三浦 昇(みうら のぼる、1970年7月5日 - )は、日本政治家実業家。テリンクスドットコム代表取締役[1]衆議院議員(1期)、山口県議会議員(1期)を務めた。

三浦 昇
みうら のぼる
生年月日 (1970-07-05) 1970年7月5日(53歳)
出生地 日本の旗 日本 山口県宇部市
出身校 桜美林大学経済学部商学科卒業
慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了
前職 IT関連会社社長
所属政党自由党→)
民主党→)
民進党→)
国民民主党

選挙区 比例中国ブロック山口3区
当選回数 1回
在任期間 2012年7月 - 2012年11月16日

選挙区 宇部市選挙区
当選回数 1回
在任期間 2011年4月 - 2012年7月
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経歴 編集

山口県宇部市生まれ[2]。宇部市立琴芝小学校、宇部短期大学付属中学校(のちの宇部フロンティア大学付属中学校)を経て、1989年(平成元年)3月に同香川高等学校(のちの宇部フロンティア大学付属香川高等学校)を卒業[2]早稲田大学に進学したいと考えていたため同大学を受験したものの不合格に終わる[3]。のちに、「一浪したのに大学受験に失敗し、しかも、当時付き合っていた彼女と駆け落ち同然の『恋の逃避行』まで演じたあげく結局は、専門学校へ入学」したと述べている[4]1993年(平成5年)、スポーツ医学系の専門学校を卒業した[2]

その後一念発起し、1995年(平成7年)、24歳で再び大学受験。慶應義塾大学には不合格であったが、桜美林大学経済学部商学科に合格[4][2]し、同大学に進学した。1998年(平成10年)、当時小沢一郎が率いていた自由党に入党[2]。以降、藤井裕久のもとで3年間ボランティア活動を行ったと三浦は述べている[2]1999年(平成11年)3月、同大学卒業[2]。同年11月11日、ウェブサービス「TELINX」を開設[1]2001年(平成13年)6月6日、事業の法人化に伴い有限会社テリンクスドットコムを設立し、同社代表取締役に就任[1]

2003年(平成15年)3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了[2]2005年(平成17年)2月、宇部市に帰郷[2]。同年9月11日に施行された第44回衆議院議員総選挙に民主党公認で山口3区に立候補するも、自由民主党河村建夫に6万2597票差で敗れた。2009年(平成21年)8月30日施行の第45回衆議院議員総選挙にも出馬するが、民主党に追い風が吹いていた状況下にもかかわらず、河村の前にまたも敗れ、重複立候補していた比例中国ブロックでも落選した。

その後、2011年(平成23年)4月10日施行の第17回統一地方選挙の一環として組まれた山口県議会議員選挙に宇部市選挙区から出馬し、同選挙区第4位となる1万1186票を獲得し当選。2012年、比例中国ブロック選出の民主党衆議院議員高邑勉2012年山口県知事選挙への出馬のため議員辞職した。このため、同年7月13日中央選挙管理会により民主党比例代表候補者名簿の次点であった三浦の繰り上げ当選が決定した。これにより三浦は山口県議会議員を辞職し、衆議院議員へ鞍替えした[5][6]

同年12月16日施行の第46回衆議院議員総選挙では、比例中国ブロック単独で出馬するも落選。2014年(平成26年)12月14日施行の第47回衆議院議員総選挙に山口3区から出馬するも、再度河村に敗れ落選。

政見・政策 編集

「詰め込み教育こそ、真の教育である」という考え方に「全面的に賛成」と自身の著書で述べており、自身が反対する「ゆとり教育」の対極にあるのが「詰め込み教育」としている[7]。このほか、自身のウェブサイトにおいて、年金制度の抜本対策、少子化対策、食料自給率向上等の政策を挙げている[8]

2012年、毎日新聞による第46回衆議院議員総選挙のアンケートで女性宮家に反対と答えている[9]。2014年、朝日新聞と東京大学谷口研究室による第47回衆議院議員総選挙のアンケートでは選択的夫婦別姓制度導入にどちらかといえば賛成と答えている[10]。また、日本軍の「慰安婦」強制を否定したとしんぶん赤旗が掲載している[11]

人物 編集

思想信条・信念 編集

尊敬する政治家として藤井裕久を挙げている[12]。三浦が政治活動を始めたきっかけも、1998年に自由党へ入党し、藤井の元で3年間ボランティア活動を経験したことに端を発している[13]

「努力!の天才」「一発逆転ストラテジスト」を名乗る[14][15]。2009年(平成21年)頃まで、「ほぼ労働ゼロで月収50万!プチ天才の積極リタイヤ術」「普通の人がプチ天才になって学歴を一発逆転する方法」などと称する情報商材を販売していた[4]。「学歴を一発逆転」については自身の経歴を参考にしたもので、「一発逆転」の事例として「専門学校卒の男が…→慶応卒に!→そして衆議院公認候補にまでなった原点は学歴改造にあった!」と記載していた[16]。三浦の言う「プチ天才」とは、「普通の人」の潜在能力を引き上げ「天才」に近づいた状態を指す[17]

2005年の第44回衆議院議員総選挙において民主党の衆議院公認候補者の内定を獲得できたのは「占い風水・開運術を利用したから」と述べている[18]。前年の2004年の暮れ、家族に「おれは魔術をかけているから、絶対に公認を獲る」と話し「2005年の4月に決まる」と「予言」もしていたが、「実際に、その通りになりました」としている[18]

自身が通学していた学校の評価について、香川高等学校は「地元では、とりあえずそれなりの進学校」[19]、桜美林大学は「納得のいかない二流大学」[4]、慶應義塾大学大学院は「超が付くほどの一流大学院」[20]と述べている。

連合山口との関係 編集

2012年の比例中国ブロック繰り上げ当選に際し、当時三浦が所属していた民主党の最大の支援組織であり、三浦の県議会議員選挙を支援した連合山口宇部地協(当時、後の中部地協宇部地区会議)の了解を得ずに県議会議員を辞職したことをめぐり関係が悪化[21]。2014年の衆議院選挙においても連合山口は「本人からはいまだに説明がない」として組織推薦を見送り、選挙区内の連合組合員約1万2千人の支援を受けられなくなった[21]

これを受け三浦は自身に繰り上げ議席を譲った後、山口1区で維新の党から立候補を決めていた高邑勉に協力を仰ぎ、両名で維新と民主の相互推薦を受けることを目指したが実現せず、政党支部として独自に選挙協力を行うことを共同記者会見にて発表、協力については党の「県連の了承も得ている」とし「民主党単体では、これからの政治はなかなかうまくいかない」と支援を呼びかけた[22]が、選挙戦の結果2009年の7万3760票から2万9329票へと票数を減らし落選した[23]

著作 編集

  • (jpn : 日本語)『「努力!の天才」思考術 : 「運」も味方につける』スリーエーネットワーク、東京、2007年5月。ISBN 9784883194179http://www.3anet.co.jp/general/625/2015年9月30日閲覧 

脚注 編集

  1. ^ a b c TELINX - 会社概要”. 有限会社テリンクス. 2015年9月30日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i 三浦昇. “三浦のぼるオフィシャルページ - プロフィール”. 2015年9月30日閲覧。
  3. ^ 三浦昇. “自伝的小説 その2”. 2004年10月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月30日閲覧。
  4. ^ a b c d 三浦昇. “学歴コンプレックス解消!学歴ロンダリング、学歴改造・・・学歴詐称なんて必要ない人生を!”. 2009年3月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月30日閲覧。
  5. ^ “三浦さん辞職、国会へ 県議補選なし”. 宇部日報 (宇部: 宇部日報社). (2012年7月13日). http://ubenippo.co.jp/2012/07/post-2969.html 2012年7月13日閲覧。 
  6. ^ “三浦昇衆院議員が初登院”. 山口新聞 (下関: みなと山口合同新聞社). (2012年7月18日). http://www.minato-yamaguchi.co.jp/yama/news/digest/2012/0718/2p.html 2012年7月22日閲覧。 
  7. ^ 三浦 2007, p. 49
  8. ^ 三浦昇. “公式ページ:政策”. 2015年9月30日閲覧。
  9. ^ 毎日新聞 2012年衆院選アンケート
  10. ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査、2014年。
  11. ^ しんぶん赤旗 2013年1月6日
  12. ^ 三浦 2007, p. 231
  13. ^ 大久保ゆか「新人国会議員のネット選挙アプローチVol.30 中国ブロック2」『ネット選挙ドットコム』リファイド、2012年12月8日。2023年11月7日閲覧。
  14. ^ 三浦 2007
  15. ^ 三浦昇. “【努力!の天才が伝授】それでもアフィリエイトで稼ぎたい!”. 2015年9月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月30日閲覧。
  16. ^ 三浦昇. “学歴コンプレックス解消!学歴ロンダリング、学歴改造・・・学歴詐称なんて必要ない人生を!”. 2007年5月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月30日閲覧。
  17. ^ 三浦昇. “普通の人がプチ天才になって学歴を一発逆転する方法!”. 2007年1月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月30日閲覧。
  18. ^ a b 三浦昇 (2005年6月23日). “メルマガ第5号”. 2015年9月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月30日閲覧。
  19. ^ 三浦昇. “自伝的小説 その1”. 2004年10月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月30日閲覧。
  20. ^ 三浦昇 (2005年5月6日). “創刊号”. 2015年9月30日閲覧。
  21. ^ a b 「民主元職、連合としこり 自民前職は尾引く「交代論」」『中国新聞』中国新聞社、2014年11月28日。2023年11月7日閲覧。
  22. ^ 「維新1区と民主3区、政党支部単位で協力」『中国新聞』中国新聞社、2014年12月1日。2023年11月7日閲覧。
  23. ^ 「3区 河村さん快勝9選」『中国新聞』中国新聞社、2014年12月15日。2023年11月7日閲覧。

外部リンク 編集