ヴィタリー・ペトロフ
ヴィタリー・アレクサンドロヴィチ・ペトロフ(Vitaly Aleksandrovich Petrov, ロシア語: Вита́лий Алекса́ндрович Петро́в 1984年9月8日 - )は、ロシア・レニングラード州ヴィボルグ出身のレーシングドライバー。ロシアで「ヴィボルグ ロケット(Vyborg Rocket)」という愛称で知られている[1]。
ヴィタリー・ペトロフ | |
---|---|
ペトロフ (2017年) | |
基本情報 | |
フルネーム |
ヴィタリー・アレクサンドロヴィチ・ペトロフ Вита́лий Алекса́ндрович Петро́в |
略称表記 | PET |
国籍 | ロシア |
出身地 |
ソビエト連邦 同・ヴィボルグ |
生年月日 | 1984年9月8日(40歳) |
F1での経歴 | |
活動時期 | 2010-2012 |
所属チーム |
'10 ルノー '11 ロータス・ルノー '12 ケータハム |
出走回数 | 58 (57スタート) |
タイトル | 0 |
優勝回数 | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 1 |
通算獲得ポイント | 64 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 1 |
初戦 | 2010年バーレーンGP |
最終戦 | 2012年ブラジルGP |
経歴
編集初期の経歴
編集他の多くのレーシングドライバーと異なり、レーシングカートを経験せずに四輪レースキャリアを開始した[2]。2001年にラーダ・ロシア・カップに参加し始め、2002年には全5レース全て優勝し同シリーズのチャンピオンを獲得した[3]。
フォーミュラ・ルノー
編集2003年にユーロノバ・レーシングのジュニアチームからイタリア・フォーミュラ・ルノーに参加しシリーズ19位で終えた[3]。その他、同年にはユーロカップ・フォーミュラ・ルノー2.0の数レース、年末にはイギリス・フォーミュラ・ルノーのメインシリーズと冬季シリーズ、またカリャリ・サーキットで行われたユーロ3000選手権の最終戦などにスポット参戦した[3]。
ロシアに戻る
編集2004年にペトロフはロシアのラーダ・レボリューション選手権に興味を寄せて参加。全4レースにおいてポールポジションからスタートしたが1勝しかできずシリーズ2位に終わった。またユーロカップ・フォーミュラ・ルノーとユーロ3000選手権の数レースに参加していた[3]。
2005年もロシアに留まり、ラーダ・レボリューション選手権とフォーミュラ1600・ロシアに参加して両方の選手権のチャンピオンを獲得した[3]。
ユーロ3000選手権
編集2006年にユーロノバ・レーシングからユーロ3000選手権に本格的に参加し全18レースのうち4つのレースに優勝しシリーズ3位で終えた[3]。また、インターナショナル・フォーミュラ・マスターの改称前となるF3000 International Mastersにブルノ・サーキットでのラウンドのみ参加した[3]。
GP2
編集2006年以降、GP2メインシリーズとアジアシリーズに参戦しており2006年にはDPRディレクシブ、2007年と2008年まではカンポス・グランプリ、2009年はカンポスから商標を変更したアダックス・チームから参戦し総合2位だった[3]。
F1
編集2010年
編集2010年1月31日、2010年のF1にルノーF1のドライバーとして起用されることが発表された[4]。ロマン・グロージャンの後任としてロバート・クビサのチームメイトになる。また、ロシア人初のF1ドライバーである。なお、シート獲得に際しては1500万ユーロの資金持込が行われた。さらにこの加入によってロシア最大の自動車会社アフトヴァースがラーダブランドでチームのスポンサーとなるなど、ペトロフはチームの重要な役割を担う。
デビュー戦バーレーンGPから、予選ではクビサに敵わず、決勝でもミスやトラブルなどで3戦リタイアに終わるものの、決勝では十分なレースペースとバトル能力を示す。
第4戦中国GPは、それが発揮される形で、不安定な天候の中、レッドブルのマーク・ウェバー、メルセデスのミハエル・シューマッハをオーバーテイクするなど目覚しい活躍で7位フィニッシュ。初完走、初ポイント獲得を達成した。 第7戦トルコGPではタイヤがパンクするまで後ろにいたフェルナンド・アロンソのアタックをブロックし続けた。また、最終周で自身初のファステストラップを記録した。
第12戦ハンガリーGPでは予選を7位で通過し、初めてチームメイトのクビサを上回った。決勝でも、スタートで一時2008年ワールドチャンピオンのルイス・ハミルトンをオーバーテイクし、高い能力を証明した。最終的に自己最高位である5位でフィニッシュした。第19戦アブダビGPでは予選でシーズン2度目となるクビサの前の10位グリッドを獲得。決勝では1周目にセーフティカーが出た際にタイヤ交換義務を果たすと、先行するドライバーがピットストップを行うにつれて順位を上げ、ピットを終えてペトロフの後ろでコースに復帰したアロンソを最後まで抑えて6位でフィニッシュした。 シーズン終了までに5回の入賞で27ポイントを獲得したが、チームメイトのクビサに109ポイントの大差をつけられ、内容としては課題が残るものとなった。
2011年
編集2010年12月22日、ルノーはペトロフの残留を発表した[5]。開幕戦オーストラリアGPの予選では、チームメイトのニック・ハイドフェルドがトラフィックにつかまりQ1で敗退する中でQ3に進出し、自己ベストとなる6位グリッドを獲得した。更に決勝ではスタートでジェンソン・バトンとフェルナンド・アロンソをパスし4番手に浮上すると、更に2ストップ作戦が成功しマーク・ウェバーもかわして3番手に浮上。そのまま最後までポジションを落とすことなく粘りある走りを見せ、見事3位でフィニッシュ。自身初の表彰台を獲得した。その後は堅実な走りを見せたものの、車が他チームの戦闘力アップに対抗できなかったこともあり、ポイント圏内外をさまよう成績となる。最終的にはポイントランキング10位でシーズンを終えた。マレーシアGPではコースアウトした衝撃でステアリングを折ってリタイアと珍しいトラブルに見舞われた。ポイントランキングではハイドフェルドを上回ったが、ハイドフェルドはシーズン中に解雇されたため、平均獲得ポイントはハイドフェルドより低い。
1年契約であったが、チームに残留することも比較的有力であるとされたがロマン・グロージャンとキミ・ライコネンがF1へ復帰した事によってシートを喪失した。
2012年
編集2月17日、ヤルノ・トゥルーリのシートを持参金で奪いケータハムF1チームのレギュラードライバーとして起用された事が発表された[6]。チームメイトは以前からケータハムに所属しているヘイキ・コバライネン。開幕戦オーストラリアGPでは、ステアリングトラブルでリタイアを喫したものの、第2戦マレーシアGPでは16位で完走。続く第3戦中国GPでも18位完走。第4戦バーレーンGPでは16位完走と、チームメイトのコバライネンを上回る戦績を収めた。ヨーロッパGPではアクシデントの相次ぐ混沌としたレースの中で一時10番手を走行し、チームにとって初のポイントが見え始めていたが、トロ・ロッソのダニエル・リカルドに接触され、圏内から脱落し13位に終わった。余談だが、同レースではコバライネンも同じくトロ・ロッソのジャン=エリック・ベルニュに同じように接触されている。その後もコバライネン共々苦戦し、コンストラクターズランキングを争うマルシャにもリザルトで後れを取っていた。だが最終戦ブラジルGPでマルシャのシャルル・ピックとの直接対決を制し11位で完走。このペトロフのリザルトはチームにとって最高成績であるとともに、この結果により最後の逆転でコンストラクターズ10位を掴み取った。
2020年
編集父アレクサンドルが殺害されたことに伴い、ポルトガルGPのスチュワードを急遽辞任した[7]。
DTM
編集2013年のF1シート喪失を経て、2014年2月28日にロシア人としては初となるDTM参戦が決まった。同年1月にメルセデスのDTMテストに参加しており、メルセデスからの参戦となる。[8]
レース戦績
編集略歴
編集年 | シリーズ | チーム | レース | 勝利 | PP | FL | 表彰台 | ポイント | 順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2001 | ラーダ・カップ・ロシア | ? | ? | ? | ? | ? | ? | ? | 1位 |
2002 | SK・OOO・フェイヴァリット | 5 | 5 | 5 | 5 | 5 | 500 | 1位 | |
VW・ポロ・カップ | ? | 1 | 1 | ? | ? | 1 | ? | ? | |
フォーミュラ・RUS | 10・デュイモフ | 2 | 2 | ? | ? | 2 | 41 | 10位 | |
2003 | フォーミュラ・ルノーUK ウィンター・シリーズ | ユーロテック・モータースポーツ | ? | 1 | 0 | 0 | 1 | 44 | 4位 |
フォーミュラ・ルノーUK | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 23 | 28位 | ||
フォーミュラ・ルノー2000 イタリア | ユーロノヴァ・ジュニア・チーム | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 12 | 19位 | |
フォーミュラ・ルノー2000 マスターズ | ユーロノヴァ・レーシング | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | NC | |
ユーロ・フォーミュラ3000 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 22位 | ||
2004 | フォーミュラ・ルノー2000 イタリア | ユーロノヴァ・ジュニア・チーム | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 28位 |
フォーミュラ・ルノー2000 ユーロカップ | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | NC | ||
ユーロ・フォーミュラ3000 | ユーロノヴァ・レーシング | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | NC | |
ラーダ・レヴォリューション・ロシア | エレックス・ポリウス | 4 | 1 | 4 | ? | 4 | 43 | 2位 | |
2005 | ロシア・フォーミュラ1600 | アートライン・プロチーム | 6 | 5 | 1 | ? | 9 | 85 | 1位 |
ラーダ・レヴォリューション・ロシア | マックスモーター・ウリヤノフスク | 14 | 10 | 5 | 6 | 9 | ? | 1位 | |
2006 | ユーロシリーズ3000 | ユーロノヴァ・レーシング | 17 | 4 | 0 | 2 | 9 | 72 | 3位 |
GP2シリーズ | DPR | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 28位 | |
F3000・インターナショナル・マスターズ | チャロウズ・レーシング・システム | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 29位 | |
2007 | GP2シリーズ | カンポス・グランプリ | 21 | 1 | 0 | 0 | 1 | 21 | 13位 |
2008 | バルワ・インターナショナル・カンポス・チーム | 20 | 1 | 0 | 1 | 3 | 39 | 7位 | |
GP2アジアシリーズ | 10 | 1 | 1 | 0 | 4 | 33 | 3位 | ||
2008-09 | 11 | 1 | 0 | 0 | 3 | 28 | 5位 | ||
2009 | GP2シリーズ | バルワ・アダックス・チーム | 20 | 2 | 2 | 1 | 7 | 75 | 2位 |
2010 | フォーミュラ1 | ルノーF1チーム | 19 | 0 | 0 | 1 | 0 | 27 | 13位 |
2011 | ロータス・ルノーGP | 19 | 0 | 0 | 0 | 1 | 37 | 10位 | |
2012 | ケータハムF1チーム | 20 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 19位 | |
2014 | ドイツツーリングカー選手権 | ミュッケ・モータースポーツ | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 23位 |
2016 | FIA 世界耐久選手権 - LMP2 | SMPレーシング | 9 | 0 | 0 | 0 | 1 | 63 | 9位 |
ル・マン24時間レース - LMP2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | N/A | 3位 | ||
ヨーロピアン・ル・マン・シリーズ | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 23 | 15位 | ||
2017 | FIA 世界耐久選手権 - LMP2 | CEFC・マノー・TRS・レーシング | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 46 | 18位 |
ル・マン24時間レース - LMP2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | N/A | DNF | ||
2018 | ブランパンGTシリーズ・耐久カップ | SMPレーシング by AKKA ASP | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 41位 |
ル・マン24時間レース | SMPレーシング | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | N/A | DNF | |
2018-19 | FIA 世界耐久選手権 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 22 | 10位* |
- * : 今シーズンの順位。(現時点)
フォーミュラ
編集ユーロ3000選手権
編集年 | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2006年 | ユーロノヴァ・レーシング | ADR 1 6 |
ADR 2 11 |
IMO 1 DNS |
IMO 2 3 |
SPA 1 9 |
SPA 2 4 |
HUN 1 7 |
HUN 2 1 |
MUG 1 7 |
MUG 2 1 |
SIL 1 1 |
SIL 2 Ret |
CAT 1 3 |
CAT 2 1 |
VLL 1 4 |
VLL 2 2 |
MIS 1 2 |
MIS 2 3 |
3位 | 72 |
GP2シリーズ
編集年 | エントラント | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | DC | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2006年 | DPR・ディレクシブ | VAL FEA |
VAL SPR |
IMO FEA |
IMO SPR |
NÜR FEA |
NÜR SPR |
CAT FEA |
CAT SPR |
MON FEA |
SIL FEA |
SIL SPR |
MAG FEA |
MAG SPR |
HOC FEA 15 |
HOC SPR 15 |
HUN FEA 15 |
HUN SPR 10 |
IST FEA 16 |
IST SPR 18 |
MNZ FEA Ret |
MNZ SPR 12 |
28位 | 0 |
2007年 | カンポス・グランプリ | BHR FEA 14 |
BHR SPR 11 |
CAT FEA 10 |
CAT SPR 16 |
MON FEA 6 |
MAG FEA 5 |
MAG SPR 5 |
SIL FEA 9 |
SIL SPR 9 |
NÜR FEA 11 |
NÜR SPR 17 |
HUN FEA Ret |
HUN SPR 9 |
IST FEA 17 |
IST SPR 5 |
MNZ FEA 12 |
MNZ SPR 12 |
SPA FEA 9 |
SPA SPR 11 |
VAL FEA 1 |
VAL SPR 8 |
13位 | 21 |
2008年 | CAT FEA 6 |
CAT SPR Ret |
IST FEA 5 |
IST SPR 2 |
MON FEA Ret |
MON SPR 15 |
MAG FEA 4 |
MAG SPR 18 |
SIL FEA 10 |
SIL SPR 5 |
HOC FEA Ret |
HOC SPR 12 |
HUN FEA Ret |
HUN SPR 9 |
VAL FEA 1 |
VAL SPR 15 |
SPA FEA 4 |
SPA SPR 3 |
MNZ FEA Ret |
MNZ SPR Ret |
7位 | 39 | ||
2009年 | バルワ・アダックス | CAT FEA 2 |
CAT SPR 9 |
MON FEA 2 |
MON SPR 6 |
IST FEA 1 |
IST SPR 3 |
SIL FEA 15 |
SIL SPR 10 |
NÜR FEA 4 |
NÜR SPR 4 |
HUN FEA Ret |
HUN SPR 12 |
VAL FEA 1 |
VAL SPR 3 |
SPA FEA Ret |
SPA SPR 6 |
MNZ FEA 2 |
MNZ SPR 5 |
ALG FEA 4 |
ALG SPR Ret |
2位 | 75 |
GP2アジアシリーズ
編集年 | エントラント | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | DC | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2008年 | カンポス・グランプリ | DUB1 FEA Ret |
DUB1 SPR 9 |
SEN FEA 5 |
SEN SPR 3 |
SEP FEA 1 |
SEP SPR 3 |
BHR FEA 10 |
BHR SPR 3 |
DUB2 FEA 4 |
DUB2 SPR Ret |
3位 | 33 | ||
2008-09年 | SHI FEA 5 |
SHI SPR Ret |
DUB FEA 5 |
DUB SPR C |
BHR1 FEA 10 |
BHR1 SPR 12 |
LSL FEA 3 |
LSL SPR 2 |
SEP FEA 6 |
SEP SPR 1 |
BHR2 FEA 19 |
BHR2 SPR 11 |
5位 | 28 |
F1
編集年 | エントラント | シャシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | WDC | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2010年 | ルノー | R30 | ルノー RS27-2010 2.4 V8 | BHR Ret |
AUS Ret |
MAL Ret |
CHN 7 |
ESP 11 |
MON 13† |
TUR 15 |
CAN 17 |
EUR 14 |
GBR 13 |
GER 10 |
HUN 5 |
BEL 9 |
ITA 13 |
SIN 11 |
JPN Ret |
KOR Ret |
BRA 16 |
ABU 6 |
13位 | 27 | |
2011年 | ロータス・ルノー | R31 | ルノー RS27-2011 2.4 V8 | AUS 3 |
MAL 17† |
CHN 9 |
TUR 8 |
ESP 11 |
MON Ret |
CAN 5 |
EUR 15 |
GBR 12 |
GER 10 |
HUN 12 |
BEL 9 |
ITA Ret |
SIN 17 |
JPN 9 |
KOR Ret |
IND 11 |
ABU 13 |
BRA 10 |
10位 | 37 | |
2012年 | ケータハム | CT01 | ルノー RS27-2012 2.4 V8 | AUS Ret |
MAL 16 |
CHN 18 |
BHR 16 |
ESP 17 |
MON Ret |
CAN 19 |
EUR 13 |
GBR DNS |
GER 16 |
HUN 19 |
BEL 14 |
ITA 15 |
SIN 19 |
JPN 17 |
KOR 16 |
IND 17 |
ABU 16 |
USA 17 |
BRA 11 |
19位 | 0 |
スポーツカー
編集FIA 世界耐久選手権
編集年 | エントラント | クラス | 車両 | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2016年 | SMPレーシング | LMP2 | BRエンジニアリング・BR01 | 日産 VK45DE 4.5L V8 | SIL 8 |
SPA 9 |
LMS 3 |
NÜR 6 |
MEX Ret |
COA 6 |
FUJ 10 |
SHA 7 |
BHR 8 |
9位 | 63 |
2017年 | CEFC・マノー・TRS・レーシング | LMP2 | オレカ・07 | ギブソン GK428 4.2L V8 | SIL 7 |
SPA 8 |
LMS Ret |
NÜR 7 |
MEX 8 |
COA Ret |
FUJ 7 |
SHA 5 |
BHR 5 |
18位 | 46 |
2018-19年 | SMPレーシング | LMP1 | BRエンジニアリング・BR1 | AER P60B 2.4L Turbo V6 | SPA 5 |
LMS Ret |
SIL Ret |
FUJ 4 |
SHA 3 |
SEB 3 |
SPA 3 |
LMS 3 |
4位 | 94 |
(key)
ヨーロピアン・ル・マン・シリーズ
編集年 | エントラント | クラス | シャシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2016年 | SMPレーシング | LMP2 | BRエンジニアリング・BR01 | 日産 VK45DE 4.5L V8 | SIL | IMO | RBR | LEC | SPA 6 |
EST 3 |
15位 | 23 |
(key)
ブランパンGTシリーズ・耐久カップ
編集年 | チーム | 車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2018年 | SMPレーシング・AKKA ASP | メルセデスAMG・GT3 | Pro | MNZ Ret |
SIL Ret |
LEC 7 |
SPA 16 |
CAT | 41位 | 6 |
(key)
ル・マン24時間レース
編集ル・マン24時間レース 結果 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 順位 | クラス 順位 |
2007年 | ノエル・デル・ベロ・レーシング | ロマン・イアネッタ リズ・ハリデイ |
クラージュ・LC75-AER | LMP2 | 198 | DNF | DNF |
2016年 | SMPレーシング | キリル・ラディギン ヴィクトル・シャイタル |
BRエンジニアリング・BR01-日産 | LMP2 | 353 | 7位 | 3位 |
2017年 | CEFC・マノー・TRS・レーシング | ロベルト・ゴンザレス サイモン・トルマー |
オレカ・07-ギブソン | LMP2 | 152 | DNF | DNF |
2018年 | SMPレーシング | ミハイル・アリョーシン ジェンソン・バトン |
BRエンジニアリング・BR1-AER | LMP1 | 315 | DNF | DNF |
2019年 | ミハイル・アリョーシン ストフェル・バンドーン |
LMP1 | 379 | 3位 | 3位 |
ドイツツーリングカー選手権
編集年 | チーム | 車両 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2014年 | ミュッケ・モータースポーツ | メルセデスAMG・C63 クーペ | HOC 17 |
OSC 17 |
HUN 17 |
NOR 19 |
MSC 18 |
SPL 20 |
NÜR 18 |
LAU 12 |
ZAN 11 |
HOC 18† |
23位 | 0 |
(key)
- † : リタイアだが、75%以上の距離を走行したため規定により完走扱い。
脚注
編集- ^ EU3000: Vitaly Petrov Adria race report
- ^ Q & A with Vitaly Petrov
- ^ a b c d e f g h "[1]
- ^ Vitaly Petrov to race for the Renault F1 Team in 2010 - Renault F1 Team
- ^ “ルノー、ペトロフの残留を発表/F1”. サンスポ. (2010年12月23日) 2011年2月14日閲覧。
- ^ “ケータハム、ヴィタリー・ペトロフを起用!トゥルーリがシート喪失”. F1 Gate.com. (2012年2月17日) 2012年2月18日閲覧。
- ^ “ヴィタリー・ペトロフは、自身の父が亡くなったことを受け、F1ポルトガルGPのスチュワードを辞任することとなった。”. jp.motorsport.com. jp.motorsport.com. 2020年10月25日閲覧。
- ^ “ペトロフ、メルセデスからDTM参戦が決定”. AUTO SPORT web. (2014年2月28日) 2014年3月1日閲覧。
外部リンク
編集- ヴィタリー・ペトロフ公式サイト
- Vitaly Petrov (@vitalypetrov10) - X(旧Twitter)
- Vitaly Petrov.ru (154513514597652) - Facebook