一條 慎三郎(いちじょう しんざぶろう、1870年 - 1945年)は、日本音楽教育者

来歴 編集

信濃国松代城下松代藩士の子として生まれる。東京音楽学校を中途退学し、音楽教師として立教学院山形師範学校で教鞭を執る。伊沢修二の招聘により台湾に渡り、台湾総督府国民学校助教授のち、台北師範学校教授となる。爾来、台湾独自の唱歌の制作に励行し、「公学校唱歌集」の編纂にあたり、全46曲中15曲を作曲した。また台湾放送協会に台北放送局(JFAK)楽団を設立し、師範学校の学生合唱団を組織し、各地で演奏会を開催した。

参考文献 編集