ヴィク・バッキンガム

ヴィク・バッキンガムVic Buckingham, 1915年10月23日 - 1995年1月26日)は、ロンドングリニッジ区グリニッジ出身のサッカー選手、サッカー監督。ポジションはミッドフィールダー

ビク・バッキンガム Football pictogram.svg
Vic Buckingham (1960).jpg
1960年
名前
本名 ヴィクター・フレデレック・バッキンガム
Victor Frederick Buckingham
愛称 Vic
ラテン文字 Vic Buckingham
基本情報
国籍 イングランドの旗 イングランド
生年月日 (1915-10-23) 1915年10月23日
出身地 グリニッジ
没年月日 (1995-01-26) 1995年1月26日(79歳没)
選手情報
ポジション MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1935-1949 イングランドの旗 トッテナム・ホットスパー 204 (1)
監督歴
1950-1951 イングランドの旗 Pegasus A.F.C.
1951-1953 イングランドの旗 ブラッドフォード・パーク・アベニュー
1953-1959 イングランドの旗 ウェスト・ブロムウィッチ
1959-1961 オランダの旗 アヤックス・アムステルダム
1961-1964 イングランドの旗 シェフィールド・ウェンズデイ
1964-1965 オランダの旗 アヤックス・アムステルダム
1965-1968 イングランドの旗 フラム
1968 ギリシャの旗 エスニコス
1969-1971 スペインの旗 バルセロナ
1972 スペインの旗 セビージャ
1975-1976 ギリシャの旗 オリンピアコス
1979-1980 ギリシャの旗 ロードス
1. 国内リーグ戦に限る。2020年11月4日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ビク・バッキンガム、ビック・バッキンガム、ヴィック・バッキンガムとも表記される。

経歴編集

現役時代編集

1935年からトッテナム・ホットスパーFCで試合に出場すると、1949年まで現役としてプレー。公式戦通算230試合に出場した。

監督時代編集

1950年にオックスフォード大学ケンブリッジ大学の合同チームであるアマチュアチームのPegasus A.F.C.で監督キャリアをスタート。自身のトッテナム時代の監督、ペーター・マクウィリアムから教わり、当時のチームメイトであるアーサー・ロウが同時期にトッテナム・ホットスパーFCの監督に就任して確立した「プッシュ・アンド・ラン」スタイルの戦法を用いてチームをFAアマチュアカップ制覇に導いた。ちなみにこの戦術はバッキンガム、ロウの他に当時のチームメイト、ビル・ニコルソンもマクウィリアムから教わり、後の1960年代にトッテナムを幾多のタイトルに導いた。またこの戦術はバッキンガムが後にアヤックス・アムステルダムFCバルセロナの監督に就任するとそれぞれのチームで後任で監督に就いたリヌス・ミケルスが用いたトータル・フットボールの発展に影響を与えた。

1951-52シーズンからはブラッドフォード・パーク・アベニューAFCの監督に就任。初めてプロサッカークラブの指揮を取った。

1953年にウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFCの監督に就任。就任初年度の1953-54シーズンにFAカップの優勝に導くと、リーグでも2位に導き、1897年以来のダブルまであと一歩のところまで近づいた。

1959年にアヤックス・アムステルダムの監督に就任。初年度の1959-60シーズンにエールディヴィジ制覇に導いた。2年目の1960-61シーズンは2位に終わった。

1961年に昨シーズンのリーグ戦で2位だったシェフィールド・ウェンズデイFCの監督に就任。その3年後の1964年にアヤックスに復帰した。アヤックスでは当時17歳のヨハン・クライフをデビューさせたが、成績は思わしくなく、1年で退任。バッキンガムが退任したアヤックスにはリヌス・ミケルスが監督に就任した。

1965年にイングランドに戻り、フラムFCの監督に就き、1968年にギリシャで短期間監督を務めたのち、1969年にFCバルセロナの監督に就任した。1970-71シーズンにコパ・デル・レイ決勝でバレンシアCFを破り、優勝に導くが、プリメーラ・ディビシオンではバレンシアに次ぐ2位に終わった。このシーズンで退任し、後任にはアヤックス時代と同じくミケルスが就任した。

1972年2月に降格の危機にあったセビージャFCの監督に就任したが、降格を回避することは出来なかった。その後1975年に就任したオリンピアコスFCではリーグ戦3位に終わり、連覇を逃した。

タイトル編集

ウェスト・ブロム
アヤックス
バルセロナ

外部リンク編集