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三宅 徳三郎(みやけ とくさぶろう、1899年12月13日 - 1982年4月10日)は、日本外科医政治家博士医学)。

三宅 徳三郎
みやけ とくさぶろう
生年月日 1899年(明治32年)12月13日
出生地 香川県三豊郡荘内村
没年月日 (1982-04-10) 1982年4月10日(82歳没)
出身校 九州帝国大学医学部

Flag of Takamatsu, Kagawa.svg 第13代 高松市長
当選回数 1回
在任期間 1967年5月2日 - 1971年5月1日
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高松市長(通算1期)。

目次

来歴・人物編集

香川県三豊郡荘内村(現 三豊市詫間町)出身[1]。地主の三男として生まれる。

旧制香川県立三豊中学校、旧制第四高等学校を経て、九州帝国大学医学部卒業。

三豊中学時代から第四高等学校、九州帝国大学と野球選手で通し、投手や一塁手で活躍、その間柔道、剣道、テニス、乗馬、弓術も行った[2]

1926年(大正15年)3月、九州帝国大学医学部卒業後、外科医局に4年間在局。三宅速教授、赤岩教授の指導を受ける。1930年(昭和5年)5月、岩手医学専門学校教授[3]ならびに青森県立病院外科部長に就任。1931年(昭和6年)2月、「胃胆嚢吻合と十二指腸胆嚢吻合との比較研究」で学位修得[4]

1935年(昭和10年)3月、郷里の香川県高松市に三宅病院を開業。1944年(昭和19年)9月、友人に病院を任せて、福岡県立医学歯学専門学校医学部長兼付属病院長に就任[5]1947年(昭和22年)高松空襲で焼け出され、同県仲多度郡多度津町に疎開して三宅病院を開業(現 多度津三宅病院)[6]1949年(昭和24年)10月、高松市にて財団法人医学研究所を設立し附属三宅病院開業[7]

1951年(昭和26年)4月から1967年(昭和42年)5月まで香川県医師会第6代会長を務めた[8]。全国にさきがけて全県ぐるみの日曜休診を実施、救急病院も"人口十万以上の都市へ設置"という常識を破って県下全域に設置を行い県医師会の発展に尽力した[9]。また中四国医師会連合委員長、日本外科学会評議員を歴任。

1967年(昭和42年)5月2日、高松市長を21年間務めた國東照太の後、第13代高松市長に就任[10]

栄典編集

脚注編集

  1. ^ 『香川県人物・人名事典』(四国新聞社)(1985年) 84頁
  2. ^ 『「くすし」四十年の歩み』(1965年) 342頁
  3. ^ 岩手医科大学医学部 外科学講座の紹介 2013年7月28日閲覧
  4. ^ 『「くすし」四十年の歩み』(1965年) 332頁
  5. ^ 『この一年』(財団法人 三宅医学研究所)(1976年) 著者の略歴
  6. ^ 多度津三宅病院 院長ごあいさつ 2014年4月6日閲覧
  7. ^ 財団法人 三宅医学研究所 法人の沿革 2013年7月28日閲覧
  8. ^ 『香川県医師会設立60周年記念誌』(社団法人 香川県医師会)(2008年) 2頁
  9. ^ 『さぬきの人間もよう』(山陽新聞社)(1966年) 66頁
  10. ^ 『香川県人物・人名事典』(四国新聞社)(1985年) 315頁

参考文献編集

  • 『詫間町誌』(詫間町)(1970年)
  • 『香川県人物・人材情報リスト 2011』(日外アソシエーツ)(2011年)
公職
先代:
國東照太
  高松市長
第13代:1967 - 1971
次代:
脇信男