ヴュルテンベルク自由人民州

ヴュルテンベルク自由人民州
Freier Volksstaat Württemberg
ヴュルテンベルク王国 1918年 - 1945年 バーデン=ヴュルテンベルク州
ヴュルテンベルクの国旗 ヴュルテンベルクの国章
(国旗) (国章)
ヴュルテンベルクの位置
1925年のヴュルテンベルク自由人民州
公用語 ドイツ語
首都 シュトゥットガルト
国家代理官
1933年 - 1945年 ヴィルヘルム・ミュール
ヴュルテンベルク首相
1918年 - 1920年ヴィルヘルム・ブロス
1933年 - 1945年クリスティアン・マーゲンターラー
面積
1925年[1]19,508km²
人口
1925年[1]2,580,235人
変遷
ドイツ革命 1918年11月9日
州憲法成立1919年9月29日
自治権停止1933年4月7日
バーデン=ヴュルテンベルク州の成立1952年4月25日
現在ドイツの旗 ドイツ

ヴュルテンベルク自由人民州ドイツ語: Freier Volksstaat Württemberg)は、1918年ドイツ革命によりヴュルテンベルク王国の君主制が倒されて成立したドイツ国の州である。

ドイツ革命編集

第一次世界大戦末のドイツ革命は一部で大規模な暴力を伴ったが、ヴュルテンベルク王国は無血革命によりヴュルテンベルク王ヴィルヘルム2世が1918年11月30日に退位して共和制に移行した。領土も内政も変化することなく、1919年にヴュルテンベルク自由人民州憲法とヴァイマル憲法の制定によってヴュルテンベルク自由人民州はドイツ国の構成国となった[2]

ヴァイマル共和政期のドイツは政治的に混乱していたが、ヴュルテンベルク自由人民州政府は君主制当時からの継続性と安定性を保っていた。例えば、1920年から1932年にかけてドイツ国首相は何度も変わったが、ヴュルテンベルク自由人民州議会は1度も途中解散されることなく4年の任期を満了している。また、 他の多くの州で与党の座にあったドイツ社会民主党はヴュルテンベルクでは早い時期に州政権への影響力を失っており、1924年から1933年まで保守連立政権が州政を運営していた。ドイツは1920年代・1930年代に何度も金融危機の影響を受けていたが、ヴュルテンベルク自由人民州は他のほとんどの州よりも経済発展が進んでおり、州都シュトゥットガルトは金融と文化の中心地となっていた。

1933年–1952年編集

1933年のナチ党の権力掌握と、それに続く強制的同一化によりナチ党以外のすべての組織が排除されると、ヴュルテンベルク自由人民州のみならず他のすべてのドイツの州は、実質的に廃止されたも同然となった。ヴュルテンベルク自由人民州はプロイセン自由州ホーエンツォレルン県と合わせてヴュルテンベルク=ホーエンツォレルン大管区に統合された。第二次世界大戦後、ヴュルテンベルク自由人民州は南北でアメリカ占領地域フランス占領地域に分割され、アメリカ占領地域は旧バーデン共和国の北半分と統合されてヴュルテンベルク=バーデン州となった。また、フランス占領地域のうち旧ヴュルテンベルク自由人民州の領域はヴュルテンベルク=ホーエンツォレルン州となり、旧バーデン共和国の南半分はバーデン州となった。これらの3州が1952年に合併し、現在も存続するドイツ連邦共和国バーデン=ヴュルテンベルク州が成立した。

ポルシェのエンブレムは、本社所在地であるヴュルテンベルク自由人民州およびシュトゥットガルト市の紋章にインスピレーションを受けて制作されたものである。

出典編集

  1. ^ a b Beckmanns Welt-Lexikon und Welt-Atlas. Leipzig / Vienna: Verlagsanstalt Otto Beckmann. (1931). 
  2. ^ Article 1 of the Württemberg constitution (25 September 1919) states: "Württemberg is a democratic republic and member of the German Reich. Its state authority is exerted in accordance with both this constitution and German national law". Article 2 of the Weimar Constitution (11 August 1919) states: "The territory of the German Reich consists of the territory of its member states."