ヴラディスラフ・クヴャトコフスキー
ヴラディスラフ・イオシフォヴィチ・クヴャトコフスキー(ロシア語:Владислав Иосифович Квятковский、1897年9月4日 - 1985年11月18日)は、ロシア帝国の貴族、軍人[1][2]。
生涯編集
サンクトペテルブルクで、技術者一家の三男として生まれた。
1918年に海軍士官学校卒業後、駆逐艦カピタン・イズィリメチエフに配属されたが、直後に船でフィンランドへと逃れることとなった。
ロシア内戦時、ユデーニチ将軍の北西軍に参加し、巡視船キトボエの機関員として搭乗。
キトボエ号でレーヴェリからコペンハーゲンまで行き、そこから商船に雇われてアメリカへと渡った。コネチカット州に移住し、残りの人生の大半を自動車の部品やコンポーネントの製造工場で働きながら過ごし、退職後はニューヘイブンに住んだ。
1985年に死去する。
家族編集
4人兄弟で兄のヴァレリアン、ゲオルギー、妹のエフゲニアがいた。
脚注編集
- ^ “Квятковский Владислав Иосифович — Russian Estonia”. russianestonia.eu. 2023年1月11日閲覧。[信頼性要検証]
- ^ “Волков С.В. База данных «Участники Белого движения в России» на январь 1914. Буква "К"”. База данных №2: «Участники Белого движения в России». 2016年1月1日閲覧。