三尾 呉石(みお ごせき、1885年〈明治18年〉5月10日 - 1952年〈昭和27年〉1月)は、東京府出身の日本画家。本名は秀太郎。浦和画家

来歴 編集

東京市日本橋本町に生まれる。戦前日本一の「虎の呉石」と称えられ、15歳の時に上野院展の前身、日本美術協会に初めて出品した際、時の農商務大臣金子堅太郎にその画才を認められ、岐阜の動物書家、大橋翠石の元に送られ専心画道への精進いそしんだ後、翠石に師事して四条派を学ぶ(当時の日日新聞、都新聞の記事にて)。東京勧業博覧会に《猛虎》で三等賞杯受賞、文展に《寒風猛威》《村芝居》で入選、その後研鑽怠らず院展、文展、日本美術協会展出展に数回にわたり入選する。関東大震災に被災し、1923年(大正12年)には埼玉県浦和市に移住。浦和画家の一人として数えられるようになった。また、トラの研究のために満州朝鮮に寒帯の勇虎を、インドアラビア地方に熱帯の猛虎を数年間、写生行脚し帰国後も専ら虎専門に彩筆を振るう。日月会幹事、巽画会、浦和土曜会の会員。

先祖は近江滋賀にある三尾神社神主一族で、江戸時代初期に江戸に移り住む。二男二女。長男に日本画家正豊(日本橋本町生まれ)東京美術学校を首席で卒業後、横山大観に可愛がれ師事したが、結核で若くして亡くなる。長男の死は呉石をひどく落胆させた。次男に同じ日本画家・浦和画家三尾彰藍(浅草阿倍川町生まれ、東京美術学卒)がいる。長女輝子(後春子、日本橋本町生まれ)の夫は医師井上一男、次女英子(浅草阿倍川町生まれ)の夫は文化勲章受章者津田恭介

作品 編集

  • 「寒風猛威」
  • 「村芝居」

脚注 編集

参考文献 編集