三菱リコール隠し

日本のリコール隠し事件

三菱リコール隠し事件(みつびしリコールかくしじけん)とは、2000年平成12年)7月6日運輸省(現:国土交通省)の監査で発覚した三菱自動車工業(以下、三菱自動車)の乗用車部門およびトラックバス部門(通称:三菱ふそう、現在の三菱ふそうトラック・バス)による、大規模なリコール隠し事件をいう。

その後、2004年(平成16年)にはトラック・バス部門のさらなるリコール隠しが発覚し、乗用車部門も再調査された。結果、国土交通省によると2000年(平成12年)時点の調査が不十分だったことが判明した。これが決定打となり、三菱自動車・三菱ふそうはユーザーの信頼を失って販売台数が激減、2000年のリコール隠し以上となる従業員の退職者を続出させ、当時の筆頭株主であったダイムラー・クライスラー(現・メルセデス・ベンツ・グループAGならびステランティスダイムラー・トラック)から資本提携を打ち切られ、深刻な経営不振に陥ったが、三菱グループ三菱重工業三菱商事三菱東京UFJ銀行〈現・三菱UFJ銀行〉)によるさまざまな救済を受け、倒産の危機を脱した。また三菱ふそうはダイムラー・クライスラー(現在は商用車部門がダイムラー・トラックとして分離された)の連結子会社になった。

企業倫理の問題として、自動車業界以外の異業種も含め、富士重工業(現・SUBARU)のリコール隠しと燃費データ書き換えスズキの燃費不正日野自動車のエンジン不正問題ダイハツ工業の衝突試験等の認証不正問題雪印乳業の一連の不祥事タイレノール殺人事件ジョンソン・エンド・ジョンソン製品への毒物混入事件)、ナショナルFF式石油暖房機事故TDK製スチーム加湿器による火災・死亡事故などにおける迅速な対応などと対比されることもある[誰?]

また、本事件を基にした池井戸潤経済小説空飛ぶタイヤ』も出版され、2018年には映画も上映された。

概要 編集

2000年のリコール隠し事件 編集

2000年(平成12年)7月18日までに、当時販売台数ベースでトヨタ自動車日産自動車ホンダに次ぐ乗用車国内シェア4位の自動車メーカーであった三菱自動車工業(三菱自動車)が、1977年(昭和52年)から約23年間にわたり、10車種以上(最初の届け出だけでもランサーエボリューションを含むランサー、およびギャランレグナムディアマンテパジェロシャリオグランディスなど乗用車系で6件約45万9000台、大型・中型トラックで3件約5万5000台)、計18件約69万台にのぼるリコールにつながる重要不具合情報(クレーム)を、運輸省(現・国土交通省)へ報告せず、社内で隠蔽している事実が、同年6月12日に運輸省自動車交通局のユーザー業務室に、三菱自動車社員による匿名内部告発による通報で発覚した。

内部告発の内容は、不正の要所を衝いており、どのように調査を進めるべきか、どこに資料や情報が隠されているか、どのように隠蔽工作を見破るべきかまで指示する具体的なものであった[1]。「品質保証部の更衣室の空きロッカーを調べよ」「本社と岡崎の情報を突合せよ」という、あまりにも具体的過ぎる情報であった[2]

運輸省によると、三菱自動車はユーザーからのクレーム情報を本社の品質保証部に10段階で集約・管理していたが、クレーム情報のうち、運輸省向け届出情報は1 - 3段階目まで「Pマーク」を、運輸省に知られたくない物など4 - 10段階に「秘匿」の意味で「Hマーク」を付けて区分し、同省の定期監査では、H区分のクレームを提示していなかった。二重管理による情報仕分けは、1977年(昭和52年)から行われ、同社が東芝に作らせた品質情報管理システム[3] を導入した1992年(平成4年)以降は、コンピュータシステムデータベースで分類していた。

一方で、リコール制度発足から30年以上にわたり、運輸省に欠陥を届け出ずにユーザーに連絡して回収、修理する「ヤミ改修」も行われていた。リコールの案件は、「ランサーなどでエンジン関連部品のクランクシャフトのボルトに欠陥があり、エンジンが停止する」「ギャランなどで燃料タンクのキャップが壊れ燃料が漏れる」「RVRの電動スライドドアが不具合を起こす」など[4][5][6]

一連のリコール隠しにより欠陥車を放置した結果、同年6月には熊本市内で、ブレーキの欠陥によりパジェロがワゴン車に追突、ワゴン車に乗っていた2人が首に2週間の怪我をする人身事故が発生している。このリコール隠し事件の責任を取り、当時の代表取締役社長であった河添克彦が同年8月28日に引責辞任する意向を固め[7]、9月8日の正式発表[8] を経て11月1日付で辞任した[9][10]。また同年8月27日には、警視庁交通捜査課などが道路運送車両法違反の疑いで、三菱自動車本社や岡崎工場(愛知県)など5ヵ所を家宅捜索した[11]

東京地方検察庁は翌2001年4月25日、1999年の運輸省の立入検査で約1万300件の不具合情報を隠したとして、三菱自動車の宇佐美隆副社長らを道路運送車両法違反(虚偽報告)容疑で書類送検した。宇佐美らは5月8日、東京簡易裁判所から罰金20万円、法人としての三菱自動車も同40万円の略式命令を受けた。

この時点で、国土交通省から「全ての自動車欠陥情報を開示」するよう求められたが、1997年以前の不具合情報を隠蔽し続け、クラッチハブの欠陥対策をとらなかった[12]

2002年3月5日、熊本県警は前述のパジェロの事故の原因がクレーム隠蔽にあるとして、当時の三菱自動車の品質技術本部・市場品質部長を担当していた社員3名を業務上過失傷害容疑で熊本地方裁判所に書類送検し[13]、熊本簡易裁判所はそれぞれに罰金50万円の略式命令を言い渡した[14]

このリコール隠しで、三菱自動車は市場の信頼を失い販売台数が急減。資本提携先のダイムラー・クライスラーからロルフ・エクロートを最高経営責任者(CEO)に迎え入れ経営再建を図ったが、2002年、大型車(ザ・グレートスーパーグレートエアロクイーンエアロエースエアロスターエアロキングなど)のタイヤホイール)脱落事故が発生し、構造上の欠陥と更なるリコール隠しの疑念が濃厚となる。

2004年のリコール隠し事件 編集

2003年(平成15年)、三菱自動車はトラック・バス部門を子会社の三菱ふそうトラック・バスとして分社化した。しかし2004年(平成16年)、前回のリコール隠しを更に上回る74万台ものリコール隠しが発覚した。同年4月22日、三菱自動車の筆頭株主であったダイムラー・クライスラーが財政支援の打ち切りを発表。三菱自工の社長に就任していたエクロートが任期を待たずして、4月26日限りで辞任した。

同年5月6日、大型トレーラーのタイヤ脱落事故(後述)で、三菱ふそう前会長の宇佐美や元常務ら7人が神奈川県警逮捕され[15]、同月27日に横浜区検察庁横浜地方検察庁は宇佐美ら5人と法人としての三菱自動車を起訴した[16]。さらに、6月10日には別の事故で三菱自動車の河添元社長や宇佐美ら元役員6人が、神奈川県警察・山口県警察などに逮捕された[17]

一連の不祥事により、三菱自動車及び三菱ふそうは、以下の制裁措置を受けた。

2006年(平成18年)9月には、ユーザーから寄せられた不具合情報を共有可能とする新品質情報システムの導入を発表した。これにより、不具合の原因究明における統計分析の迅速化や、販売会社での修理手順・見積もりの照会などを可能とし、品質改善の迅速化を図っているとしている[20]。しかし、2005年2月に把握していた欠陥を、2012年に国交省に内部告発されるまでリコールしない2016年(平成28年)4月20日には10・15モード燃費JC08モード燃費偽装と、その後も問題を起こしている。

本事件は刑事裁判となり、全てが三菱自動車および三菱ふそう側の有罪で確定判決が下された。なお、2008年(平成20年)1月に横浜地方裁判所が有罪判決を下した際には、弁護団が「なぜ有罪になるのか理解できない。こんな判決では、製造会社の場合、人身事故が起きたら、企業のトップは必ず刑事責任を取らなくてはいけない。極めて安直だ」と述べ、閉廷後すぐに東京高等裁判所に控訴している[21]。また、佐高信は、宇佐美の責任を追及する声が部下たちから上がってきていないようであることや[22]、「あの三菱自動車が」という論調であったことを指摘している[23]

死亡事故 編集

一連のリコール隠しにより、2002年に2件の死亡事故が発生した。

横浜母子3人死傷事故 編集

2002年(平成14年)1月10日、神奈川県横浜市瀬谷区下瀬谷三丁目の県道交差点付近[注釈 1]で発生した事故[25]

事故車両は、同県綾瀬市内の運送会社が所有していた大型トレーラートラックのトラクター(1993年7月に製造された「ザ・グレート[26])で、重機を積載して片側2車線の走行車線[注釈 2]を走行中、左前輪が外れて下り坂を約50メートル転がり、ベビーカーを押して歩道を歩いていた大和市在住の母子3人を直撃した[28]。子供2人を連れていた母親(当時29歳)が背中からタイヤの直撃を受け[25]、頭を強く打ち[29]、外傷性くも膜下出血で死亡した[25]。また、長男(当時4歳)と次男(当時1歳)も手足に軽傷を負った[28][30]。外れたタイヤは直径約1 m、幅27.8 cmで[25]、重量はホイールを含めて約140 kgあった[28]

神奈川県警が、貨物自動車の実況見分を行ったところ、事故を起こした車両はハブが破損し、タイヤホイールブレーキドラムごと脱落したことが判明[31]。三菱自動車製の大型車ハブ破損事故は、1992年(平成4年)6月21日に、東京都内で冷凍車の左前輪脱落事故が確認されて以降計57件発生し、うち51件で車輪が脱落していた[30](うち事故車両と同じ1993年製「D型ハブ」が7割を占めていた[32])。

三菱自動車側は、一貫して『ユーザー側の整備不良が原因だ』と主張したが、事故を起こした車両と同じ1993年(平成5年)に製造された三菱自動車製のトラックに装着されている「D型ハブ」の厚みが、その前後の型や他社製よりも薄い構造であった。ねじ締付け管理方法を怠り、六角ボルトの締付トルクを強く掛けすぎた場合やカーブや旋回時に掛かる荷重により金属疲労が生じ、ハブが破断しやすいことも判明した[33]

これを受け、三菱ふそうは2004年(平成16年)3月24日、製造者責任を認めて国土交通省にリコールを届け出た。さらに同年5月6日、宇佐美ら5名が道路運送車両法違反(虚偽報告)容疑で、品質保証部門の元担当部長ら2名が業務上過失致死傷容疑で逮捕され(5月27日に起訴)、法人としての三菱自動車も道路運送車両法(虚偽報告)容疑で刑事告発された[30]

なお、この事故で死亡した女性の遺族である母親が、約1億6550万円の損害賠償を三菱自動車に請求する訴訟を起こした民事訴訟では、2007年(平成19年)9月、三菱自動車に550万円の損害賠償支払いを最高裁判所が命じ、確定判決となった。このとき、原告の訴訟代理人を担当した青木勝治弁護士は、損害賠償金を代理人である自分の銀行口座に振り込ませ、遅延損害金を含めた約670万円を預かった。しかし、訴訟当初の約1億6550万円の請求額を基に、弁護士報酬額を約2110万円と算定し、「自分が預かっている約670万円と相殺する」と通知して、原告に対して損害賠償金を一切渡さなかった。

2010年(平成22年)6月、横浜弁護士会は「当初550万円としていた賠償請求額を一方的に1億6550万円に増額し、これに伴う報酬の変動についても、原告に説明せず、いきなり2000万円以上という高額報酬(最高裁判所で確定した賠償額は、当初の請求額である550万円)を原告に要求した」などとして、青木勝治に対して弁護士業務停止6か月の懲戒処分を下した[34]

山口トラック運転手死亡事故 編集

2002年10月19日の深夜、山口県熊毛郡熊毛町(現・周南市)の山陽自動車道熊毛インターチェンジ付近で発生した事故[35][36]

鹿児島県内の運送会社に勤めていた、同県国分市在住の運転手の男性(当時39歳)が運転する、野菜を積んで大阪・名古屋方面へ向かっていた9トン冷蔵貨物車(ザ・グレート)が料金所を減速なしで通過、インター先で合流する山口県道8号徳山光線の中央分離帯も乗り越え、道路脇に設置された歩行者用地下道の入口構造物に激突した。冷蔵車は大破して男性は死亡した[37]

関係者や当時の記録によると、プロペラシャフトの一部が脱落した後、車体側に残されたシャフトが振り子のような異常振動を始めた。料金所へ向かう急な下り坂のS字カーブに入ったとき、振動はさらに激しくなり、シャフトに並行して設置されているブレーキ配管が破壊され、制動不能に陥った。

山口県警は「この事故」に関して、通常、関西方面に向かう自動車が熊毛ICで降りることは無いから、運転手が何らかの異常を感じ、点検のため高速道路を降りようとしたのではないかとみて、この事故に関し現場検証を行った。その結果インターの手前約3.4 kmの地点に、事故を起こしたトラックから脱落したプロペラシャフトの一部が発見され、路面には脱落時にできたとみられる窪みも確認された。同県警では整備不良と車両欠陥の両面から捜査を行っていたが原因は不明のままに終わり、死亡した男性が道路交通法違反(安全運転義務違反)容疑で被疑者死亡のまま送検された。

しかし後の2004年になり、山口地方検察庁は「事故は構造的な欠陥を抱えていたプロペラシャフトが破断し、それがブレーキ系統を破壊したことによって引き起こされた」と最終的に判断し、男性を改めて不起訴処分とした[38]

刑事訴訟 編集

リコール隠し(道路運送車両法違反) 編集

2006年12月13日、横浜簡易裁判所は、過去の報告のうち9件は虚偽と認めたが、国土交通大臣による報告要求がなく国土交通省リコール対策室による要求であり犯罪成立要件を満たしていないとして、無罪判決とした。しかし、2008年7月15日、東京高等裁判所は、リコール対策室に権限が委ねられており国交相も了承しており犯罪が成立するとしてこれを破棄し、宇佐美ら3人と法人としての三菱自工に対し、それぞれ求刑通りの罰金20万円の有罪判決とした[39]

2010年3月9日、最高裁判所第1小法廷は被告側の上告を棄却し、宇佐美ら3人の有罪が確定した。法人としての三菱自動車も、二審有罪判決の上告を行わず有罪が確定している[40]

横浜母子3人死傷事故(業務上過失致死傷) 編集

2007年12月13日、横浜地方裁判所は「欠陥の把握は可能だった。放置すれば人に危害が及ぶことも容易に予測できた」と認定し、元市場品質部長と元同部グループ長の両被告にいずれも禁錮1年6月、執行猶予3年の有罪判決を言い渡した。

2009年2月2日、東京高等裁判所は元市場品質部長と元同部グループ長の両被告にいずれも禁錮1年6月、執行猶予3年の有罪判決を言い渡した地裁判決を支持し、両被告の控訴を棄却した。判決では、「事故原因を強度不足と断定できなくても、その疑いがあった時点でリコールしていれば2002年の事故も防止できた」として、両被告の過失を認定した。

2012年2月8日、最高裁判所は上告を棄却し有罪判決が確定した。事故原因については、過去に多数発生した破損事故にハブの摩耗の程度が激しくないものも含まれていたなどとして、「強度不足の欠陥があったと認定できる」とした[41]

山口トラック運転手死亡事故(業務上過失致死) 編集

この事故をめぐり、業務上過失致死罪に問われた件について、宇佐美を含む4名は、東京高等裁判所への控訴を取り下げ、横浜地方裁判所で言い渡された禁錮2年、執行猶予3年の有罪判決が確定している[42]

略年表 編集

  • 1990年(平成2年)6月 - 大型自動車で確認できる最初のクラッチ系統の破損事故が発生[30]
  • 1992年(平成4年)6月 - 大型自動車で最初のハブ破損事故が発生[30]
  • 1996年(平成8年)5月 - クラッチ系統についてリコール対策会議が開かれる。欠陥を認識したが、リコールは届け出ず2000年にかけて「ヤミ改修」を続ける。
  • 1999年(平成11年)
    • 6月 - 広島県内で中国ジェイアールバスが運行する高速バス車両のハブが破損し、車輪が脱落。これまでに十数件のハブ破損があったが、元市場品質部長と同部グループ長は対策を怠り、母子死傷事故を引き起こした(2004年5月27日に業務上過失致死傷罪で起訴)。
    • 7月から8月 - バスの車輪脱落で個別対策会議[30]運輸省に「整備不良」と報告することを決定[30]
  • 2000年(平成12年)
    • 7月6日 - 運輸省の抜き打ち監査により、リコール隠しが発覚。社長・河添克彦が引責辞任した。このときの調査対象を過去2年間のみとしたため、それ以前の欠陥問題に手が付けられることは無かった。これを最初に報じたのは『読売新聞』7月18日付夕刊である[43]
    • 11月 - 河添の後任に園部孝(故人、- 2003年10月29日)が就任。園部は2002年6月から死去日まで会長職を務めた。
  • 2002年(平成14年)
    • 1月10日 - 横浜市でハブ破損による母子死傷事故発生(前述)。三菱自動車側はトラックの異常は運転者の整備不良だと主張。
    • 1月から2月 - 母子死傷事故をめぐる「マルT対策本部会議」が技術的根拠もなく、ハブの交換基準を決定。
    • 2月 - 宇佐美らが国土交通省に対しハブについて、技術上根拠がないまま「摩耗が0.8 mm以上のハブを交換すればタイヤ脱落を防げる」と虚偽の報告(2004年5月27日に起訴)。
    • 10月16日 - 横浜市でトラクターのクラッチ系統が破損。国交省には「整備不良が関係。多発性なし」と報告。
    • 10月19日 - 山口県熊毛町でクラッチ系統の破損でブレーキが利かなくなった冷蔵車が暴走し、運転手の男性が死亡(前述)。三菱自動車側は、トラックの異常は運転者の整備不良だと主張。
  • 2003年(平成15年)10月24日 - 母子死傷事故で、神奈川県警が業務上過失致死傷容疑で三菱自動車本社などを家宅捜査。2004年1月にも再捜査。
  • 2004年(平成16年)
    • 3月11日 - 三菱ふそうの2度目のリコール隠しが発覚。
    • 5月6日 - 三菱ふそうの宇佐美前会長ら7人を神奈川県警が逮捕(後に三菱ふそうの元部長2人については「宇佐美らの指示に従う立場で、関与の程度が低い」として釈放)。
    • 5月27日 - 横浜区検察庁横浜地方検察庁が道路運送車両法違反(虚偽報告)などの罪で、6日に逮捕された7人のうち5人と、法人としての三菱自動車を起訴。
    • 6月2日 - 三菱自動車が乗用車で「ヤミ改修」があったことを発表。延べ4000人以上を動員して1979年以降のデータを全て自主的に調査し、発表した。また三菱ふそうも大型車の欠陥問題で29人の処分を発表。
    • 6月10日 - 三菱自動車の河添元社長ら元役員6人を業務上過失致死傷の疑いで逮捕。
    • 6月14日 - 新たに43件のリコールを発表。国土交通省への欠陥リークを受けて、1週間後の14日に発表。この欠陥が原因の事故は、人身事故が24件、火災事故は101件。
  • 2005年(平成17年)
    • 3月30日 - 三菱自動車は法人として、リコール隠し当時の旧経営陣に対し、民事訴訟を提起。
    • 4月15日 - 前年9月届出のリコールに対する再リコールを発表。原因を解明できぬままリコールを実施したため、対策実施済み車に火災事故が4件発生。加えて再リコールに先立つ緊急点検における作業手順の徹底不足による、2件の火災事故発生が明らかになる。

軽自動車エンジンに関する問題 編集

国土交通省の調査の結果、法律違反はなかったとされたものの、軽自動車エンジン(3G83型)のオイル漏れの不具合については、2005年(平成17年)2月に把握していたにもかかわらず、2012年に国交省に内部告発がなされるまでリコールを行わないなど極めて不十分な対応があった。詳細は三菱自動車・3G83エンジンに関する問題を参照。

影響 編集

  • 2004年のリコール隠しにより、社会人野球三菱ふそう川崎三菱自動車岡崎が一時活動休止となった。
  • 三菱自動車が出資しているサッカーJ1浦和レッズは2004年6月12日[44]トヨタ自動車の本社所在地・愛知県豊田市[注釈 3]にある豊田スタジアムで開催された第1ステージ第12節[45]名古屋グランパス(スポンサーはトヨタ自動車)戦に臨んだが[44]、その試合前に名古屋サポーターが浦和サポーターに対し、三菱自動車の不祥事を揶揄する形で[44]「大きな紙に1文字ずつ『ようこそ世界のトヨタへ』や、(隠している不祥事やリコールが)『まだあるだろ!』と書かれた横断幕」「ひび割れた赤いスリーダイヤ(三菱グループの商標)が描かれた垂れ幕」を掲げるなどして浦和側を挑発した[45]。この行為に対しては名古屋サポーターからもクラブ側に「恥ずかしい」などの苦情が届いたため、これを受けた名古屋は同年6月16日の大分トリニータ戦で場内放送にて「社会常識の欠落した情けない行動だ。相当の処置を行う」と表明した上で[45] 2004年7月7日までに横断幕を掲げたグループの責任者3人に対し「2人は本年度中、残り1人は2カ月、いずれも名古屋の出場する試合会場および諸施設の入場・イベント参加を禁止する」処分を行うことを決めた[46]
  • 三菱ふそう「エアロミディ」が、国土交通省の制裁措置により、一時販売中止となった[注釈 4]
  • TBS系列で放送されていた人気バラエティ番組『関口宏の東京フレンドパークII』のスポンサー降板により「パジェロ」の出場ゲストや視聴者へのプレゼントが中止となり、同番組の代名詞であった応援団(番組観覧者)による「パージェーロ!パージェーロ!」の掛け声も一時姿を消した[注釈 5]
    • 2006年10月16日放送分より、三菱自動車の提供復帰及びパジェロのフルモデルチェンジに伴い、ゲストのスペシャル商品として復活し、2010年3月まで提供された。[出典無効]
  • 横浜母子3人死傷事故においては、三菱自動車が欠陥を認めるまでの間、事故車両を運転していた運転手男性の自宅に対して「人殺し」などの中傷ビラが家の壁に貼られたり、無言電話などの嫌がらせが相次ぎ、男性が経営していた運送業は廃業している[47]
  • 2000年のリコール隠しにより、三菱車の販売台数が低下し、1995年にホンダを上回っていた販売台数も、2021年にはホンダの9分の1にまで低下した[48]自動車販売店などでは退職者が続出し、2001年には大江工場(愛知県名古屋市港区)が、2003年にはカープラザが、それぞれ閉鎖となった。
  • 2003年に小型トラック(1〜2トン積クラス)でシェアトップとなった三菱ふそう・キャンターは、2004年のリコール隠しにより売上が低下。小型トラック(1〜2トン積クラス)のシェアにおいて、いすゞ・エルフ日野・デュトロに次ぐ3番手に甘んじることになった[49]
  • 運輸業界においては三菱車を買い控える動きが強まり、特にバス業界では伝統的に三菱ユーザーで知られた事業者においても同様であった[注釈 6]。なお、前述の中国ジェイアールバスは三菱製の車両の導入を中止、以後の新車はコミュニティバス用に導入されたトヨタ・ハイエース日野・ポンチョを除き、全車いすゞ自動車ジェイ・バス)製で統一されている。2017年、久方振りにクラブツーリズム専用車として三菱ふそう・エアロエースが採用された。
  • ハブ破断事故によって、ねじ締付け管理方法の重要性が認識され、トルクレンチでの締め付けトルク管理が認識された。
  • 田中辰巳は「この体質のために『隠蔽といえば三菱自動車、三菱自動車といえば隠蔽』と言われるくらいに隠蔽の代名詞となった」と手厳しい評価を下している[50]
  • この不祥事により三菱車の中古車価格(=査定価格)が大幅に下落した[51]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 下瀬谷2丁目交差点付近の県道45号(中原街道)[24]
  2. ^ 事故当時、現場の歩道にガードレールはなかった[27]
  3. ^ ちなみに、豊田市の隣の岡崎市には、三菱自動車岡崎製作所が存在する。
  4. ^ そのエアロミディシリーズは2017年までに全車製造終了となった。もし中型車の新車を導入する場合、ジェイ・バス日野いすゞ)製しか選択肢はなくなる。
  5. ^ リコール隠しが発覚する前に収録された回では放送時に応援団が「パージェーロ!パージェーロ!」と呼んでいた部分の音声を「車!車!」という音声に差し替える処理が施された。
  6. ^ 阪神電気鉄道(当時。現・阪神バス)、阪急バス京阪バスなどのように一時期三菱車の導入を中止した例や、宮城交通福島交通(同社は2008年までは三菱ふそう製しか導入していなかった)、富山地方鉄道、加越能鉄道(当時、現・加越能バス)、名鉄バス(および名鉄グループ各社)、神姫バス中鉄バス鞆鉄道などのように三菱車の導入を減らして他社製の導入を増やした例も存在する。また、神奈川中央交通両備ホールディングス岡山電気軌道沖縄バスのようにこの不祥事の影響を無視しても三菱車を大量導入している(これらはそれぞれの傘下にの販売店を持つのが大きな影響である)。

出典 編集

  1. ^ 櫻井稔 『内部告発と公益通報 会社のためか、社会のためか中公新書 1837 ISBN 978-4121018373、p.51
  2. ^ 小田桐誠 『NHK独り勝ちの功罪』 ベスト新書 359 ISBN 978-4584123591、pp.219-220
  3. ^ 奥村俊宏『内部告発の力 公益通報者保護法は何を守るのか』現代人文社 ISBN 4-87798-201-9、p.17
  4. ^ 中日新聞』2000年8月22日 夕刊1面1頁 「三菱自 リコール隠し23年 欠陥パジェロで事故も」
  5. ^ 『中日新聞』2000年7月19日 朝刊社会面27頁 「三菱自工リコール隠し ユーザー苦情 届け出怠る 欠陥対象は69万台」
  6. ^ 『中日新聞』2000年7月26日 夕刊第2社会面12頁 「三菱自 53万台リコール 社長、苦情隠ぺい認める」
  7. ^ 『中日新聞』2000年8月28日 夕刊 1面1頁「三菱自・河添社長辞任へ リコール隠しで引責」
  8. ^ 『中日新聞』2000年9月8日 朝刊1面1頁「三菱自 河添社長が辞任表明」
  9. ^ 『中日新聞』2000年11月1日朝刊経済1面8頁「新社長登板2000 三菱自動車工業 園部孝氏(59) 気合入れ信頼回復」
  10. ^ Response.』 2000年8月28日 12時00分配信 「リコール隠し引責、三菱河添社長がついに辞任」
  11. ^ 『Response.』 2000年8月28日 12時00分配信 「ついに! 三菱リコール隠しで強制捜査」
  12. ^ 三菱自動車リコール隠し事件 | ニュースクリップ [読売新聞][リンク切れ]
  13. ^ “クレーム隠蔽が事故を起こしたと---熊本『パジェロ』事件で三菱社員送検”. Response.. (2002年3月5日). https://response.jp/article/2002/03/05/15415.html 2021年12月26日閲覧。 
  14. ^ “リコール隠しが原因---熊本の『パジェロ』追突事故:熊本簡裁”. Response.. (2002年10月18日). https://response.jp/article/2002/10/18/20267.html 2021年12月26日閲覧。 
  15. ^ 『中日新聞』2004年5月6日 夕刊1面1頁「ふそう前会長ら7人逮捕 タイヤ脱落 ハブ欠陥隠ぺい 虚偽報告と業過致死傷 三菱自元常務も」
  16. ^ 『中日新聞』2004年5月28日 朝刊社会面 31頁「脱輪死傷事故 三菱ふそう前会長ら起訴 虚偽報告『極めて悪質』」
  17. ^ 『中日新聞』2004年6月11日 朝刊1面 1頁「三菱自・河添元社長を逮捕 クラッチ欠陥隠ぺい 業過致死容疑 元役員5人も 神奈川・山口県警」
  18. ^ 三菱ふそうトラック・バス(株)に係る厳格な自動車型式審査の実施について - 国土交通省 2004年5月11日付
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  47. ^ 東京新聞』2007年12月14日 朝刊 社会面 27頁 「三菱自元部長ら判決 遺影抱き『刑軽すぎる』 娘失った母涙と怒り - 事故車の運転手ら 苦難続きの人生」
  48. ^ クルマ界の「まさか!」TOP3 こんなことが起きるなんて事件簿ベストカーweb 2021年7月27日
  49. ^ いすゞエルフ半導体不足に泣く! 18年間連続トップシェアの座を日野デュトロに奪われる!!fullroad 2022年5月21日
  50. ^ 田中辰巳 『そんな謝罪では会社が危ない』 文春文庫 [た-62-1] ISBN 978-4167717117、pp.49-51
  51. ^ カーリースはデメリットだらけ。巧妙なカラクリの罠とは?#デメリット④ リース終了時に当初設定残価に満たないと差額を払わなければならない”. ミニバン・ワンボックス専門店 Line★Up. 2019年8月24日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集