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DaiIchiTeibo.jpg
艦歴
建造所 イギリスロンドン
起工
進水 1867年
竣工 1867年
就役 慶応4年1月(1868年1月から2月)長州藩が購入
明治3年5月8日(1870年6月6日)献納
喪失 1875年8月9日
除籍
要目[1]
排水量 236トン
全長 長さ:36.58m
全幅 幅:6.40m
吃水 2.29m
機関 横置直道式レシプロ1基
60馬力(IHP)
速力 5ノット
航続距離
燃料
乗員
兵装 5.9インチ砲1門
5.5インチ後装砲1門[2]

第一丁卯(だいいちていぼう)は日本海軍軍艦。元は長州藩の発注した三檣スクーナー型木造汽船。

丁卯」は十干十二支のひとつで、幕末では慶応3年(1867年)に当たる。この年にイギリスで建造された長州藩の軍艦が後の「第一丁卯」と「第二丁卯」となる。同一年の建造のため第一と第二を付加して区別した。

目次

艦歴編集

建造時の仮称は「ヒンダ(Hinda)」[3]と称し、イギリスロンドンで建造、慶応4年1月(1868年1月から2月)に長州藩が購入、当初の艦名は「丁卯丸」と呼ばれた。別の文献では発注が慶応2年(1866年)で、竣工と日本回航が慶応4年(1868年)という資料もあるという[4]

同慶応4年2月20日(1868年3月13日)に明治政府が徴発し、同年5月(同7月)の寺泊沖海戦で旧幕府輸送艦「順動丸」を自沈に追い込む。翌年の箱館湾海戦に参加した。

明治3年(1870年)に政府に献納、同年5月8日(1870年6月6日)に兵部省所管となり「第一丁卯艦」と改名された。また翌明治4年11月15日(1871年12月26日)に六等艦と定められた。1873年(明治6年)1月から8月までは測量任務に従事している。

1875年(明治8年)にラッコ密漁取り締まりの為に択捉島に派遣されていたところ、8月9日に濃霧のため針路を誤り、同島西岬に座礁して破壊された。なお当時の艦長日清戦争際は第一遊撃隊司令官となる坪井航三だった。

艦長編集

  • 杉盛道:明治3年(1870年)3月 - 明治4年10月2日(1871年11月14日)[5]
  • 伊東祐亨 大尉:明治4年(1871年)11月 - 明治5年(1872年)2月[6]
  • 磯辺包義 大尉:明治5年3月5日(1872.4.12) - 1873年1月12日[7]
  • 磯辺包義 大尉:1873年8月23日 - 1873年10月28日[7]
  • 坪井航三 少佐:1874年8月13日 - 1876年3月9日[8]

脚注編集

  1. ^ 要目は『幕末の蒸気船物語』による。排水量125トンとする資料もあるが、船体寸法に対して明らかに小さいとしている。『日本海軍史』によると排水量125トン、長さ39.4m、幅6.6m、吃水2.4m、60馬力、速力3.0ノット。
  2. ^ 『幕末の蒸気船物語』による。『日本海軍史 第7巻』によると8門。『聯合艦隊軍艦銘銘伝』によると砲6門。
  3. ^ 『日本海軍史』p462および『幕末の蒸気船物語』p141による。『聯合艦隊軍艦銘銘伝』p203によると「ベンダ」。
  4. ^ 『聯合艦隊軍艦銘銘伝』p203。
  5. ^ 『日本海軍史』第10巻、144頁。
  6. ^ 『日本海軍史』第9巻、7頁。
  7. ^ a b 『日本海軍史』第9巻、665頁。
  8. ^ 『日本海軍史』第9巻、315頁。

参考文献編集

  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0386-9
  • 元綱数道『幕末の蒸気船物語』成山堂書店、2004年。ISBN 4-425-30251-6

関連項目編集