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ヴィタヤ・ラオハクル(Withaya Laohakul、วิทยา เลาหกุล1954年2月1日 - )は、タイ王国出身の元サッカー選手、サッカー指導者。タイ語読みでは、ウィタヤー・ラオハグン。日本サッカーリーグ(JSL)での登録名はビタヤ

ヴィタヤ・ラオハクル Football pictogram.svg
Witthaya Hloagune.jpg
名前
カタカナ ヴィタヤ・ラオハクル
ラテン文字 Withaya Laohakul
Witthaya Hloagune
タイ語 วิทยา เลาหกุล
基本情報
国籍 タイ王国の旗 タイ
生年月日 (1954-02-01) 1954年2月1日(65歳)
出身地 ラムプーン県
身長 177cm[1]
体重 70kg[1]
選手情報
ポジション MFDF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1972-1976 ラチャプラチャーFC 97 (28)
1977-1978 ヤンマーディーゼル 33 (14)
1979-1981 ヘルタ・ベルリン 33 (1)
1982-1984 1.FCザールブリュッケン 54 (7)
1984-1985 ラチャプラチャーFC 24 (5)
1986-1987 松下電器産業 32 (6)
代表歴
1975-1985 タイ王国の旗 タイ 61 (18)
監督歴
1995-1997 バンコク・バンクFC
1997-1998 タイ代表
1998-1999 BMA FC
2000 U-16タイ代表
2002-2003 センバワン・レンジャーズFCU-16/18
2004 センバワン・レンジャーズFC
2004-2006 チョンブリーFC
2007-2010 ガイナーレ鳥取
2011-2013 チョンブリーFC
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

来歴編集

選手として編集

14人兄弟の7番目として生まれる[2]。長男と次男も同じくサッカー選手としてタイリーグでプレーした[2]。18歳のときにラパチャFCに加入[2]

1976年8月、マレーシアで開催されたムルデカトーナメントタイ代表対日本代表の試合にて、ヴィタヤはフリーキックにより2ゴールを決めた[2]。試合後に相手チームの釜本邦茂からヤンマーディーゼルサッカー部(現・セレッソ大阪)に誘われ、その2ヶ月後に正式なオファーを受けた[2]。ヤンマーには1977年5月に合流したが、外国から加入した選手を対象とする日本サッカー協会の移籍規定のため公式戦出場は翌年1月からだった[3]。1978年1月15日の三菱重工戦で日本サッカーリーグ(JSL)デビュー[2]。以降先発出場を続け、20試合4ゴール2アシストを記録した[2]。彼はJSL史上初めてのアジア人の外国人選手だった[4]

日本から帰国後、タイ代表としてエスパニョール1FCケルンと対戦した試合におけるプレーが西ドイツのヘルタ・ベルリンのスカウトの目にとまり[2]、1979年よりヘルタに移籍。ヨーロッパのクラブでプレーする初めてのタイ人サッカー選手となった[2][5][6]。1979年8月12日のフォルトゥナ・デュッセルドルフ戦でブンデスリーガに初出場[7]。1979-80シーズンのリーグ戦出場は3試合にとどまったが[2][8]、チームが2. ブンデスリーガ(ドイツ2部)に降格した1980-81シーズン以降は2シーズンで計31試合に出場した[8]

1982年に1.FCザールブリュッケンに移籍。1982-83シーズンのオーバーリーガ(当時ドイツ3部)で昇格を決め、1983-84シーズンには2. ブンデスリーガでプレーした[8]

1987年7月のJSLカップから[4]松下電器産業サッカー部(現・ガンバ大阪)でプレー。ヘッドコーチを兼任しながら選手を続け[1]1990年に引退(1990-91シーズンの第8節をもって登録抹消[9])。

指導者として編集

1988年から松下電器のコーチ、Jリーグ開幕後はガンバ大阪のヘッドコーチとして日本で8年間指導者を務める。1996年に母国のバンコク・バンクを率いてタイ・プレミアリーグで優勝。1997年から1998年まではタイ代表監督を務めた。その後、アメリカのネバダ大学でアシスタントコーチ、シンガポールのセンバワン・レンジャーズFCで監督を務めた。

2007年、ヤンマー、松下電器時代から繋がりのある水口洋次監督の下で日本フットボールリーグ(JFL)所属のガイナーレ鳥取のヘッドコーチに就任。同年8月に水口監督が成績不振の責任を取り辞任した事に伴い、監督に昇格した。その後2009年まで足掛け3年間鳥取を指揮。常にチームを上位に置き、Jリーグ参入権を得られる4位以内を争ったが、いずれも終盤に失速し、J参入は達成できずに終わった。

2010年も指揮を執ることが決まっていた[10] が、2009年12月に帰国していたタイで交通事故を起こし、脊椎骨折の重傷を負う[11]。命に別状はなく、当初は監督続投を目指してリハビリを行っていたが回復が遅れ、クラブとの話し合いの結果、2010年2月1日に鳥取監督を辞任した[12]。その後、古巣チョンブリーFCTDを務め、2011年からチョンブリーFCの監督に復帰した。

所属クラブ編集

個人成績編集

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯 天皇杯 期間通算
1977 ヤンマー JSL1部
1978
1988-89 松下 15 21 3
1989-90 16 0 1 0
1990-91 0 0 1 0
通算 日本 JSL1部 57 7
総通算
  • ヤンマー通算2シーズン20試合4得点
  • 松下通算3シーズン37試合3得点

指導歴編集

監督成績編集

日本国内成績

年度 所属 クラブ リーグ戦 カップ戦
順位 試合 勝点 リーグ杯 天皇杯
2007 JFL 鳥取 14位 - 2回戦
2008 5位 34 57 17 6 11 - 1回戦
2009 5位 34 56 16 8 10 - 2回戦
  • 2007年の順位は最終順位。

獲得タイトル編集

選手編集

コーチ編集

  • チーム
    • 天皇杯 優勝:1990
    • クィーンズカップ(タイサッカー協会主催のカップ戦)優勝:1992

監督編集

参考文献編集

脚注編集

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  1. ^ a b c 『1990-1991JSLイヤーブック』p55、日本サッカーリーグ編、南雲堂、1990年 ISBN 4-523-31032-7
  2. ^ a b c d e f g h i j 加部究 「海を越えてきたフットボーラー 第35回 ヴィタヤ・ラオハクル(ガイナーレ鳥取監督)」 『サッカー批評』 Issue38、双葉社、2008年、94-99頁。
  3. ^ 「ヤンマー入りラオハックル(タイ)が“公開練習”」 『サッカーマガジン』 No.171 1977年7月10日号、35頁。
  4. ^ a b 「JSL外人プレーヤー列伝 日本サッカーを彩った助っ人たち」 『イレブン』 1987年12月号、日本スポーツ出版社、147-149頁。
  5. ^ To hell and back: Thailand's rise to prominence”. FourFourTwo (2015年11月24日). 2017年3月7日閲覧。
  6. ^ “Former S-League player dies in Bangkok after domestic dispute with girlfriend's ex-husband, Singapore News & Top Stories”. The Straits Times. (2016年5月31日). http://www.straitstimes.com/singapore/former-s-league-player-dies-in-bangkok-after-domestic-dispute-with-girlfriends-ex-husband 2017年3月7日閲覧。 
  7. ^ Witthaya Laohakul Personenprofil”. ドイツサッカー連盟. 2017年3月7日閲覧。
  8. ^ a b c Witthaya Laohakul Personenprofil”. ドイツサッカー連盟. 2017年3月7日閲覧。
  9. ^ 『日本サッカーリーグ・イヤーブック ’91-'92』 南雲堂、110頁。
  10. ^ “ヴィタヤ ラオハクル監督 2010シーズン続投のお知らせ” (プレスリリース), ガイナーレ鳥取, (2009年12月11日), オリジナルの2010年6月11日時点によるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20100611223251/http://gainare.net/site/page/gainare/news/091211info/ 2017年3月7日閲覧。 
  11. ^ “ヴィタヤ監督 交通事故について” (プレスリリース), ガイナーレ鳥取, (2009年12月28日), オリジナルの2010年6月11日時点によるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20100611223644/http://gainare.net/site/page/gainare/news/091228info/ 2017年3月7日閲覧。 
  12. ^ “ヴィタヤ監督辞任 松田 岳夫氏監督就任のお知らせ” (プレスリリース), ガイナーレ鳥取, (2010年2月1日), http://www.gainare.co.jp/news/detail/21/ 2017年3月7日閲覧。 
先代:
タバチャイ・サジャクル
サッカータイ王国代表監督
1997年-1998年
次代:
ピーター・ウィズ