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概要編集

一碧湖の名は、1927年(昭和2年)に杉山三郊により命名され、北宋の文人范仲淹の『岳陽楼記中国語版』の一節「一碧萬頃いっぺきばんけい」から取られた[2][3]。命名については長年不明であったが2014年に湖畔の民家から資料が見つかり判明した[4]

一碧湖は、南東から北西に伸びたひょうたん型をしており、北西側を大池おおいけ、市道の橋を挟んで、南東側の比較的小さい面積を沼池ぬまいけと呼ぶ。

 
南南西にある大室山から見た一碧湖

大池は西側に十二連島という小島群を持つ。沼池はその名のとおり沼地または湿地帯となっており、などの植物が繁茂する。沼池は水位が低いときには大部分が干上がることもある。

一碧湖は、「伊豆の瞳」とも称される観光地であり、1927年(昭和2年)には日本百景に選定されている。昭和初期には与謝野鉄幹晶子夫妻が当地を訪れて数多くの短歌を残した。現在ではその歌碑が湖畔に建つと共に、ヘラブナ釣りを楽しむ場として、またボート遊びやバードウォッチング、さらには春の山桜や秋の紅葉を楽しむ場としても親しまれている。

外来種ブルーギルは、1960年に当時の皇太子明仁親王(明仁上皇)が外遊の際に寄贈されたものを、水産庁淡水区水産研究所が食料増産を図る目的として飼育。その後、一碧湖などに放流されたことがきっかけとなり日本各地に生息域を拡大していった[5]

成因編集

かつては堰止湖と考えられていたこともあったが[1]火山弾を多数含む厚い爆発角礫岩の地層があり、現在の学説では伊豆東部火山群の活動の一端として、およそ10万3500年前に起きた激しい水蒸気爆発によってできたマールであるとする考えが一般的である[6]。沼池側の窪地も別の爆発でできた火口で、同時期に梅木平火山地図、門野火山地図、荻火山地図も一直線上に形成されており、同じ岩盤の割れ目上に噴火したためと考えられている[7][8]。このような火山が一直線上に並ぶ特徴は、伊豆東部火山群の他の火山でも見られるものである。約4000年前には南南西におよそ4キロメートル離れた大室山が噴火し、その溶岩流の一部が大池の西側の一部に流れ込み、十二連島を造り出した[9]

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 現在、一般的となっている学説に従う

出典編集

  1. ^ a b c d e f g h 出典 : 環境庁 第4回基礎調査湖沼調査報告書(全国版)1993年、184頁 (PDF) 、2012年1月閲覧
  2. ^ 伊東の「一碧湖」命名者は陸奥宗光の秘書官” (2014/4/25 08:09). 2014年6月9日閲覧。
  3. ^ 「伊豆の瞳」一碧湖 書家・杉山三郊の詩文から命名”. CHUNICHI Web (2014年5月21日). 2014年6月9日閲覧。
  4. ^ 「一碧湖」の由来判明 官吏・漢学者の杉山三郊、昭和2年命名 - 伊豆新聞WEBサイト2014年5月25日版
  5. ^ 出典 : 『ブルーギル、陛下に贈られた15匹の子孫証明』 読売新聞 2009年10月23日、2013年1月リンク切れのため転載サイトにて確認
  6. ^ 出典 : 伊豆の大地の物語 『伊豆東部火山群の時代(12)一碧湖と東大池』 項目52 - 静岡大学教育学部総合科学教室 小山真人研究室、2012年1月閲覧
  7. ^ 出典 : 伊豆の大地の物語 『伊豆東部火山群の時代(14)門野と荻』 - 静岡大学教育学部総合科学教室 小山真人研究室、2012年1月閲覧
  8. ^ 出典 : 一碧湖・梅木平ジオサイト - 伊豆半島ジオパーク
  9. ^ 出典 : 伊豆の大地の物語 項目82~87 - 静岡大学教育学部総合科学教室 小山真人研究室、2012年1月閲覧

関連項目編集

外部リンク編集