三遊亭圓楽 (6代目)

日本の落語家
三遊亭円楽 (6代目)から転送)

6代目 三遊亭 円(圓)楽(ろくだいめ さんゆうてい えんらく、本名:會 泰通(あい やすみち)、1950年2月8日 - )は、落語家円楽一門会所属(マネジメントはオフィスまめかな)。2017年6月27日からは客員として落語芸術協会に加入[1]し、2つの噺家団体で活動している。2010年3月1日、初名の三遊亭楽太郎(さんゆうていらくたろう)から師匠の名跡である6代目三遊亭圓楽を襲名。しかし、「落語界では旧字体の<圓>の字をよく使うが、常用漢字の<円>で通す」[2]と表明しており、襲名以降各種落語会、独演会、テレビ出演等すべての活動において、「(6代目)三遊亭楽」と名乗っている。出囃子は師匠5代目三遊亭圓楽と同じ『元禄花見踊』(以前は『花が咲き候』を使用)。

六代目 三遊亭 円楽ろくだいめ さんゆうてい えんらく
六代目 三遊亭 円楽
三ツ組橘は、5代目圓楽一門の定紋である。『笑点』で着用している着物の紋も同様。
本名 會 泰通(あい やすみち)
別名 三遊亭圓楽
三遊亭楽太郎(旧名)
楽さん
ラッキー
らっきょう
生年月日 (1950-02-08) 1950年2月8日(68歳)
出身地 日本の旗 日本 東京都墨田区
師匠 5代目三遊亭圓楽
名跡 1. 三遊亭楽太郎(1970年 - 2010年)
2. 6代目三遊亭円楽(2010年 - )
出囃子 元禄花見踊
活動期間 1970年 -
活動内容 古典落語
配偶者 あり
家族 会一太郎(長男)
所属 落語協会(1970年 - 1978年)
落語三遊協会(1978年 - 1980年)
大日本落語すみれ会→落語円楽党→落語ベアーズ→円楽一門会(1980年 - )
落語芸術協会(円楽一門会と並行、2017年 - )
星企画(マネジメント・1970年 - 2010年)
オフィスまめかな(マネジメント・2010年 - )
受賞歴
放送演芸大賞最優秀ホープ賞
備考
円楽一門会幹事長

東京都墨田区出身。墨田区立両国中学校東京都立深川高等学校青山学院大学法学部卒業。長男は落語家・声優会一太郎(落語家としての名称は三遊亭一太郎)で、その妻は声優の佐々木愛[3]

目次

芸歴

  • 1970年4月 - 青山学院大学法学部在学中に5代目三遊亭圓楽の鞄持ちのアルバイトに志願、暫くの付き添いを経てスカウトされ入門、楽太郎を名乗る。当時落語研究部に所属、発表会で兄弟子三遊亭楽松(現:三遊亭鳳楽)に会っており、入門前から面識があった。
  • 1972年3月 - 青山学院大学法学部卒業。
  • 1976年7月 - 二つ目昇進。
  • 1977年8月28日 - 師匠5代目圓楽の弟弟子6代目三遊亭圓窓の後任として『笑点』レギュラーとなる。5代目圓楽の卒業で欠員が出ていたため、5代目が着ていた薄紫の色紋付を着用することとなった。
  • 1978年 - 落語協会分裂騒動で師匠と共に脱退し、落語三遊協会所属となる。
  • 1979年1月 - 放送演芸大賞最優秀ホープ賞受賞。
  • 1980年 - 落語三遊協会解散。大日本すみれ会(現:円楽一門会)所属となる。
  • 1981年1月 - 若手落語家努力賞受賞。
  • 同年3月 - 真打昇進。
  • 2007年より「博多・天神落語まつり」のプロデュースを手がけており、東西の大物落語家なども登場する一大イベントとなっている(2008年には、『笑点』の司会者でもある落語芸術協会会長の桂歌丸はもちろんのこと、各落語家団体の会長のそろい踏みも実現している)。
  • 2010年3月1日 - 6代目三遊亭圓楽を襲名
  • 2016年6月10日 - 写真週刊誌フライデー」に40代女性と錦糸町ラブホテルへ入る様子を撮影された件で、釈明会見を開き不倫関係にあることを認めた[4]。この際、冒頭で相手との出会いや関係について自らつまびらかに語り、不倫相手・「フライデー」・妻・落語関係者・『笑点』関係者に対して謝罪と感謝の言葉を述べ、報道陣の質問にも制限をほとんど設けずすべて答えたため、「神対応」と評価された[5]。このこともあってかすぐに騒動も収まることになる。ちなみに掲載直後の『笑点』の大喜利では自己紹介の前に司会の春風亭昇太から不倫報道を理由に座布団を全部没収された[6]
  • 2017年6月27日 - この日開かれた落語芸術協会の総会にて客員での加入が認められ、同日より五代目円楽一門会と並行して落語芸術協会の落語家としても活動する[1]。これにより、落語協会脱退以来39年ぶり(厳密には6代目円楽襲名披露興行を落語芸術協会の協力の下、定席興行にて実施している為、それ以来7年ぶり)に定席興行に出演できるようになった。また、この加入は単身での加入であり、6代目円楽門下の弟子は引き続き五代目円楽一門会のみの所属となる。

6代目圓楽襲名

2008年8月、師匠・5代目三遊亭圓楽から、楽太郎が還暦を迎える2010年2月に三遊亭圓楽を6代目として襲名をすることが明らかとなった(当時は、60歳を迎えるのが2010年の2月で、真打昇進したのが1981年の春3月であったため、その頃を目処にという表現をしていた)。楽太郎は「圓楽の名跡は師匠(5代目三遊亭圓楽)が大きくしたもの。5代目・6代目はよかったねといわれるよう精進したい」と語った。

しかし、自らが関わっている「博多・天神落語まつり」を直前にした2009年10月29日朝、師匠5代目が肺癌で死去。プロデューサーという立場上、既に現地入りしていたため師匠の最期には立ち会えなかった(2009年9月3日に、長男の一太郎を伴って、5代目圓楽の自宅へ自分の弟子にしたと挨拶に訪問したのが直接対面した最後だったとのこと。この日は大師匠である6代目三遊亭圓生の誕生日と命日でもあり、墓参りもしていたとしている)。翌日の開幕式では気丈に振舞っていたものの、師匠を失い、襲名披露に立ち会ってもらえなくなったという精神的ショックは大きく、報道陣に対しては自筆のコメントペーパーを出すのが精一杯だった。その後も、仕事で地方廻りがあったため、悲しみの対面は、一門による通夜が行われた11月4日となった。

2010年2月28日放送の『笑点』にて「六代目円楽襲名披露口上」を行い、翌3月1日より正式に6代目圓楽を襲名した。次いで、襲名披露パーティーと記者会見を3月2日、東京千代田区帝国ホテルにて開催した。襲名披露公演は全国各地で行われ、2010年3月下席から4月中席まで落語芸術協会(会長・桂歌丸)の定席興行(新宿末廣亭浅草演芸ホール池袋演芸場)でも開催された。これは楽太郎の要望に応じた芸術協会の協力により実現した。定席への出演は32年ぶりとなった。また、同年5月31日には、横浜市三吉演芸場で行われた歌丸一門会でのトリを務めることになった(圓楽曰く、「アウェイ」)。

笑点のオープニングではアニメーションが変更され、2010年2月28日から2016年5月8日の放送まで「六代目」の寄席文字が入っていた(英語標記も、6th SANYUTEI ENRAKUとなっていた)。

後述のように、襲名と同時に師匠(5代目圓楽)が担当していた日本香堂毎日香のCMナレーションも継承している。

エピソード

  • しばしば、政治社会風刺ネタを行う[7]
  • 父は警視庁警察官。その父への反抗心からか学生時代にはブントに所属し学生運動にも参加していたが、「ユートピアを追うことに疲れ、そのときに落語を聞き返したところ、その中にユートピアがあることを発見し、落語に生きることにした」[8][出典無効]と語っている。
  • 楽太郎の名は大師匠6代目圓生が付けたものであり、真打昇進の際にも改名を拒んだという[9]
  • 20歳で圓楽に弟子入りし、概ね5年ごとに節目を迎えてきたため、いつしか「5年計画」で物事を進めるようになった。そのため、圓楽襲名の話が師匠からあった際も、すぐにというわけではなく、その5年ごとの節目にもあたる60歳に、という意向で、6代目圓楽襲名の話を進めることになったと語っている。
  • 若手の頃は瀬古利彦に顔が似ているということで、瀬古の物真似でテレビ出演することが多かった。瀬古のランニングシャツを真似た「S&B」を着て「これは『三遊亭楽太郎は、僕です』の略字」と説明。『笑点』の大喜利のネタでも瀬古の物真似をやっていたが、35歳を迎える1985年正月より「落語で勝負したい」として瀬古の物真似を封印する。それから数年が経ち、瀬古の方から「楽太郎に似ている」ことを話のネタにするという逆転現象となった。現在も交流があり、2010年3月の6代目圓楽襲名パーティーにサプライズゲストとして瀬古が出演した。実際には圓楽のほうが年上である。
  • 2015年1月1日、『笑点』正月特番の女子アナとの大喜利コラボ企画で「青山頑張れ!」と母校の青山学院大学陸上部を応援する発言を行い、翌日開催された箱根駅伝において、青学陸上部は完全優勝を果たした。これに2区を走った一色恭志選手がツイッターで感謝の呟きをした[要出典]
  • 最初の弟子は後に放送作家となる石田章洋(門下当時は花楽京)、二番目はタレント伊集院光(門下当時は楽大)であるが、いずれも落語家を廃業、転職している。
  • 楽太郎時代(30代の後半頃)酔っぱらって高校の同級生が複数経営していた寿司屋の六本木の店舗で板前を外に出して、勝手に寿司を握るなど暴挙が原因でその店舗の経営がガタ落ちし、閉店することになった[10]
  • プロレスファンとしても知られる(天龍源一郎は中学時代の同級生[11])。特に全日本プロレスジャイアント馬場との親交は深く、リングサイドで観戦中客席に向かって唾を吐こうとする永源遙に向け輪ゴムを飛ばすシーンが全日本プロレス中継で放映された。また、馬場死去の際に応じたインタビューでは涙を流して馬場の事を(圓楽の方が歳下であるものの親しみを込め)「正平」と呼び捨てにしていたことを明かし、「馬場さんの中には小さな馬場さんがいっぱいいて細やかな気遣いのある人でした」と言葉を詰まらせながら語った。また、ウルティモ・ドラゴンが立ち上げた闘龍門の理事長を務めたこともあった。
  • 先代の圓楽と三遊亭圓丈とは落語協会脱退後に袂を分かつ状態となったため特段の交流がなかったのであるが、2013年の圓丈の著書「落語家の通信簿」について圓楽が誤認を指摘して増刷時に修正されたのを機に意気投合し2014年に合同落語会「さんゆう(三遊)の雪解け」が開催されることとなった[12]
  • 円楽一門が落語協会にいた時代から落語家であるが、実は1990年頃、落語立川流非落語家の著名人枠(立川流Bコース)に入門していたことがある。あくまで円楽一門会所属の落語家である故に、プロ落語家として落語家団体の二重加盟を避けたためであると思われるが、7代目(5代目)立川談志との交流関係を伺わせるエピソードである。[13]
  • 衆議院議員東祥三とは長い付き合いがあり応援をしている[14]
  • 師匠の五代目圓楽がその生前に釈迦尊寺曹洞宗群馬県前橋市)の住職との親交があった為、その関係から六代目円楽も前名の楽太郎時代から釈迦尊寺との繋がりがある。六代目自身は「俺は次男なので実家の墓に入れないから」と釈迦尊寺に生前墓(寿陵)を建立している[15][16]。2016年3月には釈迦尊寺にて得度(出家)式を行い、『楽峰圓生』(らくほうえんしょう)の僧名を賜ったという[15][16]
  • 上記の釈迦尊寺との関係もあり、前橋市出身の立川談之助立川談志一門)、弟弟子でもある三遊亭竜楽と共にまえばし観光大使に委嘱されている[17][16]
  • 息子の一太郎も述べているが、先代圓楽が肺がんで逝去するまでは夫婦揃ってのヘビースモーカーであった。大喜利メンバーに昇格して間もない若手時代の写真でも、並み居る先輩噺家を前に堂々と喫煙する姿があった。

大喜利メンバーとして

  • 1977年8月から『笑点』の大喜利に出演している(入門直後から5代目圓楽の付き人・裏方として番組に関わっていた)[18]
    • 2018年現在の大喜利メンバーの中では林家木久扇(1969年11月加入)に次ぐ古参である反面、2004年12月に林家たい平代理メンバーとして加入するまでは、1歳年下の桂才賀がメンバーだった一時期を除いて最年少メンバーだった。
  • 笑点で着用している色紋付の薄紫色は、師匠5代目圓楽が大喜利メンバー時に着用していた色と同じもの。
  • インテリ[7]、腹黒[7]、友達がいないキャラを担当[19]。笑点メンバーには同程度の偏差値とされMARCHとまとめて呼ばれる明治大学卒の三遊亭小遊三中央大学中退の二代目林家三平もいるが、小遊三と三平はインテリキャラをネタにしていない。
  • かつてノベルティーグッズとして『腹黒時計』なる物を制作していた事があり、時計の一部は弟子筋にも配布されている[20]。他にも、林家木久扇が販売している「木久蔵ラーメン」に対抗して、「円楽腹黒ラーメン」を販売している[21]
  • 5代目圓楽が司会を務めていたころ、自身に対するダメ出しで番組が締めになるなど5代目圓楽から非情なまでにダメ出しされたので、メンバーを辞めようと思ったこともある。しかし当時の番組プロデューサーである本多益幸から励ましを受けて思いとどまった[22]。そんな自身が褒められたのは5代目圓楽が死去する2年ほど前であり「おまえもようやく少しは“らしく”なったねぇ」と言われた[23]
  • 兄弟弟子である好楽[24]が運営する池之端しのぶ亭は『笑点』のネタにおいて「潰れる」などと多用している(建前は罵倒だが本音は罵倒ではなく、自らを含む5代目圓楽一門会の寄席に来て欲しいという宣伝も含まれている)が、円楽一門会の寄席のお江戸両国亭が工事などで使用不可になった際は、代わりに使っている。
    • 師匠である5代目圓楽が司会だった時代は、師匠の作った寄席の若竹が潰れた、馬面、借金などの罵倒ネタを歌丸とともに多用していた。

桂歌丸との関係

5代目圓楽が司会に就任以降、大喜利メンバーの先輩である歌丸との罵倒合戦を繰り広げており、歌丸が司会に就任していた頃は前述の政治批判や時事ネタを活かして座布団を獲得するも、罵倒ネタ(主にジジイネタ・禿または髪の毛のネタ・臨終または葬式ネタなど)を用いて(稀に昇太・たい平や全員を巻き込んで)大量ないし全部没収されてしまうことがしばしばあった。歌丸が勇退し、昇太が司会に就任してからも、時々歌丸の悪口を言うことがある。番組内では犬猿の仲に見えるが、若手時代にネタに困っていた楽太郎に歌丸が「俺のことでもいいから」とアドバイスしたのが罵倒合戦の始まりであり[22]、円楽曰く「罵倒ネタを用いた際は収録後に謝るようにしている」。普段では歌丸とは仲が良く、二人会等共演も多くメキシコで一緒に海外公演を行った。6代目圓楽襲名の際、5代目が逝去していたこともあって歌丸が後見人を引き受け、襲名披露を定席興行で実現させた。
また、五代目圓楽一門と歌丸のつながりはただの笑点仲間としてだけではなく、所属する協会が違う(円楽は5代目圓楽一門会の幹事長、歌丸は落語芸術協会の会長)にもかかわらず落語の寄席の確保などでも緊密な連携をしていた。
その後、前述の通り2017年6月より、歌丸が会長を務める落語芸術協会に単身で客員として加入することになったが、その仲介役となったのが歌丸と副会長の三遊亭小遊三である[25]
こうした長年に渡る関係から、円楽の歌丸へ対する尊敬の念は大きく、2015年10月には『桂歌丸師匠を人間国宝にする会』を立ち上げ、歌丸を落語界4人目の人間国宝にすべく署名運動を展開した事もあった[26]。こうした活動からも、円楽にとって、歌丸は単なる噺家の先輩後輩関係を超えた特別な存在である事が伺える。2018年7月の歌丸死去の際には、マスコミ向けに出したコメントの中で、歌丸のことを、生みの父、噺家としての父である師匠5代目圓楽に次いで、自身を支えてくれた『最後の父親』と称し、歌丸への思いを綴った[27]。また、コメントの中で触れられている、歌丸との生前最後の対面となった同年6月20日の見舞いの際には、その様子を共に見舞った笑点の番組関係者がビデオ撮影しており、この時撮影された映像は、7月12日に日本テレビで生放送された歌丸追悼特別番組内で『歌丸生前最後の映像』として放送された。
歌丸の死後最初の放送となった7月8日放送は、歌丸追悼スペシャルとして生前の思い出話や、歌丸を偲んでの追悼大喜利が行われ、この中で円楽は大喜利最後の回答で指名され、亡き歌丸相手に、「ジジイ!早過ぎるんだよ!」と最後の罵倒を叫び、長年の罵倒合戦を涙ながらに締め括った[28]
師匠5代目圓楽が創設した五代目圓楽一門会(理事)と歌丸が会長を務めた落語芸術協会(客員)と二重所属である。更に元々五代目門下に入った当初は師匠共々落語協会所属であり、先述の通り立川流にも噺家枠外の有名人コースで在籍歴がある為、主要な噺家団体全てに何かしらの形で在籍歴がある数少ない噺家の1人である。

出演

テレビ

テレビドラマ

ラジオ

映画

CM

  • マクドナルド(1970年代後半)
  • ヤマハ発動機 GR50(「落語家でいえば、楽太郎。」がキャッチコピー、1970年代後半)
  • 松下電器産業(ふろブザー、1980年)
  • 祐徳薬品工業(パスタイム 『きもちんよか〜♪』のCMで薬局薬剤師の役などで出演、1980年代前半)
  • 旭化成ホームズ(ヘーベルハウス、1980年代)
  • ヤマサ醤油 さしみしょうゆ(1984年)
  • 松下電器産業(ナショナル パナスプレー 園芸用殺虫剤噴霧器、1980年代後半)
  • 太洋技建(ポリマーライト、1990年代後半)
  • 野村證券(株券電子化篇、2006年、木久扇(当時初代木久蔵)と歌丸と共演)
  • 日本香堂
    • 毎日ローソク
    • 青雲…師匠5代目圓楽と共演(※ ただし、5代目圓楽は声のみ)していたことがある。
    • 毎日香…6代目圓楽を襲名した2010年2月28日より、師匠5代目圓楽に代わって、毎日香の語りを務める。現在、彼岸バージョン、お盆バージョン、仏壇へのお参りバージョンの3パターンが用意されている。
  • 代々木アニメーション学院(自ら学院長を務めたが、経営難で離脱)
  • サンコー食品(ヤマザワ系列の製乳業。※山形県/宮城県限定)笑点で宮城県/山形県で収録の際はネタにする
  • 日清オイリオ
  • 徳島カントリー倶楽部
  • 東京団子(切り餅)
  • サントリー
    • 「福T(笑点オリジナルTシャツ)」プレゼント(2007年春)
    • 「福バッグ(笑点オリジナルバッグ)」プレゼント(2008年春)
    • 「福ジャン(笑点オリジナルジャンパー)」プレゼント(2008年秋)
    • 「帰ってきた福T(笑点オリジナルTシャツ)」プレゼント(2009年春)
    • 「ソーラー福バッグ(笑点オリジナルバッグ)」プレゼント(2010年春)
    • グルコサミン&コンドロイチン(2008年- )グルコサミンのみ単独出演、それ以外は笑点コラボでメンバー全員出演、着物は紫ではなくオレンジ
  • 白十字「サルバやわ楽パンツ」(2017年)

著書

  • 『ジョーダンはよせ!』三遊亭楽太郎 広済堂出版 豆たぬきの本 1984
  • 『楽太郎の麦ごはん健康法』リヨン社 1987
  • 『楽太郎の実践トーク術 結婚式編』池田書店 1992
  • 『失敗しない司会進行実例百科 結婚式・ビジネス・地域社会での司会をじょうずにこなす』三遊亭楽太郎 池田書店 1993
  • 『楽太郎の実践トーク術 ビジネスライフ編』池田書店 1993
  • 『こころの日向ぼっこ』三遊亭楽太郎 法研 1995
  • 『失敗しない司会進行のコツと実例集』三遊亭楽太郎 池田書店 2003

共著

  • 『楽太郎と税を語る 聞きたい知りたい税のこと』三遊亭楽太郎,小宮山隆著 ストーク 1997
  • 『楽太郎と法人税を語る 聞きたい知りたい法人税のこと』三遊亭楽太郎,小宮山隆著 税務研究会出版局 1999
  • 『六代目円楽と税を考える 知っておきたい税金の常識』三遊亭円楽,小宮山隆共著 法令出版 2010

CD

DVD

  • 六代目三遊亭円楽襲名記念 三遊亭楽太郎十八番集BOX(DVD3巻組、特典:秘蔵写真フォトDVD付)
  • 六代目三遊亭円楽襲名記念 三遊亭楽太郎十八番集①(薮入り・お化長屋)
  • 六代目三遊亭円楽襲名記念 三遊亭楽太郎十八番集②(禁酒番屋・死神)
  • 六代目三遊亭円楽襲名記念 三遊亭楽太郎十八番集③(明烏・芝浜)

その他

  • 1980年 - 、税務大学校講師
  • 1991年9月、アメリカンM&N大学(ただしディプロマミル(学位工場や学歴工場などと呼ばれる実質的な教育実態がない学校)より哲学・理学博士号(購入)
  • 1992年11月、国税庁長官表彰
  • 1994年4月 - 、栃木・中央福祉医療専門学校客員教授、教え子の学生たちが笑点の客席に観覧に来た際に、歌丸で介護実習を行うなどのあいさつを行っている。
  • 1996年9月 - 、ハワイ・オアフパークゴルフ協会名誉顧問
  • 2006年4月 - 、代々木アニメーション学院学院長に就任(後に経営危機で離脱する)

一門弟子

落語以外の芸能に転向した弟子

なお、両名について円楽は身内ととらえている。一門会に出演させている他、石田の著書を『笑点』で宣伝したり[31]、伊集院とはテレビ・ラジオにおいて共演することがある。[32]また、伊集院も円楽について現在も「師匠」と呼び、落語家時代の話をすることがある。 両名とも落語家ではなくなったが、現在でも師弟関係で弟子として通っている。

さらに息子の一太郎も厳密には本業は落語家ではなく声優である。

落語家以外の弟子

師匠のWエースが相次いで他界した後一門に属し、漫才協会員としての活動に加え、圓楽が出演する両国寄席等にてネタ見せの機会を増やす。又、自身の結成10周年記念イベントにも圓楽はゲスト出演し、モタレ(トリの前の出番)を務めた。

出典・脚注

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  1. ^ a b “円楽 落語芸術協会に加入 落語界“統一”へ一歩”. デイリースポーツ. (2017年6月28日). https://www.daily.co.jp/gossip/2017/06/28/0010321145.shtml 2017年7月2日閲覧。 
  2. ^ 新宿末廣亭2010年(平成22年)3月寄席だより
  3. ^ “三遊亭円楽長男・会一太郎、声優の佐々木愛と結婚”. ORICON STYLE. (2016年8月21日). http://www.oricon.co.jp/news/2077118/full/ 2016年8月22日閲覧。 
  4. ^ 三遊亭円楽、涙で不倫認める「浮気と言えば浮気」日刊スポーツ 2016年6月10日閲覧
  5. ^ 円楽 不倫会見で見せた人情味と神対応日刊スポーツ 2016年6月10日閲覧
  6. ^ 円楽タジタジ…「笑点」ラブホ不倫イジり 昇太“容赦なし”座布団没収  スポーツニッポン 2016年7月3日2018年1月31日閲覧
  7. ^ a b c 三遊亭円楽|笑点|日テレ
  8. ^ NHK あさイチ2010年4月9日放送
  9. ^ 圓楽の「楽」に長男を意味する「太郎」で楽太郎となった。なお、当時圓楽一門には兄弟子楽松(現:鳳楽)がいたが、楽松については6代目圓生の本名「松尾」の「松」を与えたとされている。
  10. ^ 2011年火曜サプライズの収録での圓楽の同級生本人のでの証言より
  11. ^ 天龍は当時、二所ノ関部屋から通学していた。現在は中学卒業前の入門は不可となっている。
  12. ^ 円丈、円楽「さんゆうの雪解け」 YOMIURI ONLINE 2013年12月16日閲覧
  13. ^ 「談志が死んだ──立川流はだれが継ぐ──」(講談社、2003年)より
  14. ^ 三遊亭 圓楽さん 東祥三 応援動画 | 東 祥三 ホームページ 2013年4月14日閲覧
  15. ^ a b “三遊亭円楽、出家していた! 一足早く「円生」を“襲名””. スポーツ報知. オリコン. (2016年12月13日). http://www.hochi.co.jp/entertainment/20161213-OHT1T50078.html 2016年12月13日閲覧。 
  16. ^ a b c “前橋の観光大使に円楽さんら 30年前に「墓」取得、死んだら住民票移す”. 高崎前橋経済新聞. みんなの経済新聞. (2016年3月25日). http://takasaki.keizai.biz/headline/2684/ 2016年12月13日閲覧。 
  17. ^ “「まえばし観光大使」の委嘱について” (日本語) (PDF) (プレスリリース), 群馬県前橋市, (2016年3月24日), http://www.city.maebashi.gunma.jp/sisei/450/465/006/p016252_d/fil/20160324_1.pdf 2016年12月13日閲覧。 
  18. ^ ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』73ページ
  19. ^ ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』74ページ
  20. ^ ☆コレですよぉ~☆ ニックス エミ・トモのブログ 2011年6月28日 2016年6月2日 閲覧
  21. ^ 円楽腹黒ラーメンVS木久蔵ラーメン、どっちがまずい?(2017.04.23)
  22. ^ a b ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』76ページ
  23. ^ ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』77ページ
  24. ^ 好楽のほうが年上かつ芸歴では先輩にあたるが、5代目圓楽への入門が遅いため、好楽は6代目圓楽に対しては弟弟子であるという解釈もできる。なお、一門会での役職は、6代目円楽が幹事長であるのに対して、好楽は2015年から会長を務めているので、役職という面も含めて見れば好楽が上に立っている。
  25. ^ 円楽 落語芸術協会に加入 落語界“統一”へ一歩 - デイリースポーツ 2017年6月28日
  26. ^ 桂歌丸を「人間国宝」に――ネット上の署名活動が話題に 発起人は三遊亭円楽さん - ITメディアニュース 2016年5月18日
  27. ^ 歌丸さん死去 笑点メンバーが追悼 円楽「とうとう洒落にならなくなりました」 - デイリースポーツ 2018年7月2日
  28. ^ 三遊亭円楽「ジジイ!早すぎるんだよ!」 歌丸さんへ思い叫び、こらえきれず涙… - 毎日新聞 2018年7月8日
  29. ^ 円楽18年ぶり時代劇 語り役で江戸の文化や歴史の背景解説”. スポニチアネックス (2015年11月9日). 2015年11月9日閲覧。
  30. ^ 「赤めだか」二宮和也らが故・立川談志師匠に撮了報告”. ニュースウォーカー (2015年11月21日). 2015年12月7日閲覧。
  31. ^ 企画は、ひと言。公式サイト
  32. ^ 他の出演者(若手含む)が6代目円楽に対して普通に接しているのに対し、弟子の伊集院は師匠に気遣って接している事が多い。

関連項目

外部リンク