ヴジョクールVoujeaucourt)は、フランスブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏ドゥー県コミューン。地元方言では地名をVouedjacouëという。

Voujeaucourt


地図
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) ブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏
(département) ドゥー県
(arrondissement) モンベリアール郡
小郡 (canton) ヴァランティニェイ小郡
INSEEコード 25632
郵便番号 25420
市長任期 マルティーヌ・ヴォワデ[1]
2014年-2020年
自治体間連合 (fr) fr:Pays de Montbéliard Agglomération
人口動態
人口 3393人
2014年
人口密度 359人/km2
住民の呼称 Voujeaucourtois/Vodjacois[2]
地理
座標 北緯47度28分34秒 東経6度46分30秒 / 北緯47.4761111111度 東経6.775度 / 47.4761111111; 6.775座標: 北緯47度28分34秒 東経6度46分30秒 / 北緯47.4761111111度 東経6.775度 / 47.4761111111; 6.775
標高 平均:m
最低:305m
最高:416m
面積 9.45km2
Voujeaucourtの位置(フランス内)
Voujeaucourt
Voujeaucourt
公式サイト www.voujeaucourt.fr
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地理 編集

バヴァンの手前にある。モンベリアルから9km、ベルフォールから30km、ブザンソンから70km離れている。

由来 編集

  • Voujeaucourt : V(y)iascortまたはVijascort(1173年) ; Wiiascurt(1181年) ; Wyascort(1189年) ; Vigiacort(1196年) ; Voiacourt(1276年) ; Woijacort(1279年) ; Voujacour (1359年), Vogeaucourt, Vougeacourt, Vougacourt(1404年) ; Voujaucourt(1423年) ; Vouljacourt(1494年と1614年) ; Voulgeaucourt(1616年) ; Voujaucour(1671年) ; Voujaucourt(1765年)[3]
  • Nostranges : Ostranges (1181年)、Otrange (1412年)。

歴史 編集

ヴジョクールは、歴史的にモンベリアル伯領の一部であった。モンベリアル伯領は1793年にフランスに併合されている。

ドゥー川に架かる税関橋はコミューンの中心部にあり、1467年に建設されたものである。橋は全ての戦争でひどく傷めつけられ、6度にわたって部分的に破壊されている。1589年4月、モンベリアル伯フレデリックによって再建された。彼は橋の基礎部分に3つの言語(フランス語、ドイツ語、ラテン語)で刻印された、1587年のユグノー戦争の災禍を想起させる銘板を掲げた。

17世紀には、この橋はフランシュ=コンテ公領とモンベリアル伯領の間のドゥー川を渡る唯一の道だった。橋のアーチは良い状態で保存されている。現在の幅は、最初に建てられた際の幅とほぼ同じである。歩道に石が敷かれたのはもちろんだが、1mのコンクリートも付け足された。伝説によると、1497年頃のクリスマスイヴの夜、橋の隣で腹を裂かれたシカが見つかった。それ以来、ヴジョクール住民はシカとトリップを幸運の印とみなしている。

コミューンには2つの教会がある。ルター派の改革派教会は1833年に発足し、モンベリアル地方では独特の楕円形をしている。カトリックのサン・ミシェル教会は1867年に奉献された。クワイヤにある等身大のキリスト磔刑像は圧倒的である。この木製の彫刻は、1725年の火事で破壊されたノートル・ダム・ド・ベルシャン修道院からもたらされた。

人口統計 編集

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2007年 2014年
2765 2907 2959 2775 3176 3195 3396 3393

参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[4]、2006年以降INSEE[5][6]

ギャラリー 編集

姉妹都市 編集

脚注 編集