ヴィットリオ・ストラーロ

イタリアの撮影監督

ヴィットリオ・ストラーロVittorio Storaro, 1940年6月24日 - )はイタリアローマ生まれの映画キャメラマン撮影監督

ヴィットリオ・ストラーロ
Vittorio Storaro
Vittorio Storaro
2001年カンヌ国際映画祭にて
生年月日 (1940-06-24) 1940年6月24日(84歳)
出生地 ローマ
国籍 イタリアの旗 イタリア
職業 撮影監督
受賞
アカデミー賞
撮影賞
1979年地獄の黙示録
1981年レッズ
1987年ラストエンペラー
カンヌ国際映画祭
フランス高等技術委員会賞
1998年タンゴ
ヨーロッパ映画賞
撮影賞
2000年ゴヤ
全米映画批評家協会賞
撮影賞
1971年暗殺の森
ニューヨーク映画批評家協会賞
撮影賞
1987年『ラストエンペラー』
1990年シェルタリング・スカイ
ロサンゼルス映画批評家協会賞
撮影賞
1981年『レッズ』
1987年『ラストエンペラー』
英国アカデミー賞
撮影賞
1990年『シェルタリング・スカイ』
エミー賞
撮影賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門)
2000年デューン/砂の惑星
ゴヤ賞
撮影賞
1999年『ゴヤ』
その他の賞
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略歴

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映写技師だった父親の推薦で十代でイタリアの国立映画学校に入学し、映画撮影を学ぶ。卒業後はキャメラ・オペレーターや舞台照明の仕事を経験し、1964年に撮影に参加した『革命前夜』でベルナルド・ベルトルッチと知り合い、親交を結ぶ。

その後、ベルトルッチとコンビを組むようになり、1970年に発表された『暗殺の森』では、芸術的な色彩感覚と若手ながらも完成された撮影スタイルにより脚光を浴び、監督であるベルトルッチと共に注目を集める。

以後、『ラストタンゴ・イン・パリ』や『1900年』などベルトルッチとの名コンビぶりを発揮し、70年代後半にはアメリカ映画界にも進出、フランシス・フォード・コッポラ監督『地獄の黙示録』、ウォーレン・ベイティ監督『レッズ』、また再びベルトルッチと組んだ『ラストエンペラー』でアカデミー撮影賞を3度も受賞し、名実共にトップキャメラマンとして活躍している。

「光で書く」(Writing with Light)「色は象徴である」と公言する通り、照明にはかなりの哲学を持っており、その圧倒的な色彩感覚は多くのカメラマンに影響を与え続けている。また、カンヌ映画祭の審査委員や照明デザイナーとしても活躍し、後進の育成や撮影技術の開発、保護などにも尽力を注いでいる。近年ではカルロス・サウラとのコンビが多い。

独自の映像フォーマットUnivisium(アスペクト比2:1、3パーフォレーション)を提唱しており、いくつかの作品はそれに添った形でDVDが再発売されている[1]

2003年、ICG(国際撮影監督協会)は映画撮影史上最も影響を与えた人物としてビリー・ビッツアージョーダン・クローネンウェスコンラッド・L・ホールジェームズ・ウォン・ハウグレッグ・トーランドハスケル・ウェクスラーゴードン・ウィリスフレディ・ヤングヴィルモス・スィグモンドスヴェン・ニクヴィストと並んで ヴィットリオ・ストラーロを選出した。

主な作品

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受賞歴

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脚注

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  1. ^ 『地獄の黙示録』(特別完全版、オリジナル版共に)、『レッズ』、『ラストエンペラー』(東北新社版『ラストエンペラー ディレクターズカット』)

外部リンク

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