一心太助 江戸っ子祭り

一心太助 江戸っ子祭り』(いっしんたすけえどっこまつり)は、1967年制作の東映時代劇映画舟木一夫主演・山下耕作監督。東映京都撮影所製作、東映配給[1]

一心太助 江戸っ子祭り
監督 山下耕作
脚本
原作 中島貞夫
出演者
撮影 鈴木重平
編集 宮本信太郎
製作会社 東映京都撮影所
配給 東映
公開 日本の旗 1967年4月20日
上映時間 87分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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人気歌手・舟木一夫初の時代劇主演で[2]一心太助三代将軍徳川家光の二役に挑んだ[2]

あらすじ編集

江戸っ子の魚屋太助(舟木一夫)は、三代将軍家光(舟木の二役)から拝領の皿を割った腰元お仲(藤純子)をかばい、その気っぷに惚れ込んだ大久保彦左衛門加東大介)と親分子分盃を交わす。そのころ、勘定奉行川勝丹波守(小池朝雄)と結託した相模屋勘兵衛(遠藤辰雄)が魚河岸をわがものにしようと企んでいた。太助は彦左に頼んで、川勝と相模屋の悪事を抑えようとするが、家光から「政治に口を出すな」と命じられ、太助の力になれないことを苦にしながら病死した。太助は浪人・新八(里見浩太朗)の助太刀を得て、仲間たちと相模屋と川勝一家を潰しそうと乗り出した[1][2][3]

キャスト編集

スタッフ編集

  • 監督:山下耕作
  • 脚色:中島貞夫・金子武郎
  • 原作:中島貞夫
  • 企画:小倉浩一郎・阿部勇吉
  • 撮影:鈴木重平
  • 美術:吉村晟
  • 音楽:山路進一
  • 録音:堀場一朗
  • 照明:井上孝二
  • 編集:宮本信太郎

製作編集

企画編集

企画は当時の東映京都撮影所所長(以下、東映京都)岡田茂[5]。製作の発表は1966年10月で[5]テレビ時代劇にお株を奪われた時代劇の老舗東映として、お茶の間に奪われたお客を映画館に呼び戻そうと時代劇復興の望みを込め、「(1)新しいタイプの主人公による時代劇(「牙狼之介シリーズ」、(2)特撮を駆使した時代劇(『怪竜大決戦』等)、(3)オーソドックスな"東映時代劇"」の時代劇巻き返し三つの柱として岡田が発表した(3)にあたる「オーソドックスな"東映時代劇"」として企画した[5]。岡田は「近く舟木一夫の『一心太助』や、大川橋蔵の『銭形平次』の製作にかかるつもりだ。いまテレビの時代劇の人気を見ていると、正統時代劇にファンが、茶の間にひっこんでしまったような気がする。その観客の足を再び映画館に向けさせるためには、今日の観客に魅力あるヒーローを、次々と役に当てはめていくことが大事だと思う。舟木太助や大川平次といったイメージを植え付けることで俳優の人気を高められるし、伝統ある時代劇に新しい生命を甦らせることになるのではないか」と話した[5]。当時は自身が敷いた「任侠路線」が全盛期を迎えていたが[6][7][8]、時代劇も何とか新しい傾向のもので繋ぎとめようと試行錯誤していた[9]。しかし岡田は後の映画誌のインタビューで「思い切って時代劇にとどめを刺した」などと話し[10]、正統時代劇の製作は、先に発言のあった1967年10月10日公開の映画版『銭形平次』で一旦終了となった[7]

キャスティング編集

舟木一夫は歌手として1960年代を中心に「御三家」として人気を集め、日活歌謡映画を中心に役者としても活躍した[11]。東映も岡田が東映京都に転任後に東映東京撮影所の所長となった辻野力弥が、本間千代子のために「歌謡青春路線」を敷いて[12]、舟木は本間の相手役として2本、東映映画に出演している[13]。東映京都の映画に出演するのは本作が初めてである[2]

一心太助の映画といえば、同じ東映の中村錦之介(萬屋錦之介)主演で1960年前後にシリーズ化された中村錦之助版が有名であるが[14]、本作は明るくカラッとした江戸っ子・太助の魅力で、舟木ファンを倍増させ、正統時代劇の人気回復を狙った[14][15]。当時の舟木は歌に映画に絶好調で[11]、1966年8月公開の『絶唱』(日活)が大ヒットし[11]、改めて歌手の持つ人気の高さを見せつけ[11]、日活は『絶唱』の大ヒットを祝うパーティを開くなど、同社のトップスターとして扱かった[11]。映画俳優ではお客を呼べなくなった好例として[11]、歌手が「映画に出る以上は、いい作品を」などと当時の映画俳優にも許されない"作品選択権"を持つ始末となり、マスメディアからは「歌手の人気に無条件降伏して映画に頂こう」とする邦画各社の製作姿勢を批判された[11]。舟木は人気絶頂ではあったが、当時レコード祭歌謡大会で、出演順序が気に入らないと番組をソデにし[11]、ファンに背を向けた格好になっていたため[11]、本作は人気回復を賭けたものになった[11]。カゲのある舟木の個性が太助役でどう変えられるのか注目された[14]

脚本編集

人気スター・舟木主演映画ということで、雑誌メディアから話題を煽ろうと中島貞夫に『月刊平凡』での原作が先に発注された[16]。中島は「映画が決まってから『平凡』の舟木ファンに前売りをするって意味でのスタートです。脚本を東大の美学の一年後輩で、一年あとに東映に入って来た金子武郎君と脚本を書きました。彼は進行進行をやってたんだけど、僕が脚本書きに引き込んだんです。彼とはその後も何本かホンを一緒に書いています。しかし錦ちゃん沢島忠(監督)さんの『一心太助』には、所詮かないっこないんで。それに錦ちゃんと舟木じゃあ、ぜんぜん違う。『よし、スラップスティック・コメディにしてやれ』って、だから脚本が出来て岡田さんに見せたら、こてんぱんに怒られました。『なんだこれ、漫画か』ってね。僕と将軍(山下耕作)でスラップスティック・コメディ作れるわけねえんだけど。(映画の)出来は、将軍だから割ともともだったと思います」などと述べている[16]

同時上映編集

※「網走番外地シリーズ」第8作

作品の評価編集

興行成績編集

東映の1967年ゴールデンウイーク興行は、前年同様、高倉健主演作を前半に、鶴田浩二主演作、『博奕打ち 一匹竜』(小沢茂弘監督)、併映『侠客道』(安藤昇主演・鈴木則文監督)を後半に置いた[17]。本作は東映最大のヒットシリーズ「網走番外地」との併映で、大ヒットはしたものの、従来の東映ファンにプラスして舟木ファンを呼び込み、時代劇復活の狙いがあったが[5][17]、折から舟木の実演が明治座で行われることもあり、極く少数しか舟木ファンを呼べなかった[17]。客層は普段よりやや女性層が多く見られたが、9割近くが男性だった[17]。平均年齢は25~26才程度[17]

批評家評編集

週刊読売』は「舟木一夫を太助と家光の二役で起用しているが、太助の威勢のよさも表面的だし、まして家光の悩みといったものは表現されていない。演技者としては、まだまだである。途中に大胆な構成があり、魚河岸の利権をめぐる政治悪に対してどう戦うか―そこに大きな興味がもたれたが、太助のとった大衆暴動という戦術が、いつのまにかお上に公認されてアッケない結末。監督山下耕作でBの中」などと評した[15]

週刊平凡』は「舟木クンは少々過労ぎみじゃないのだろうか。もろ肌脱いでタンカを切ったりするとき、少しヤセ過ぎでイタイタしい。むしろ、美しい衣装を着けた家光の方が、彼のパーソナリティ(個性)にぴったりとしている感じだ。義理と人情にころりという、単細胞型の太助は舟木クンの持ち味とはちょっと違う」などと評した[2]

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ a b 一心太助 江戸っ子祭り”. 日本映画製作者連盟. 2021年4月21日閲覧。
  2. ^ a b c d e 「映画ガイド一心太助・江戸っ子祭り舟木一夫が二役」『週刊平凡』1967年4月27日号、平凡出版、 46頁。
  3. ^ 一心太助 江戸っ子祭り | 東映ビデオ
  4. ^ TBS『水戸黄門大学』/うずまさ通信:仕事人ファイル
  5. ^ a b c d e “〈娯楽〉 東映時代劇はこれで行く 新たに三路線を敷き"魅力ある作品"で巻き返し”. 読売新聞夕刊 (読売新聞社): p. 12. (1966年10月27日) 
  6. ^ 「ポスト 日本映画 安藤昇の"恋人"桜町弘子」『週刊明星』1967年2月26日号、集英社、 84頁。
  7. ^ a b 岡田茂『悔いなきわが映画人生 東映と、共に歩んだ50年』財界研究所、2001年、408–412頁。ISBN 4879320161
  8. ^ 池内弘(日活撮影所企画部長)、橋本正次(松竹映画企画製作本部第一企画室長)・森栄晃(東宝文芸部長)、聞き手・北浦馨「映画企画の新路線はこれだ!! 能力開発と経営感覚の一致こそ最大の必要事だ」『映画時報』1966年3月号、映画時報社、 12頁。
  9. ^ 「あゝ監督人生 山内鉄也PART1」『時代劇マガジン Vol.15』、辰巳出版、2007年1月、 100-103頁、 ISBN 4777803236
  10. ^ 文化通信社編『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』ヤマハミュージックメディア、2012年、81-82頁。ISBN 9784636885194
  11. ^ a b c d e f g h i j 「テレビ・スクリーン・ステージ 舟木に無条件降伏 歌手様さまの映画界」『週刊朝日』1966年12月9日号、朝日新聞社、 117頁。
  12. ^ 「大川指導路線の全貌 東映独立体制の整備成る 東映事業団の成長促進の歩み 東急傘下を離れ独立独歩の姿勢」『映画時報』1964年11月号、映画時報社、 28-34頁。
  13. ^ 「銀幕にぞくぞく登場する人気歌手―十代ファンを狙って青春路線復活―」『近代映画』1965年1月号、近代映画社、 217頁。「今秋婚約を発表するという情報を巡って… 《特別取材》岐路に立つ20歳の女優 本間千代子の婚約者」『週刊平凡』1965年7月22日号、平凡出版、 30-34頁。
  14. ^ a b c 「がいど・映画 一心太助に賭ける舟木」『週刊サンケイ』1964年9月7日号、産業経済新聞社、 101頁。
  15. ^ a b 「表面的な威勢のよさ『一心太助 江戸っ子祭り』(東映)」『週刊読売』1967年4月28日号、読売新聞社、 54–55頁。
  16. ^ a b 中島貞夫『遊撃の美学 映画監督中島貞夫 (上)』ワイズ出版〈ワイズ出版映画文庫(7)〉、2014年、145–146頁。ISBN 9784898302835
  17. ^ a b c d e “東映ロング番組不利 三日初日の二番手は好スタート 前半『網走番外地』『江戸っ子祭り』、後半『一匹竜』『侠客道』”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 2. (1967年5月6日) 

外部リンク編集