ヴェルナー・ハーゼ(Werner Haase、1900年8月2日 - 1950年11月30日)は、親衛隊将校軍医アドルフ・ヒトラーの主治医の一人。最終階級は親衛隊中佐(上級大隊指導者)。

経歴 編集

ケーテン出身。1933年にナチス入党、1941年から親衛隊に所属。1945年時点での階級は親衛隊中佐。1935年からヒトラーの医師団の一員となった。ヒトラーの個人的信頼を得ていたという。

1945年4月のベルリン市街戦では、エルンスト=ギュンター・シェンクとともに軍医として総統官邸にあった。4月29日に総統地下壕に呼ばれ、ヒトラーの主治医ルートヴィヒ・シュトゥンプフエッガーが、ヒトラーが自殺に使う青酸カリを試験するためにヒトラーの愛犬ブロンディに毒を飲ませるのを手伝った。ヒトラーの自殺(4月30日)後は総統地下壕の隣の地下壕に移り、そこでソ連軍の捕虜となった。5月6日、ソ連軍に命じられてヨーゼフ・ゲッベルスとその妻マクダ、6人の子供たちの検死に立ち会った。

1945年6月にナチスの一味として裁判にかけられ投獄される。ソ連による囚われの身のまま、1950年11月に結核で死去。ソ連側の記録によれば、死亡地はモスクワにあるブトリュカ刑務所の病院とある。

ロシア政府が1991年10月18日に制定した「政治的弾圧の犠牲者の名誉回復に関する法律」に基づき、1992年4月28日に名誉回復された。