ヴィンス・エドワーズ

アメリカ合衆国の俳優

ヴィンス・エドワーズVince Edwards1928年7月9日 - 1996年3月11日)は、アメリカ合衆国俳優演出家歌手ヴィンセント・エドワーズとも表記される。日本でも放送され大ヒットしたメディカルドラマ『ベン・ケーシー』(1961年 - 1966年)の主演俳優として知られている[1][2]

ヴィンス・エドワーズ
Vince Edwards
Vince Edwards
ドラマ『ベン・ケーシー』より
1963年8月22日放送回)
本名 Vincent Edward Zoino
Vincente Eduardo Zoino[1]
別名義 ヴィンセント・エドワーズ
生年月日 (1928-07-09) 1928年7月9日
没年月日 (1996-03-11) 1996年3月11日(67歳没)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ニューヨーク市ブルックリン
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス
民族 イタリア系アメリカ人[2]
身長 188 cm
職業 俳優演出家歌手
ジャンル テレビ・映画
活動期間 1951年 - 1995年
配偶者 キャシー・カーシュ(1965年)
リンダ・フォスター(1967年 - 1972年)
カサンドラ・エドワーズ(1980年 - ?)
ジャネット・フリードマン(1994年 - 1996年)
主な作品
ベン・ケーシー』(1961年 - 1966年)
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略歴 編集

1928年にイタリア系アメリカ人の煉瓦職人であるヴィンチェント・ゾイーノの息子として双子で生まれる(双子の弟アンソニーは7人兄弟の末っ子)[2]

高校時代は水泳選手として活躍し、奨学金をもらってオハイオ州立大学に入学、2年後にハワイ大学に転校してオリンピックを目指す[2]が、虫垂炎の手術により断念。

アメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツで演技を学び、ニューヨークの舞台に立つ[2]

パラマウント映画と契約し、1951年の映画『Mr. Universe』で映画デビュー。3本目に出演した翌1952年の映画『Hiawatha』では初主演を果たす。その後、いくつかの映画やテレビドラマに主演や準主演で出演するが、特に目立った活躍を見せることはなかった。

俳優以外にも歌手として活動して、各地のクラブで歌ったこともあった。そしてやがてビング・クロスビーに見出されて、そのビング・クロスビープロダクションが製作したのが『ベン・ケーシー』であった。

1961年に放送が始まった『ベン・ケーシー』に主演として抜擢されて、このドラマの大ヒットにより、米国だけでなく、日本でも人気スターとなる。また同作においては多くのエピソードで演出も担当している。更にドラマの人気にあやかり、6枚のレコードアルバムを発売するなど歌手としても活動し、ニューヨークやラスベガスロサンゼルスで行なったショーは完売となった。

その後もテレビドラマや映画『勝利者』『コマンド戦略』に出演し、『宇宙空母ギャラクティカ』(1978年、1980年)などのテレビドラマの演出も担当するが、ベン・ケーシーのイメージが強すぎたためか、役柄が限られて特に目立った活躍を見せることはなかった。

1996年、膵臓癌により死去[2]

主な出演作品 編集

エピソード 編集

マルチアスリートとして知られるボー・ジャクソンの本名「Vincent Edward」はヴィンス・エドワーズから名付けられた[3]

出典 編集

  1. ^ a b Vince Edwards Biography (1928-)” (英語). Film Reference. 2021年3月8日閲覧。
  2. ^ a b c d e f Grimes, William (1996年3月13日). “Vince Edwards, 67, the Doctor In the Hit TV Series 'Ben Casey'” (英語). The New York Times. https://www.nytimes.com/1996/03/13/nyregion/vince-edwards-67-the-doctor-in-the-hit-tv-series-ben-casey.html 2021年3月8日閲覧。 
  3. ^ Vince Edwards - Biography” (英語). IMDb. 2012年1月3日閲覧。

外部リンク 編集