ヴィテプスク県
ヴィテプスク県(ロシア語: Витебская губерния)はロシア帝国、白ロシア・ソビエト社会主義共和国の県の一つ。県庁所在地はヴィテプスク。
県章 | |
基本情報 | |
---|---|
設置期間 | 1802年‐1924年 |
県庁所在地 | ヴィテプスク |
人口 | 1,489,246 人(1897年) |
面積 | 43,984 km2 |
現ベラルーシ・ヴィツェプスク州の北東部、現ラトビア東部(ダウガフピルス、レーゼクネ、Ludza(ru)等の諸都市を含む地域)、現ロシア(ネヴェリ、セーベジ、ヴェリジ等の諸都市を含む地域)にまたがる地域を管轄していた。
歴史
編集帝政ロシア期
編集1802年3月11日、帝政ロシア元老院の法令によって、白ロシア県を二分割(もう片方はモギリョフ県)して設置された。なお、白ロシア県はポロツク県とモギリョフ県を合併させて作られた県であったが、これが再度分割されたことになる。発足時は12の郡(ウエズド)から成っていたが、1886年にスラジ郡(ru)が廃止され、以降、帝政ロシアの崩壊(ロシア革命は1917年)まで11郡体制であった。また、19世紀末のその下位区分の総数は、市(ゴロド):12、メステチコ:41、セロ:19750であった。
帝政ロシア末期のヴィテプスク県には以下の11郡(ウエズド)が属していた。
郡 | 行政中心地 | 面積(露里²) | 郷全域人口(人) | 行政中心地人口(人) |
---|---|---|---|---|
県全体 | ヴィテプスク | 38649.5 | 148,9246 | 21,5919 |
ヴィテプスク郡(ru) | ヴィツェプスク | 2861.1 | 17,7432 | 6,5871 |
ゴロドク郡(ru) | ハラドク(ru) | 3107.1 | 11,2033 | 5023 |
ドリッサ郡(ru) | ドルィサ | 2568.9 | 9,7083 | 4238 |
レペリ郡(ru) | レペリ | 3401.6 | 15,6706 | 6284 |
ポロツク郡(ru) | ポラツク | 4186.7 | 14,1841 | 2,0294 |
ドヴィンスク郡(ru) | ダウガフピルス | 3860.4 | 23,7023 | 6,9675 |
リュツィン郡(ru) | Ludza(ru) | 4600.1 | 12,8155 | 5140 |
レジツァ郡(ru) | レーゼクネ | 3581.9 | 13,6445 | 1,0795 |
ヴェリジ郡(ru) | ヴェリジ | 3900.0 | 10,0079 | 1,2193 |
ネヴェリ郡(ru) | ネヴェリ | 3397.7 | 11,0394 | 9349 |
セーベジ郡(ru) | セーベジ | 3184.0 | 9,2055 | 4326 |
[註] ・行政中心地の背景色は、その自治体が現在所属する国を示す(黄:ベラルーシ、青:ラトビア、赤:ロシア)。 ・郡名はロシア語に基づく。また、黄:ベラルーシ語、青:ラトビア語、赤:ロシア語に基づく。 ・面積は平方ベルスタ(露里)。1ベルスタ = 約1067メートル ・人口は1897年の統計による[1]。 ・斜体は行政中心地の各市に加え、スラジ(ru)の2市を含む県内の市の総数。 ・ドルィサは後に改称し、現ヴェルフニャズヴィンスク。 |
郡 | ベラルーシ人 | ラトビア人 | ロシア人 | ユダヤ人 | ポーランド人 | ドイツ人 |
---|---|---|---|---|---|---|
県全体 | 53.0% | 17.7% | 13.3% | 11.7% | 3.4% | |
ヴィテプスク郡 | 51.1% | 2.2% | 20.1% | 22.3% | 3.2% | |
ゴロドク郡 | 83.6% | 10.7% | 4.7% | |||
ドリッサ郡 | 86.2% | 1.6% | 9.1% | 2.4% | ||
レペリ郡 | 82.0% | 1.7% | 11.6% | 4.0% | ||
ポロツク郡 | 73.1% | 1.2% | 11.1% | 12.1% | 2.0% | |
ドヴィンスク郡 | 13.8% | 39.0% | 15.3% | 20.0% | 9.1% | 1.8% |
リュツィン郡 | 20.5% | 64.2% | 7.1% | 4.9% | 2.2% | |
レジツァ郡 | 5.4% | 57.9% | 23.9% | 7.4% | 4.8% | |
ヴェリジ郡 | 85.7% | 2.5% | 1.3% | 9.8% | ||
ネヴェリ郡 | 84.0% | 7.1% | 7.4% | |||
セーベジ郡 | 47.1% | 47.1% | 3.8% | 1.5% |
ソビエト連邦期
編集ソ連成立後は白ロシア・ソビエト社会主義共和国に属し、1919年にモギリョフ県からセンノ郡(ru)、1920年にゴメリ県からオルシャ郡(ru)が移管されたが、同年にドヴィンスク郡(ru)、リュツィン郡(ru)、レジツァ郡(ru)がラトビア共和国へ割譲された。1923年にゴロドク郡(ru)、ドリッサ郡(ru)、センノ郡は廃止され、レペリ郡はボチェイコヴォ郡へと改称された。
1924年3月24日には県時代が廃止された。大部分は白ロシア共和国の領域として残ったが、ヴェリジ郡(ru)、ネヴェリ郡(ru)、セーベジ郡(ru)はロシア・ソビエト連邦社会主義共和国のプスコフ県に移管された[3]。
行政の長
編集出身者
編集出典
編集参考文献
編集- Витебская губерния // Энциклопедический словарь Брокгауза и Ефрона: В 86 томах (82 т. и 4 доп.) — СПб., 1890—1907.