三屋 静(みつや せい、1881年明治14年)2月 - 1940年(昭和15年)7月22日[1])は、日本教育者台湾総督府官僚

三屋静

経歴 編集

東京府東京市小石川区(現在の東京都文京区)出身[2]1901年(明治34年)、台湾総督府国語学校師範部を卒業し、教職に就いた[2]。その後、1908年(明治41年)に東京高等師範学校国漢科を卒業[3]台北中学校教諭、台南中学校教諭を務め、1924年大正13年)に嘉義中学校校長に就任した[2][3]1931年(昭和6年)、編修官・文教局編修課長に転じ、さらに視学官を兼ねた[2][3]1938年(昭和13年)からは台中師範学校校長を務めた[3]

脚注 編集

参考文献 編集

  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第13版』帝国秘密探偵社、1940年。 
  • 『輓近大日本拓殖史』日本行政学会、1934年。