ヴォイジャー (駆逐艦・初代)
ヴォイジャー (HMS Voyager, G36/G16/D31、HMAS Voyager, D31/I31) は、イギリス海軍の駆逐艦。W級。後にオーストラリア海軍の駆逐艦ヴォイジャー (HMAS Voyager) となった。「ヴォイジャー」はW級の中で唯一艦名がVから始まる艦(他はW)であった[1]。
HMS/HMAS ヴォイジャー | |
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HMASヴォイジャー | |
基本情報 | |
建造所 | アレクサンダー・スティーヴン・アンド・サンズ |
運用者 |
イギリス海軍 オーストラリア海軍 |
級名 | W級駆逐艦 |
艦歴 | |
起工 | 1917年5月17日 |
進水 | 1918年5月8日 |
就役 |
1918年6月24日(イギリス海軍) 1933年10月11日(オーストラリア海軍) 1938年4月26日(オーストラリア海軍・再就役) |
退役 |
1933年10月11日(イギリス海軍) 1936年4月14日(オーストラリア海軍) |
最期 | 1942年9月23日に座礁後自沈処分 |
要目 | |
基準排水量 | 1,100 トン |
満載排水量 | 1,470 トン |
全長 | 312.1 ft (95.1 m) |
垂線間長 | 300 ft (91.4 m) |
最大幅 | 29.6 ft (9.0 m) |
吃水 | 14.7 ft (4.4 m) |
主缶 | ヤーロー缶 × 3基 |
主機 | ブラウン・カーチス式蒸気タービン × 2基 |
出力 | 27,000 shp (20 MW) |
推進器 | 2軸推進 |
最大速力 | 34ノット (63 km/h;39 mph) |
航続距離 |
2,600海里 (4,800 km) 15ノット (28km/h;17 mph)時 |
乗員 | 士官6名、兵員113名 |
兵装 |
45口径10.2cm単装砲×4基 ヴィッカース39口径40mm単装機銃×1基(のち2基に増加) エリコン20mm単装機銃×2基(後日装備) 7.7mm機銃×5基 53.3cm3連装魚雷発射管×2基(のち1基撤去) 爆雷投射機および爆雷投下台 |
艦歴 編集
アレクサンダー・スティーヴン・アンド・サンズ社のグラスゴーの造船所で1917年5月17日起工[1]。1918年5月8日に進水し[1]、1918年6月24日に就役した[2]。
1933年、イギリス海軍本部はオーストラリア海軍に貸与している5隻のS級駆逐艦をより性能のよい(ただし少し古い)駆逐艦に置き換えることを決定した[3]。「ヴォイジャー」はその一隻に選ばれ、1933年10月11日にポーツマスでオーストラリア海軍に就役した[2]。「ヴォイジャー」は1944年12月21日にオーストラリアに到着し、1936年4月14日に予備役となるまで平時の任務に従事した[2]。1938年に再就役し、第二次世界大戦が勃発するまでは訓練航海に参加している[4]。
第二次世界大戦 編集
1939年10月14日に「ヴォイジャー」はシドニーを離れた[2]。当初はシンガポールに配備される予定であったが、途中で地中海へ送られることになった[4]。「ヴォイジャー」などのオーストラリアの駆逐艦部隊はドイツの宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスに屑鉄戦隊と呼ばれた[5]。
「ヴォイジャー」は1940年1月1日から作戦に参加し、最初はアレクサンドリアから船団護衛を行った[2]。4月にはマルタでドック入りした[2]。「ヴォイジャー」は6月18日と19日に潜水艦を攻撃したものの成果は無かったが、6月27日には駆逐艦「デインティ」、「アイレクス」、「デコイ」、「ディフェンダー」とともにイタリア潜水艦「コンソーレ・ジェネラーレ・リウッツィ」を攻撃して降伏させた[2]。また、その二日後にもイタリア潜水艦「ウエビ・セベリ」を沈め乗員を捕虜とした[2][6]。7月9日、空母「イーグル」の護衛としてカラブリア沖海戦に参加[2]。それに続いてマルタからアレクサンドリアへの船団の護衛に従事した[2]。
7月23日、「ヴォイジャー」で短い水兵の反抗があり、12人が食堂の外で座り込み彼らが問題だとすることが聞き入れられるまで動こうとしなかった[7]。反抗の理由としては、艦の兵装が対空戦用になっていないというものや、艦のカモフラージュを塗りなおせという命令のため上陸の機会が奪われている、と述べられた[7]。艦長がその場で赴き、議論をして問題の解決を図ったが、この反抗の理由やどうやって解決したかについての公式の報告は無く、また水兵に対する処罰も無かった[8]。
「ヴォイジャー」は9月までアレクサンドリアに留まり、それから修理のためマルタへ移動した[2]。10月、クレタ島への基地建設のため補給物資の輸送の従事[2]。1940年残りの期間はマルタへの船団の護衛やリビアの陸上部隊の支援に従事した[9]。
1941年3月、「ヴォイジャー」はラスター作戦(ギリシャへの増援)に参加[9]。続いてギリシャからの撤退作戦(デーモン作戦)に参加。
それから7月に機関の問題が発生するまではトブルクへの輸送作戦に従事した[10]。「ヴォイジャー」はシドニーへ向かい、屑鉄戦隊で地中海を離れた最初の艦となった[10][11]。1941年9月から1942年3月まで修理が行われ、完了後はオーストラリア周辺で船団護衛に従事した[10]。
1942年2月の日本軍によるティモール島占領後、当初連合国軍はすべて死亡するか捕虜となったものと思われていたが実際は第2/2独立中隊が他の生き残りのオーストラリア兵やオランダ兵の支援を受けて日本軍に対するゲリラ戦を行っていることが明らかとなった[12][13]。第2/4独立中隊400名を上陸させ、第2/2独立中隊とポルトガル人の女性や子供を脱出させることを1942年9月に行うことが計画され、それには大きな収容力や速力、不意を付けることが必要であるため駆逐艦の使用が要求されて、これに「ヴォイジャー」が参加することになった[12][13]。
第2/4独立中隊は1942年9月22日にダーウィンで乗船し、彼らを岸に運ぶための艀や補給品やも積み込まれた[13]。上陸地点であるベタノ湾に「ヴォイジャー」は9月23日18時30分に停泊した[13]。艦の位置がよくなかったため、位置を変えようと碇をあげたところ、「ヴォイジャー」は波に流され座礁してしまった[13]。艦を軽くして離礁を試みるもうまくいかなかった[13]。
9月24日13時30分、座礁している「ヴォイジャー」は2機の日本軍機に発見され、爆撃機は撃墜されたが護衛の戦闘機により報告さた[10][13]。16時、日本軍の爆撃機が「ヴォイジャー」や岸辺を攻撃[12][13]。「ヴォイジャー」は完全に破壊されたが乗員は全員無事であった[13]。その後、9月25日20時に掃海艇「カルグーリー」と「ウォーナンブール」により救助された[12][13]。
栄典 編集
「ヴォイジャー」は生涯で合計7個の戦闘名誉章(Battle honours)を受章した。
Darwin 1942・Calabria 1940・Libya 1940–41・Greece 1941・Crete 1941・Mediterranean 1941・Pacific 1942
脚注 編集
- ^ a b c Cassells, The Destroyers, p. 166
- ^ a b c d e f g h i j k l Cassells, The Destroyers, p. 167
- ^ Cassells, The Destroyers, p. 154
- ^ a b HMAS Voyager (I), Sea Power Centre
- ^ THE SCRAP-IRON FLOTILLA Chapter 1. Scrap Iron or "Scrap" Iron?
- ^ Goldrick, in The Royal Australian Navy, p. 112
- ^ a b Frame & Baker, Mutiny, p. 152
- ^ Frame & Baker, Mutiny!, pp. 151-2
- ^ a b Cassells, The Destroyers, p. 168
- ^ a b c d Cassells, The Destroyers, p. 169
- ^ Goldrick, in The Royal Australian Navy, p. 119
- ^ a b c d Goldrick, in The Royal Australian Navy, p. 130
- ^ a b c d e f g h i j Bauer, Heroic stand of HMAS Armidale
参考文献 編集
- 書籍
- Cassells, Vic (2000). The Destroyers: their battles and their badges. East Roseville, NSW: Simon & Schuster. ISBN 0-7318-0893-2. OCLC 46829686
- Frame, Tom; Baker, Kevin (2000). Mutiny! Naval Insurrections in Australia and New Zealand. St. Leonards, NSW: Allen & Unwin. ISBN 1-86508-351-8. OCLC 46882022
- Goldrick, James (2001). “World War II: The war against Germany and Italy (pp. 103–126), World War II: The war against Japan (pp. 127–154)”. In Stevens, David. The Royal Australian Navy. The Australian Centenary History of Defence (vol III). South Melbourne, VIC: Oxford University Press. pp. 103–126. ISBN 0-19-555542-2. OCLC 50418095
- ジャーナル
- Feuer, A.B. (February 1999). “Heroic stand of HMAS Armidale”. World War II 13 (6): 50–57. ISSN 0898-4204.
- ウェブサイト
- “HMAS Voyager (I)”. Royal Australian Navy. 2008年8月23日閲覧。