三菱ふそうバス製造
三菱ふそうバス製造株式会社(みつびしふそうバスせいぞう)は三菱ふそうトラック・バス傘下のバス生産会社である。同社製のバス生産を一手に担当する。略称はMFBM[2]で、本社は富山県富山市婦中町道場にある。また、キャンターなどトラック用バンボディの箱も製造していたが、トラック事業部が2006年(平成18年)3月で廃止(バンボディの製造は2005年(平成17年)11月で終了)されたため、今はバス専業となった。
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
![]() 〒939-2757 富山県富山市婦中町道場1番地 |
設立 | 1950年4月 |
業種 | 輸送用機器 |
法人番号 |
1230001005107 ![]() |
事業内容 | バスの製造 |
代表者 | 馬場高史(取締役社長) |
資本金 | 114億円 |
売上高 | 73億8700万円(2018年12月31日時点)[1] |
営業利益 | ▲14億2100万円(2018年12月31日時点)[1] |
経常利益 | ▲14億1600万円(2018年12月31日時点)[1] |
純利益 | ▲2億5700万円(2018年12月31日時点)[1] |
総資産 | 129億9900万円(2018年12月31日時点)[1] |
従業員数 | 700名 |
主要株主 | 三菱ふそうトラック・バス |
外部リンク | http://www.mfbm-bus.com/ |
歴史編集
本社の源流は東洋紡績(1966年(昭和41年)に呉羽紡績を合併)系列の呉羽航空機である。太平洋戦争中、呉羽紡績富山工場が原料不足で戦闘機機体製造に転換し、陸軍キ106やMXY8秋草、その他基地偽装用の囮機等の生産に携わる[3]。戦後、機体製造技術を生かしてモノコックバスボディの製造に活路を見出し、1950年(昭和25年)に呉羽自動車工業として分離独立した。
当初は国内各メーカーのシャーシを問わずに車体を架装し、主に北陸地方のバス事業者に卸していたが、1956年(昭和31年)に当時の三菱重工業の子会社・三菱自動車工業と提携関係を結んで以降、同社の指定バス車体メーカーとなる。1986年(昭和61年)に三菱自動車の資本が導入され系列下に入ったことから新呉羽自動車工業に改称、次いで1993年(平成5年)に東洋紡績が資本を引き上げ三菱自動車の完全子会社となったことを機に三菱自動車バス製造(MBM)に改称されている。2003年(平成15年)の三菱ふそうトラック・バスの分社にあわせて、同年10月に社名を現社名に変更した。
三菱のバスは長ら三菱自動車工業名古屋製作所大江工場(後の三菱ふそうトラック・バス大江バス工場)か、呉羽自動車が車体を架装したものを純正としていたが、この両社のバスのスタイルは、1990年代の前半まではかなりの違いがあり、呉羽製のボディは、車体全体に丸みを帯び、ヘッドランプベゼル(前照灯ケース、前照灯枠)やバンパー、リア部の処理などに差があった(ただし、1980年(昭和55年)から数年間は、大型バスは名古屋製作所製と同一デザインだった)。全般的に見た印象では、大江工場製は高速バスや観光バスを得意とし、呉羽は路線バスを得意とする傾向が見られる。
1996年(平成8年)以降、大江工場では路線バス車体製造を中止し、また、1998年(平成10年)には観光バスの車体製造も中止した。その後マイクロバスのローザのみ大江工場で生産されてきたが、2010年(平成22年)6月以降は三菱ふそうバス製造に集約化された[4]。
2007年(平成19年)から三菱ふそうトラック・バスとUDトラックス(旧:日産ディーゼル)がバス製造事業における業務提携を開始したことに伴い、同社へワンステップ/自家用ツーステップ大型路線バス・観光バスが供給されるようになった一方でノンステップ大型路線バス・中型路線バスの製造が中止されることになったが、その後2011年(平成23年)10月頃に提携を解消した[5]。また、提携時、ワンステップバス・ツーステップバスおよび大型観光バスは日産ディーゼルにOEM供給されていた(その後、ノンステップ大型路線バスは2009年に、ノンステップ中型路線バスは2011年に製造を再開した)。
沿革編集
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- 1944年(昭和19年) - 8月、呉羽航空機設立。
- 1945年(昭和20年) - 終戦後の11月、呉羽工業へ社名変更。
- 1950年(昭和25年) - 4月、呉羽自動車工業へ改称、富山市中市に工場移転。
- 1956年(昭和31年) - 三菱自動車と提携、指定のバス車体メーカーになる。
- 1959年(昭和34年) - フレームレスモノコックMR系生産
- 1964年(昭和39年) - MR620生産開始。以降ふそう中型バスは一手に担当。同年、神奈川県相模原市に呉羽車輌を設立。後1969年(昭和44年)呉羽車輌を吸収合併
- 1974年(昭和49年) - ふそうMMシリーズを担当。
- 1984年(昭和59年) - エアロキング生産。以降スーパエアロやエアロ系末尾Kモデルを担当
- 1986年(昭和61年) - 三菱自動車の資本が入り、社名を新呉羽自動車工業に改称。
- 1993年(平成5年) - 東洋紡績との資本関係を解消。三菱自動車の完全子会社になり、社名を三菱自動車バス製造(MBM)へ改称と共に工場を富山市婦中町に移転。以降、名古屋大江工場と2つの工場で生産していた大型バス生産が富山に集約されはじめる。
- 1996年(平成8年) - 大型路線バス生産が富山に集約される。
- 1998年(平成10年) - ローザを除く三菱ふそう製バス全ての生産工場となる。
- 2003年(平成15年) - 三菱ふそうトラック・バスの分社により社名を三菱ふそうバス製造(MFBM)へ改称。
- 2006年(平成18年) - トラック架装事業廃止。バスボディ架装専業となる。
- 2007年(平成19年) - 三菱ふそうトラックバスと日産ディーゼル工業のバス製造事業における業務提携開始を機にラインナップが縮小。併せて日産ディーゼル工業へのOEM供給が開始。
- 2009年(平成21年) - ノンステップバス製造再開。(PKG-MP35U*改)
- 2010年(平成22年) - 6月、大江工場よりローザの生産移管。これで三菱ふそう製バス全ての生産工場となった。
生産車種編集
現在製造されているバス編集
過去に生産されていたバス編集
- エアロスター(初代)(MP系・大型路線バス、1992年度まではK、1993年度からMを生産)
- エアロキング(MU系・大型2階建てバス)
- エアロミディMJ(MJ系・7m中型バス)
- エアロミディME(ME系・小型ノンステップバス)
- スペースランナーA(AP系・エアロスターの日産ディーゼルへのOEM供給車)
- スペースウイングA(AS系・エアロクィーンの日産ディーゼルへのOEM供給車)
- スペースアローA(AS系・エアロエースの日産ディーゼルへのOEM供給車)
- スペースアローA ショートタイプ(AM系・エアロエース ショートタイプMMの日産ディーゼルへのOEM供給車)
呉羽時代のバスボディギャラリー編集
脚注編集
- ^ a b c d e 三菱ふそうバス製造株式会社 第34期決算公告
- ^ [1]
- ^ 三菱重工名古屋航空機製作所(大江工場)生産の一部が富山に工場疎開した際、呉羽航空機に対し航空機生産指導をしている
- ^ 大江工場閉鎖と正社員2300人削減へ 三菱ふそうトラック・バス - J-CASTニュース
- ^ その後両社は小型トラックの部門で再提携、三菱ふそう・キャンターをUD・カゼットとしてOEM供給をしている。
- ^ 発売当初はニューエアロスターの呼称が用いられていた。