三言二拍(さんげんにはく)は、中国末に馮夢竜、凌濛初(中国語版)[注 1]らが編纂した通俗小説集の総称[注 2]。馮夢竜編の3部を三言、 凌濛初編の2部を二拍という。・明3代にわたって書かれた1巻1篇の、話本・擬話本(口語体の短編小説)が収録されている。凌濛初編に重複1巻、雑劇の戯曲が1巻あるため、都合198篇の短編小説からなる。

三言二拍の再発見編集

明末の崇禎年間(1628‐44年)に、抱甕老人(ほうようろうじん)(中国語版)と称する蔵書家が、これら198編から40編を選び『今古奇観(きんこきかん)』を編纂し刊行した。その後、清朝による歴代の文化弾圧政策により三言二拍等の刊本は亡佚してしまい『今古奇観』だけしか残存しない状態となっていた。

1925年(大正14年)になって鹽谷温[注 3]が、内閣文庫から『全像古今小説(ぜんぞうここんしょうせつ)』40巻 及び『喩世明言(重刻増補古今小説)』24巻 並びに『二刻拍案驚奇』40巻、帝国図書館から『醒世恒言』40巻 及び『拍案驚奇』36巻[注 4]を偶然に発見した。続いて鹽谷温門下の辛島驍らが満鉄大連図書館[注 5]に収蔵された大谷光瑞寄託書籍の中から『警世通言(けいせいつうげん)』28巻・『古今小説』40巻・『醒世恒言』40巻を、同じく鹽谷温門下の長沢規矩也は尾州徳川家蓬左文庫から『警世通言』40巻を発見した。時代を同じくして中国でも馬廉(ばれん・中国語版)氏蔵本 『警世通言』並びに孔德学校蔵 『警世通言』34巻が発見され、鹽谷温による発見からわずか3年間で明代印本の存在が明らかになった。これらの発見により宋以来の話本の全貌が明らかになった[3][4]

三言編集

『古今小説』編集

『古今小説』 と 『喻世明言』編集

馮夢竜編纂の『三言』は、最初『全像古今小説』として書肆 天許斎から刊行されたが、「古今名人の演義一百二十種を購得し、先ず三分の一を以て初刻と為す」と見返しに記し、40編を収録したものであった。その後出版された『喻世明言(ゆせいめいげん)』とは、一般には『古今小説(ここんしょうせつ)』40巻を改編改題したものとされることが多かった。しかし内閣文庫所蔵の衍慶堂刊行『喻世明言』24巻本には、見返しに『重刻増補古今小説』とあるが、増補と称するにもかかわらず収録小説が40編から24編に減じ、『古今小説』から21編、1編は『警世通言』の、2編は『醒世恒言』(せいせいこうげん)の重出となっており頗る不可解だが、松枝茂夫は書肆の「売らんが為のさかしらであろうか」と推測している[5]。その後、廣澤裕介[注 6]の書誌学研究によって『喻世明言』40巻本が実際にあったらしいということが分かってきた。廣澤は、衍慶堂が24巻本に先立ち『喻世明言』40巻本を刊行していたと指摘し、逸書40巻本の復元を試みている[6]。以下に掲げる目録は公表されている『古今小説』[7]のものである。

なお、『古今小説』及び『喻世明言』はともに序文に年月を記さず、発行年は不明だが、松枝は続く『警世通言』40巻(1624年)と『醒世恒言』40巻(1627年)とさほど隔たっていないだろうと推定し、1921年? と記載している[8]

『警世通言』編集

『警世通言』は、馮夢龍による敘(中国語版)の末尾に「時天啟甲子臘月 豫章無礙居士題」とあり、発行年は1624年である。

『醒世恒言』編集

『醒世恒言』は、馮夢龍による序(中国語版)に「天啟丁卯中秋、隴西可一居士題于白下之棲霞山房」とあり、発行年は1627年である。

『京本通俗小説』について編集

繆荃孫(1844‐1919)は上海の親戚の嫁入り道具にあった古写本から、首行に『京本通俗小説幾巻』と題された小説を発見し、破砕甚だしいもの、穢褻にすぎるもの2編を除き7編[注 31]を『煙画東堂小品』なる叢書に第10-16巻として『京本通俗小説』(けいほんつうぞくしょうせつ)を収め、上海の商務印書館から刊行した。これらは三言の中に収録されたものと題名は違うがほぼ同じテキストであったため、宋元の作品が明代に三言に採録されたものと解釈されていた。なお、これら7編は『今古奇観』40編には含まれていない。

その後、葉徳輝は繆荃孫が穢褻にすぎるとして棄てた『金主亮荒淫』を『京本通俗小説 第21巻 金虜海陵王荒淫』[注 32]と題して1919年に出版し、その後1927年に上海の亜東図書館から上記全8編を『宋人話本八種』として刊行した。

近年、『京本通俗小説』が繆荃孫による偽作だという説が有力になったが、最初にこれを論じたのは長沢規矩也であり、書誌学的検討により偽作論を展開した[15]。松枝茂夫も、繆荃孫の発見した原本を他の誰も見ていない等の理由から、長沢説に与しているが、これらが南宋から元代の作品であることは間違いないだろうと述べている[16]

二拍編集

二拍とは、明末の凌濛初が編纂した短編白話小説集『初刻拍案驚奇(しょこくはくあんきょうき)』、『二刻拍案驚奇(にこくはくあんきょうき)』をいう。

『初刻拍案驚奇』編集

『初刻拍案驚奇』は、40巻本の凡例[注 33]末尾に「崇祯戊辰初冬即空观主人识(崇禎戊辰初冬即空觀主人識)」とあり、発行年は1628年である。また『二刻拍案驚奇』小引[注 34]の冒頭に「丁卯之秋、事附膚落毛、失諸正鵠、遲回白門、偶戲取古今所聞一二奇局可紀者、演而成說、聊舒胸中磊塊。」とあり、即空觀主人こと凌濛初が科挙の試験に失敗し、『拍案驚奇[注 35]』を書いた経緯が書かれている。丁卯は天啓丁卯のことだから編纂年は1627年である。

『二刻拍案驚奇』編集

『二刻拍案驚奇』は、小引の末尾に「崇禎壬申冬日即空觀主人題於玉光齋中」とあり、発行年は1632年である。

日本語訳編集

三言二拍の日本語訳に関しては、東洋文化協会から《全譯中國文學大系》が1958年から1959年まで11冊ほど刊行され、全巻刊行されずに終わった。発刊されたものの中に辛島驍 訳註 塩谷温 監修の三言二拍198編中の82編、『警世通言』12編、『醒世恒言』40編、『拍案驚奇』30編を収録する計9冊、があり、国会図書館等で閲覧できる。

その後三言二拍の全訳はないが、平凡社の《中国文学全集》、《中国古典文学大系》の中に選集が発刊されている。

《中国古典文学全集》 1958年 第18巻 千田九一駒田信二立間祥介 訳『今古奇観 上』に25編が、1958年 第19巻、『今古奇観 下・三言二拍抄』には、『今古奇観』から15編、松枝茂夫訳『古今小説(喩世明言)』から3編、『警世通言』から2編、『醒世恒言』から2編、『初刻拍案驚奇』から2編、『二刻拍案驚奇』から1編の計25編が収録されている。また第7巻 『京本通俗小説・雨窓欹枕集・清平山堂話本・大宋宣和遺事』には、〈『京本通俗小説』について〉に記述した吉川幸次郎 訳『京本通俗小説』7編が収録されており、3冊中に都合57編が三言二拍から収録されていることになる。

《中国古典文学大系》1970年 第25巻 松枝茂夫 訳 『宋・元・明通俗小説選』に三言二拍からは、『古今小説(喩世明言)』から3編、『警世通言』から8編、『醒世恒言』から3編、『初刻拍案驚奇』から2編、『二刻拍案驚奇』から1編の計17編が収録されているが『今古奇観』40編との重複はない。ISBN 9784582312256 。1973年 第37巻、第38巻 千田久一・駒田信二・立間祥介 訳 『今古奇観』37)ISBN 9784582312379 、38)ISBN 9784582312386 、には計40編が収録されており、『京本通俗小説』7編が吉川幸次郎訳から松枝茂夫訳に変わったのと、微小な改訂などを除けば《中国古典文学全集》と同じ57編である。なお、『今古奇観』は平凡社 東洋文庫 (平凡社)にも収録されている。


注・出典編集

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注釈編集

  1. ^ りょうもうしょ、1580-1644年、字を玄房、号を初成、また即空観主人ともいう。浙江鳥程に生まれ、1591年12歳で秀才となるも1634年55歳にして上海県丞になる。その後1644年、農民の武装蜂起に抗拒し吐血して66歳で死んだ。著書は頗る多く、二拍も編纂と称しながら創作が多いとされる。
  2. ^ 松枝茂夫は、「馮夢竜は通俗小説の大立者として名が残っており、三言の中にも彼の創作が入っているであろう」と述べている[1]
  3. ^ しおのや おん、東京帝国大学文学部教授(当時)。
  4. ^ 後に豊田穣が日光慈眼堂の旧天海和尚蔵書から明の尚友堂刻40巻本を発見した[2]
  5. ^ 滿鐵大連圖書館(現・大連図書館魯迅路分館)は南満州鉄道株式会社(1906-1945年、略称「満鉄」)の設立した図書館。設立時の住所は関東州大連市東公園町29(満鉄本店の隣)。
  6. ^ ひろさわ ゆうすけ、立命館大学 文学部東アジア研究学域 准教授。
  7. ^ 都賀庭鐘 《古今奇談 英草紙》 1749年、第九編 『高武蔵守婢を出して媒をなす話』の粉本
  8. ^ 曲亭馬琴 『高尾船字文』 1796年 連判状発見のくだりの着想
  9. ^ 都賀庭鐘 《古今奇談 繁野話》 1766年、第五篇「白菊の方猿掛の岸に軽骨を射る話」の粉本[11]
  10. ^ 都賀庭鐘 《古今奇談 英草紙》 1749年、第二編 『馬場求馬妻を沈て樋口が聟と成話』の粉本
  11. ^ 曲亭馬琴 『椿説弓張月、『そのゝゆき』 1807年 の一部の粉本
  12. ^ 都賀庭鐘 作 《古今奇談 英草紙》 1749年、巻の三 第五編 『紀任重陰司に到て滯獄を斷る話』の粉本[12]
  13. ^ 都賀庭鐘 《古今奇談 英草紙》 1749年、第三編 『豊原兼秋音を聴て国の盛衰を知話』の粉本
  14. ^ 上田秋成 《雨月物語》 1768年、第二編 『菊花の約』一部の着想
  15. ^ 都賀庭鐘 《古今奇談 英草紙》 1749年、第四編 『黒川源太主山に入て通を得たる話』の粉本
  16. ^ 都賀庭鐘 《古今奇談 英草紙》 1749年、第八編 『白水翁が売卜直言奇を示す話』の粉本[14]
  17. ^ 都賀庭鐘 《古今奇談 繁野話》 1766年、第八編 『江口の遊女薄情を恨みて珠玉を沈むる話』の粉本
  18. ^ 都賀庭鐘 《垣根草》 1770年、巻の五 『環人見春澄を激して家を興さしむる事』の着想
  19. ^ 石川雅望 『天羽衣』 1808年 の着想
  20. ^ 都賀庭鐘 《古今奇談 英草紙》 1749年、第六編 『三人の妓女趣を異にして各名を成話』の粉本
  21. ^ 司馬芝叟 講釈(長咄)『油売郎』の粉本であるが、この芝叟の作が、近松徳叟(ちかまつとくそう、近松徳三 芝居 『侠顔廓日記』及び 改作 『油商人廓話』、さらに講談、浪曲、落語 『紺屋高尾』・『名物幾代餅』の粉本になっている。
  22. ^ 十返舎一九 『通俗油売郎』の粉本
  23. ^ 森羅子 『月下清談』(1798年)の粉本
  24. ^ 曲亭馬琴 『小説比翼文』 1804年 の着想
  25. ^ 南仙笑楚満人(なんせんしょうそまひと) 『秋色染話萩の枝折』の着想
  26. ^ 都賀庭鐘 《莠句冊》 1786年、第三編 『求冢俗説の異同冢の神の霊問答の話』の着想
  27. ^ 浅井了意狗張子》 1692年、第七巻 『飯森兵助陰徳の報い』の粉本
  28. ^ 上田秋成雨月物語》 1768年、第二編 『菊花の約』の粉本
  29. ^ 都賀庭鐘 《垣根草》 1770年、巻の三『靭晴宗夫妻再生の縁を結ぶ事』一部の着想
  30. ^ 平春海(たいらはるみ、村田春海) 未刊の作 『竺志船物語』の粉本
  31. ^ 『京本通俗小説』としての日本語訳は吉川幸次郎訳(『中国古典文学全集』第7巻所収)がある。
  32. ^ 東京大学東洋文化研究所所蔵 影印
  33. ^ 参照原文《序・拍案惊奇凡例(计五则)》 原文(簡体字)
  34. ^ 参照原文《中文百科在線―二刻拍案驚奇·小引 原文 》。
  35. ^ 2冊目が刊行されるまでは初刻の文字はなかった。
  36. ^ 都賀庭鐘 《垣根草》 1770年、巻の四『山村が子孫九世同居忍の字を守る事』の後半部分の粉本
  37. ^ 曲亭馬琴 『近世説美少年録』 1828-1834年 第26回後半から第18回までの粉本
  38. ^ 曲亭馬琴 『開巻驚奇侠客伝』 20巻 (1832-1835年、未刊)発端の粉本
  39. ^ 浅井了意 《御伽婢子》 1666年、第三巻『藤原基頼卿海賊に逢事』の粉本
  40. ^ 都賀庭鐘 《垣根草》 1770年、巻の三『靭晴宗夫妻再生の縁を結ぶ事』の粉本
  41. ^ 平春海 未刊の作 『竺志船物語』一部の着想
  42. ^ 雲府観天歩(うんぷかんてんぽ) 『雪炭奇遇』5巻 1803年 の粉本

出典編集

  1. ^ 『宋・元・明通俗小説選』, p. 524.
  2. ^ 豐田 1941.
  3. ^ 『宋・元・明通俗小説選』, pp. 523-524.
  4. ^ 勝山 1998, p. 170.
  5. ^ 『宋・元・明通俗小説選』, pp. 524-525.
  6. ^ 廣澤 2000.
  7. ^ 『宋・元・明通俗小説選』, p. 531-532.
  8. ^ 『宋・元・明通俗小説選』, p. 525.
  9. ^ a b c d e 『宋・元・明通俗小説選』, pp. 531-535. ミスプリは適宜修正した。
  10. ^ 駒田訳 1973, pp. 453-461. 解説「各巻の出典と、その江戸文学への影響」
  11. ^ 太刀川 1980.
  12. ^ 青木・淡斎編 1994, p. 5.
  13. ^ a b c 駒田 1973, pp. 453-461.
  14. ^ 佐藤 1980.
  15. ^ 長沢 1937.
  16. ^ 『宋・元・明通俗小説選』.

参考文献編集

  • 青木正児淡斎主人編 『通俗古今奇観』 岩波書店、1994年。ISBN 978-4003203613 
  • 勝山稔中国白話小説研究における一展望(I) : 明代短編白話小説集『三言』の研究とその分析を手掛かりとして」『東北大学大学院国際文化研究科論集』第6号、1998年、 174-160頁。
  • 『今古奇観 下』抱甕老人編、駒田信二訳、平凡社〈中国古典文学大系〉、1973年。ISBN 978-4582312386
  • 佐藤深雪「都賀庭鐘の奇談 : 「白水翁が売卜直言奇を示す話」」『日本文学』第29巻第4号、1980年、 50-61頁、 doi:10.20620/nihonbungaku.29.4_50
  • 太刀川清「『繁野話』の方法」『長野県短期大学紀要』第35号、1980年12月、 1-6頁。
  • 豐田穰 「明刊四十卷本《拍案驚奇本》及び《水滸志傳評林》完本の出現」 『斯文』 23巻6号、34-40頁、1941年6月https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/6086091?tocOpened=1 
  • 長沢規矩也 「京本通俗小說の眞僞・第一節 本篇の眞僞;第二節 葉氏刊本の僞作論」 『安井先生頌寿記念書誌学論考』 松雲堂書店、1937年、147-158頁。 
  • 廣澤裕介 「『喩世明言』四十卷本考」日本中国学会報』 52号、2000年https://www.spc.jst.go.jp/cad/literatures/2315 
  • 松枝茂夫編 『宋・元・明通俗小説選』 平凡社〈中国古典文学大系 第25巻〉、1970年。ISBN 9784582312256