛け16人で行われたミドル級グランプリに参戦。4月23日の1回戦では吉田秀彦との再戦となり、2-1の判定で勝利する[45]。6月26日の2回戦では半袖の柔道着を纏った中村和裕との対戦となり、開始5分過ぎ、中村が服を脱いだ瞬間にパンチでダウンを奪い、マウントパンチによる追撃でレフェリーストップ、ベスト4に進出した[46]。しかし8月28日の準決勝ではヒカルド・アローナにグラウンドで抑え込まれる展開が続き、判定で敗れGP連覇を逃す[47]。シウバが同階級の選手に負けたのはティト・オーティズ戦以来5年振りのことであった。大晦日には「PRIDE 男祭り 2005」でアローナとミドル級タイトルマッチで再戦。僅差の判定で下し4度目の防衛に成功すると共にリベンジを果たした[48]。
2006年、シウバは負傷欠場したエメリヤーエンコ・ヒョードルに代わって「PRIDE 無差別級グランプリ」の2回戦に出場し[49]、藤田和之と対戦した。右ストレートでダウンを奪いサッカーボールキックを放つとセコンドがタオルを投入、TKO勝利となり準決勝進出を果たした[50]。9月10日の「PRIDE 無差別級グランプリ 2006 決勝戦」で行われたトーナメント準決勝では、PRIDE.20以来の再戦となるミルコ・クロコップと対戦。序盤から素早い打撃戦を展開し、会場を沸かせたが、1ラウンド5分過ぎに左ハイキックを受け失神、PRIDE初のKO負けを喫した[51]。
2007年2月25日、PRIDE.33で7年振りの再戦となるダン・ヘンダーソンとミドル級タイトルマッチを行ったが、最終ラウンドに左フックでダウンしパウンドでTKO負け。5年余りに渡って保持していたミドル級王座から陥落した[52]。
UFC復帰編集
2007年のPRIDEの活動休止とともにUFCと再び契約し、それに前後してシュートボクセ・アカデミーから脱退。アメリカに移住し、ランディ・クートゥアのジムであるエクストリーム・クートゥアでトレーナーに就任した。2007年12月29日、UFC 25以来7年半振りのUFC復帰戦となるUFC 79ではチャック・リデルと対戦し、0-3の判定負けを喫するも[53]ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した[54]。
2008年5月24日、UFC 84でキース・ジャーディンと対戦。試合開始直後に右フックでダウンを奪いパウンドによる追撃でわずか36秒で秒殺KO勝ち[55]、ノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞した[56]。12月27日のUFC 92ではPRIDEで2連勝したクイントン・"ランペイジ"・ジャクソンと3度目の対戦を行い、カウンターの左フックで失神KO負けを喫した。
2009年3月、ネバダ州ラスベガスに自身のジム「ヴァンジ・ファイトチーム」を設立。
2009年6月13日、UFC 99でリッチ・フランクリンと契約体重195ポンド(約88kg)で対戦し、判定負けを喫するも[57]ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した[58]。10月にはミドル級で秋山成勲との対戦が発表されたものの[59]、その後マイケル・ビスピンに変更となった[60]。試合は2010年2月20日のUFC 110で行なわれ、シウバが判定で勝利した[61]。
2010年7月3日のUFC 116で秋山成勲と改めて対戦予定であったが自身の怪我により欠場することが試合1週間前に発表された[62]。この後シウバは膝の手術を受け約1年半のブランクを作った。
2011年7月2日のUFC 132でクリス・リーベンと対戦するも試合開始早々にアッパー連打でダウンしたところにパウンドを浴びせられKO負け。
2011年11月19日、UFC 139でカン・リーと対戦し、パウンドでTKO勝ち。ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。
2012年、ビクトー・ベウフォートと共にThe Ultimate Fighter: Brazilでコーチを務めた。
2012年6月23日、UFC 147でリッチ・フランクリンと対戦し、0-3の判定負け。破れはしたものの、ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。当初はビクトーとTUFのコーチ対決を行う予定であったがビクトーの怪我で変更になった。
2013年3月3日、6年半ぶりの日本での試合となったUFC on Fuel TV 8でブライアン・スタンと対戦。1R序盤からお互いにダウンを奪い合う壮絶な激戦となり、2Rに左フックでスタンからダウンを奪いパウンドでKO勝ち。ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。
2014年7月5日のUFC 175で長年に渡って挑発し合ってきたチェール・ソネンと対戦する事が決定するも、シウバが薬物検査を拒否したために欠場した事が発表される。これに対しシウバは薬物検査官が持参した文書が英語であまり詳細がわからず、加えて試合を控えたヘナン・バラオンのサポートで忙しくその場にあまりいられなかった、これまでのキャリアで一度も薬物検査を失格したことも拒否したことも無いと主張した[63]。しかし6月17日、シウバはネバダ州アスレチック・コミッションの公聴会において、骨折した手首の保水性を最小限に抑える事を名目に、禁止薬物である利尿剤を服用していた事を明かした[64]。
2014年9月19日、総合格闘家として引退する事を表明。最後にUFCを批判するようなコメントを残した[65]。2015年7月24日、「UFCが八百長試合を行っている証拠がある」と発言するが[66]、7月29日にズッファから名誉棄損で訴えられ[67]、2016年1月14日にシウバは「そのような(八百長試合の)証拠は無く、私が間違っていた発言を撤回したい」と謝罪を表明した[68]。同日、UFCから正式に契約解除されたことをシウバの弁護士が公表した[69]。
2016年2月17日、ネバダ州アスレチック・コミッションが薬物検査を拒否したシウバに永久追放と罰金7万ドルの処分を下し、シウバはそれに対し異議申し立てをしていた件で、コミッションが再審議をした結果、3年間の出場停止と罰金無しに処分を軽減することが確定した。ネバダ州地方裁判所裁判も2015年5月に「ネバダ州アスレチック・コミッションがシウバに下した処分は権限を超えたものである」とシウバ勝訴の判決を下していた[70]。
RIZIN編集
2016年4月17日、日本の総合格闘技イベント「RIZIN」のRIZIN.1にて、田村潔司とタッグを組み、所英男・桜庭和志とグラップリングルールのダブルバウトで対戦し、時間切れ引き分けに終わった。
2016年12月29日に開催されるRIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016 無差別級トーナメントにシード枠で2回戦より出場し、ミルコ・クロコップと対戦予定だったが、5月に起きた交通事故による怪我の回復が思わしくないとの理由で欠場する事が発表された。
Bellator編集
2017年6月24日、Bellator 180でチェール・ソネンと対戦し、1Rに右フックでダウンを奪ったが0-3の判定負け。
2018年9月30日Bellator 206でクイントン・"ランペイジ"・ジャクソンと通算4度目の対戦をし、右フックからのパウンドで2RTKO負け。
引退編集
2022年9月、総合格闘技の引退を発表。
人物・エピソード編集
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
・TBSのワンダフル(深夜番組)で、「日本人のガールフレンドがほしい」というシウバに対して、シウバが街でナンパしてガールフレンドをつくるという企画が行われた。街で女性に声をかけ、断られるたびにタレントがナンパに失敗したシウバに「それじゃあこれに怒りをぶつけて下さい」とサンドバッグを提示するとサンドバッグがとんでもない勢いでふっとんでいった。なお、数十人に声をかけたものの、シウバについていく女性はゼロであった。
- 既婚者であり子供もいる。2007年からUFC出場に伴い、シュートボクセアカデミーを円満離脱し、アメリカに移住。2016年4月にアメリカ合衆国の市民権を取得した[71]。
- 選手コール時に、両手を合わせクルクル回し相手を威嚇する仕草が有名。
- 18歳の時に自ら志願してブラジル陸軍に入隊していた経歴を持つ。
- 人一倍チームメイト思いとして有名でマウリシオ・ショーグンやムリーロ・ニンジャなどに対してとても面倒見がよく、温厚に接する。
- かつて3度戦った桜庭和志とは仲がよく、桜庭から受け取った紙製のチャンピオンベルトや阪神タイガースのキャップを大切にしている。
- PRIDEの恒例イベントであった「けやき広場イベント」の「チャンピオン祭り」では、自身の握手会に来てくれたファンに自分のニット帽をあげたり、参加していないファンを気遣って握手をしたりと、ファンに対するサービス心は高い。
- 週刊少年マガジンで連載していた「もう、しませんから。」に2回登場。1回目は作者の西本と似顔絵で対決して勝利。2回目は同作品の題字を毛筆で書き下ろした。
- カエルが大の苦手とジャンクSPORTSで発言している。
- 来日時には必ずと言っていいほど、はなまるうどんで牛肉うどんに海老天を5本乗せて食べており[72][73]、そのメニューをシウバ自身が好きな日本食として挙げている。[72][73]その縁ではなまるうどんから渋谷公園通り店限定の「一生無料券」を贈呈された[74]ほか、2005年12月29日から2006年1月15日までの限定メニューとして牛肉うどんに海老天3本にした組み合わせを「シウバうどん」として販売されていた[74]。
- 2004年11月20日、フジテレビ系『めちゃ×2イケてるッ!』のゲームコーナー「STAMP8」に外国人格闘家初のゲストとして出演した。
- 2009年に何度も骨折を繰り返していた鼻と目の周囲の瘢痕組織を除去する修復手術を受けた。手術を担当した医師によるとこの手術で塞がっていた鼻の気道が確保され、酸素摂取量が30%増加したという。
戦績編集
総合格闘技編集
総合格闘技 戦績 | ||||||
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51 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
35 勝 | 25 | 3 | 7 | 0 | 1 | 1 |
14 敗 | 7 | 0 | 7 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
× | クイントン・ランペイジ・ジャクソン | 2R 4:32 TKO(右フック→パウンド) | Bellator 206: Mousasi vs. Macdonald | 2018年9月30日 |
× | チェール・ソネン | 5分3R終了 判定0-3 | Bellator 180 | 2017年6月24日 |
○ | ブライアン・スタン | 2R 4:08 KO(左フック→パウンド) | UFC on Fuel TV 8: Silva vs. Stann | 2013年3月3日 |
× | リッチ・フランクリン | 5分5R終了 判定0-3 | UFC 147: Silva vs. Franklin 2 | 2012年6月24日 |
○ | カン・リー | 2R 4:49 TKO(膝蹴り→パウンド) | UFC 139: Shogun vs. Henderson | 2011年11月9日 |
× | クリス・リーベン | 1R 0:27 KO(左アッパー→パウンド) | UFC 132: Cruz vs. Faber | 2011年7月2日 |
○ | マイケル・ビスピン | 5分3R終了 判定3-0 | UFC 110: Nogueira vs. Velasquez | 2010年2月20日 |
× | リッチ・フランクリン | 5分3R終了 判定0-3 | UFC 99: The Comeback | 2009年6月13日 |
× | クイントン・"ランペイジ"・ジャクソン | 1R 3:21 KO(左フック) | UFC 92: The Ultimate 2008 | 2008年12月27日 |
○ | キース・ジャーディン | 1R 0:36 KO(パウンド) | UFC 84: Ill Will | 2008年5月24日 |
× | チャック・リデル | 5分3R終了 判定0-3 | UFC 79: Nemesis | 2007年12月29日 |
× | ダン・ヘンダーソン | 3R 2:08 TKO(左フック→パウンド) | PRIDE.33 "THE SECOND COMING" 【PRIDEミドル級タイトルマッチ】 |
2007年2月24日 |
× | ミルコ・クロコップ | 1R 5:26 KO(左ハイキック) | PRIDE 無差別級グランプリ 2006 決勝戦 【無差別級グランプリ 準決勝】 |
2006年9月10日 |
○ | 藤田和之 | 1R 9:21 TKO(タオル投入) | PRIDE 無差別級グランプリ 2006 2nd ROUND 【無差別級グランプリ 2回戦】 |
2006年7月1日 |
○ | ヒカルド・アローナ | 3R(10分/5分/5分)終了 判定2-1 | PRIDE 男祭り 2005 頂-ITADAKI- 【PRIDEミドル級タイトルマッチ】 |
2005年12月31日 |
× | ヒカルド・アローナ | 2R(10分/5分)終了 判定0-3 | PRIDE GRANDPRIX 2005 決勝戦 【ミドル級グランプリ 準決勝】 |
2005年8月28日 |
○ | 中村和裕 | 1R 5:24 TKO(マウントパンチ) | PRIDE GRANDPRIX 2005 2nd ROUND 【ミドル級グランプリ 2回戦】 |
2005年6月26日 |
○ | 吉田秀彦 | 3R(10分/5分/5分)終了 判定2-1 | PRIDE GRANDPRIX 2005 開幕戦 【ミドル級グランプリ 1回戦】 |
2005年4月23日 |
× | マーク・ハント | 3R(10分/5分/5分)終了 判定1-2 | PRIDE 男祭り 2004 -SADAME- | 2004年12月31日 |
○ | クイントン・"ランペイジ"・ジャクソン | 2R 3:26 KO(膝蹴り) | PRIDE.28 【PRIDEミドル級タイトルマッチ】 |
2004年10月31日 |
○ | 近藤有己 | 1R 2:46 KO(踏みつけ) | PRIDE GRANDPRIX 2004 決勝戦 | 2004年8月15日 |
○ | 美濃輪育久 | 1R 1:09 KO(パウンド) | PRIDE 武士道 -其の弐- | 2004年2月15日 |
○ | クイントン・"ランペイジ"・ジャクソン | 1R 6:28 TKO(膝蹴り) | PRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦 【ミドル級グランプリ 決勝】 |
2003年11月9日 |
○ | 吉田秀彦 | 2R(10分/5分)終了 判定3-0 | PRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦 【ミドル級グランプリ 準決勝】 |
2003年11月9日 |
○ | 桜庭和志 | 1R 5:01 KO(右フック) | PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦 【ミドル級グランプリ 1回戦】 |
2003年8月10日 |
○ | 金原弘光 | 1R 3:31 TKO(タオル投入) | PRIDE.23 【PRIDEミドル級タイトルマッチ】 |
2002年11月24日 |
○ | 岩崎達也 | 1R 1:16 TKO(左ハイキック→パウンド) | Dynamite! SUMMER NIGHT FEVER in 国立 | 2002年8月28日 |
△ | ミルコ・クロコップ | 3分5R終了 時間切れ | PRIDE.20 | 2002年4月28日 |
○ | 田村潔司 | 2R 2:28 KO(右ストレート) | PRIDE.19 【PRIDEミドル級タイトルマッチ】 |
2002年2月24日 |
○ | アレクサンダー大塚 | 3R 2:22 TKO(ドクターストップ) | PRIDE.18 | 2001年12月23日 |
○ | 桜庭和志 | 1R終了時 TKO(ドクターストップ) | PRIDE.17 【PRIDEミドル級王座決定戦】 |
2001年11月3日 |
○ | 大山峻護 | 1R 1:30 TKO(スタンドパンチ連打) | PRIDE.14 | 2001年5月27日 |
○ | 桜庭和志 | 1R 1:38 TKO(サッカーボールキック) | PRIDE.13 | 2001年3月25日 |
○ | ダン・ヘンダーソン | 10分2R終了 判定6-0 | PRIDE.12 | 2000年12月23日 |
- | ギルバート・アイブル | 1R 0:21 無効試合(ローブロー) | PRIDE.11 | 2000年10月31日 |
○ | ガイ・メッツァー | 1R 3:45 KO(スタンドパンチ連打) | PRIDE.10 | 2000年8月27日 |
○ | トッド・メディーナ | 1R 0:39 KO(膝蹴り) | Meca World Vale Tudo 2 | 2000年8月12日 |
× | ティト・オーティズ | 5分5R終了 判定0-3 | UFC 25: Ultimate Japan 3 【UFC世界ミドル級王座決定戦】 |
2000年4月14日 |
○ | ボブ・シュライバー | 1R 2:42 スリーパーホールド | PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦 【リザーブマッチ】 |
2000年1月30日 |
○ | 松井大二郎 | 10分2R終了 判定6-0 | PRIDE.8 | 1999年11月21日 |
○ | カール・マレンコ | 10分2R終了 判定6-0 | PRIDE.7 | 1999年9月12日 |
○ | トニー・ペテーラ | 1R 2:53 KO(膝蹴り) | UFC 20: Battle for the Gold | 1999年5月7日 |
○ | ユージーン・ジャクソン | 1R 0:32 ギブアップ(パンチ連打) | IVC 10: World Class Champions 【IVCライトヘビー級王座決定戦】 |
1999年4月27日 |
○ | エイドリアン・セラーノ | 1R 0:22 KO(打撃) | IVC 9: The Revenge | 1999年1月20日 |
× | ビクトー・ベウフォート | 1R 0:44 TKO(スタンドパンチ連打) | UFC Brazil: Ultimate Brazil | 1998年10月16日 |
○ | マイク・ヴァン・アースデイル | 1R 4:00 KO(打撃) | IVC 6: The Challenge | 1998年8月23日 |
× | アルトゥール・マリアーノ | 2R 13:10 TKO(ドクターストップ) | IVC 2: A Question of Pride 【決勝】 |
1997年9月15日 |
○ | エジディオ・ダ・コスタ | 1R 2:27 ギブアップ(パンチ連打) | IVC 2: A Question of Pride 【準決勝】 |
1997年9月15日 |
○ | ショーン・ボーメット | 1R 1:19 KO(右ハイキック) | IVC 2: A Question of Pride 【1回戦】 |
1997年9月15日 |
○ | マルセロ・バルボーザ | 1R 0:20 TKO(肩の負傷) | Brazilian Vale Tudo 10 | 1997年7月1日 |
○ | ジウソン・フィリォ | 1R 3:35 KO(パンチ) | Brazilian Vale Tudo 6 【1回戦】 |
1996年11月1日 |
グラップリング編集
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
△ | 桜庭和志&所英男 (パートナー:田村潔司) |
15分終了 時間切れ | RIZIN.1 | 2016年4月17日 |
獲得タイトル編集
表彰編集
出演編集
映画編集
- 殴者(2005年)
- 闘魂先生 Mr.ネバーギブアップ(2012年)
- キックボクサー ザ・リベンジ(2018年)
CM編集
脚注編集
注釈編集
- ^ 「ヴァンデッヘレー・セザッハ・ダ・スィウヴァ」がブラジルポルトガル語のリオデジャネイロの発音。
出典編集
- ^ a b SHERDOG FIGHTFINDER - Wanderlei "The Axe Murderer" Silva SHERDOG
- ^ 【BFC54】ミドル級も準決勝へ。ライト級ナサレにも注目 MMAPLANET 2011年10月14日
- ^ Dana White: Wanderlei Silva made $9.7 million in the UFCMMA Fighting 2015年10月20日
- ^ a b 「戦いこそ、我が人生」『GONKAKU』No.5、2007年10月号、イースト・プレス、pp.10-21
- ^ 「瞳にやどる血」『格闘マガジン FIGHTER』2007年春号、晋遊舎、2007年5月1日、pp.44-45
- ^ UFCブラジル大会(第5試合) BoutReview
- ^ PRIDE-7全カード発表 BoutReview 1999年9月6日
- ^ Light Heavyweight: 183-200 lbs. MMA to Z
- ^ 99・9・12 "PRIDE.7" 横浜アリーナ(第2試合) BoutReview
- ^ 幕開けはIVC王者の貫録勝ちから BoutReview
- ^ 蘭伯キック対決はあっけなくシゥヴァに BoutReview
- ^ ティト待望の王座奪取。安生、不完全燃焼でメイン飾れず BoutReview 2000年4月14日
- ^ 桜庭、秒殺勝利。因縁対決は小川が制す。高田マウントパンチに沈む BoutReview
- ^ 桜庭、ボブチャンチンが判定勝ち。エンセン引退表明 BoutReview
- ^ PRIDE12試合結果&選手コメント(2) スポーツナビ
- ^ a b c 桜庭×シウバ決定。改正ルールで桜庭ピンチ!? BoutReview 2001年2月16日
- ^ 春爛漫、シウバの恐怖のヒザに桜散る BoutReview
- ^ 藤田、野獣対決を制す。松井大二郎、シウバの同僚・ペレに完勝 BoutReview
- ^ PRIDE.17東京ドーム、桜庭 vs. ヴァンダレイ決定 BoutReview 2001年9月13日
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- ^ PRIDE.17東京ドーム レポート&写真/桜庭、涙のドクターストップ BoutReview
- ^ シュルト&シウバ余裕の勝利/12.23 PRIDE.18 レポ&写真 BoutReview
- ^ "約束の地は遠く"田村、そしてエンセンの理想は見えたか BoutReview 2002年2月25日
- ^ a b シウバvsミルコはドロー PRIDEvsK-1 対抗戦第2弾 4.28 PRIDE.20 横浜大会完全速報! - 第7試合 スポーツナビ
- ^ シウバの相手決定。全7カードに/ヴァンダレイの相手が極真王者に変更 BoutReview 2002年8月22日-27日
- ^ 吉田は本当に勝ったのか? 世紀のリベンジマッチ、転じて新たな遺恨へ BoutReview 2002年8月29日
- ^ 高田、真剣勝負で22年のレスラー生活に幕 BoutReview 2002年11月25日
- ^ 吉田、ミドル級GP参戦。UFCからも王者級が参戦へ BoutReview 2003年6月18日
- ^ 一回戦で田村×吉田、桜庭×シウバ! BoutReview 2003年7月9日
- ^ 桜庭、シウバに3連敗。ミルコ×ヒョードル実現へ弾み BoutReview 2003年8月11日
- ^ 準決勝は吉田×シウバ、ジャクソン×リデル BoutReview 2003年10月1日
- ^ a b ノゲイラ、ミルコから一本 BoutReview 2003年11月10日
- ^ ヴァンダレイ×美濃輪、ショーグン×郷野決定 BoutReview 2004年1月21日
- ^ ヴァンダレイ&ミルコ豪快勝利 BoutReview 2004年2月17日
- ^ ヴァンダレイ×近藤正式決定 BoutReview 2004年4月24日
- ^ ヴァンダレイ・シウバは全治5~6ヵ月で手術へ GBR 2004年5月6日
- ^ 近藤×シウバの結果でタイトルマッチ延期の可能性も GBR 2004年7月29日
- ^ a b 小川、秒殺負け! ノゲイラvsヒョードルは無効試合 シウバが近藤に圧勝 ミルコ、久々の左ハイKO - 第6試合 スポーツナビ
- ^ 2/60億に悪夢のアクシデント BoutReview 2004年8月16日
- ^ シウバ、3度目の防衛 BoutReview 2004年11月1日
- ^ 桜庭×シウバ、近藤×ダンヘン、五味×パルバーが決定! GBR 2004年11月30日
- ^ 桜庭、肋骨骨折で欠場 BoutReview 2004年12月28日
- ^ シウバVSハント正式決定! 試合順も決まる GBR 2004年12月29日
- ^ ヒョードル、ヘビー級統一王者に BoutReview 2005年1月7日
- ^ シウバ、吉田KOならず BoutReview 2005年4月24日
- ^ 日本人全滅。ミルコ完勝 BoutReview 2005年6月27日
- ^ ヒョードル&ショーグンが頂点に BoutReview 2005年9月1日
- ^ 五味、マッハをKO。シウバ防衛 BoutReview 2006年1月4日
- ^ ヒョードル欠場。代役はヴァンダレイ BoutReview 2006年5月18日
- ^ シウバ、藤田を粉砕。吉田も敗退 BoutReview 2006年7月3日
- ^ ミルコ、シウバ&ジョシュ下し優勝 BoutReview 2006年9月12日
- ^ シウバ王座陥落。五味一本負け BoutReview 2007年3月7日
- ^ シウバ&ソクジュ敗れる。GSP暫定王者に BoutReview 2007年12月30日
- ^ UFC Issues $200,000 in UFC 79 Bonuses MMAjunkie 2007年12月30日
- ^ BJ・ペン"最強対決"制す!シウバは衝撃のKO勝利 MMAPLANET 2008年5月25日
- ^ Silva, Palhares, Reljic and Gouveia secure $75K UFC 84 bonuses MMAjunkie 2008年5月25日
- ^ シウバ、熱戦繰り広げるも結果は伴わず―― MMAPLANET 2009年6月14日
- ^ UFC 99 bonuses and awards for 'The Comeback' PPV fights MMA Mania 2009年6月13日
- ^ 秋山対ヴァンダレイ決定! 宇野の11月参戦も発表! UFC日本語版公式サイト 2009年10月13日
- ^ Wanderlei Silva vs. Michael Bisping set for Australia in February Five Ounces of Pain 2009年11月24日
- ^ UFC110 ミドル級のヴァンダレイ、ビスピンに涙の勝利 MMAPLANET 2010年2月21日
- ^ 【UFC】7・3ヴァンダレイ・シウバが欠場!秋山成勲との一戦が消滅 GBR 2010年6月28日
- ^ Wanderlei Silva Calls UFC 175 Removal ‘A Big Confusion’ SHERDOG 2017年1月17日
- ^ Wanderlei Silva admits taking banned substance and skipping out on drug test (UPDATE) FOX sports 2014年6月17日
- ^ Wanderlei Silva rips the UFC, announces his retirement MMA Fighting 2014年9月19日
- ^ Wanderlei Silva: I can prove the UFC fixed fightsMMA Fighting 2017年1月17日
- ^ Zuffa sues Wanderlei Silva for defamantion and business disparagement, seeks range of damages MMA Fighting 2015年7月29日
- ^ Wanderlei Silva apologizes for UFC fight-fixing claims: 'I was wrong'MMA Fighting 2017年1月17日
- ^ Attorney: UFC released Wanderlei Silva from contractMMA Fighting 2017年1月17日
- ^ Wanderlei Silva suspended three years for evading May 2014 drug testMMA Fighting 2017年1月17日
- ^ I'M AN AMERICAN NOW... And I'm Gonna Save Brazil!!TMZ.SPORTS 2016年4月24日
- ^ a b 「NAGARAプライムショー」、2013年1月22日配信、WOWOW製作
- ^ a b 「渋谷LIVE! ザ・プライムショー」、2013年1月22日放送、WOWOW製作
- ^ a b ブラジル人格闘家 ヴァンダレイ・シウバ選手が はなまるうどん・渋谷公園通り店に参上!! - はなまるニュース 2005年
関連項目編集
外部リンク編集
- UFC 選手データ
- PRIDE 選手データ - Internet Archive
- MMAjunkie 選手データ
- ヴァンダレイ・シウバの戦績 - SHERDOG(英語)
前王者 王座新設 |
初代PRIDEミドル級王者 2001年11月3日 - 2007年2月25日 |
次王者 ダン・ヘンダーソン |