上信電気鉄道デハ20形電車
上信電気鉄道デハ20形電車(じょうしんでんきてつどうデハ20がたでんしゃ)は、かつて上信電気鉄道(現 上信電鉄)に在籍していた直流用電車である。 本項では同様の車体を持つ制御付随車であったクハ20形電車とその前身となったクハニ20形電車についても述べる。
上信電気鉄道デハ20形電車 クハ20形電車 | |
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デハ22 | |
基本情報 | |
製造所 | 日本車輌製造・川崎車輛・東洋工機・三和車両・西武所沢車両工場 |
主要諸元 | |
軌間 | 1,067 mm |
電気方式 | 直流1,500 V(架空電車線方式) |
車両定員 |
デハ20,23:110人(座席50人) デハ21:110人(座席48人) デハ22:112人(座席46人) クハ20:114人(座席52人) クハ21:120人(座席56人) クハ22:150人(座席59人) |
自重 |
デハ20形:32.0 - 32.5 t クハ20形:24.5 - 26.0 t |
最大寸法 (長・幅・高) |
デハ20 16,800 ×2,740 ×4,094 mm デハ21 15,885 ×2,740 ×4,094 mm デハ22,23 16,000 ×2,740×4,229 mm クハ20 16,000 ×2,740 ×3,770 mm クハ21 16,850 ×2,740 ×3,770 mm クハ22 18,800 ×2,740 ×3,880 mm |
車体 | 普通鋼(半鋼製) |
台車 |
デハ20形:TR14 クハ20形:27-MCB-2・KSK-3H |
主電動機 | MT4 |
主電動機出力 | 85 kW |
駆動方式 | 吊り掛け駆動方式 |
歯車比 |
64:20(3.2) 65:19(3.42) |
制御装置 |
抵抗制御・直並列組合せ HL15D |
制動装置 | 自動空気ブレーキ(AMM) |
保安装置 | ATS(デハ22.23のみ) |
備考 | 製造メーカーには書類上のものを含む。 |
概要
編集デハ20形が4両、クハ20形が3両の計7両が在籍した。 いずれも台車・台枠その他機器の流用によって登場した形式だが、書類上は新造と木造車の鋼体化および在来車の車体更新名義のグループに分かれる。 またすべての車両がタブレット交換のために運転台を進行方向右側に配置していた。
デハ20形
編集デハ20は戦災によって被災焼失し廃車となった鉄道省モハ311を1950年(昭和25年)に譲り受け、同車から流用した台枠と台車を三和車両で新造した鋼製車体と組み合わせて1951年(昭和26年)に新造車名目で導入した。客用扉部分を除く車体の裾部分が外から台枠が見えるほどに大きく切り欠かれた腰高な車体と両正面共に非貫通型の運転台であることが特徴であった[1]。
デハ21は1925年汽車会社製の木造車デハニ1を1958年(昭和33年)に三和車両にて鋼体化したものである。この際台車はブリル27-MCB-2からTR14に、主電動機はシーメンスDJ11B(端子電圧750V 定格出力50kW)から国鉄制式のMT4に変更された。
デハ22とデハ23は改軌、電化に合わせ1924年(大正13年)に新製したデハ1形4・5を1960年(昭和35年)に、それぞれ西武所沢車両工場と東洋工機にて鋼体化を行った。この際デハ21の時と同様に、台車・主電動機の変更が行われた。またデハ22のみ後年歯車比の変更(1:3.2→1:3.42)[2]が行われている。
クハ20形
編集クハ20は自社サハ2を1956年(昭和31年)に鋼体化改造したもので、台車は当初27-MCB-2[3]を再利用したが、後にTR14[2]に変更された。
クハ21は1959年(昭和34年)東洋工機製の新造車だが、台車は当初木造車から流用した汽車会社製KSK-3Hを装備した。これは後に27-MCB-2への振り替えを経て、最末期にはTR14[4]を装備した。
クハ22は後述のクハニ20形クハニ21を1961年(昭和36年)に西武所沢車両工場にて台枠を延長した上で19m級3扉の車体を新造して載せ換え、改番したものである。この際ベンチレーターはお椀型から上信電気鉄道初採用かつ旧型車唯一のグローブ型へ変更されて異彩を放っていた[注釈 1]。
クハニ20形
編集川崎車輛[5]製の元豊川鉄道の鋼製車である国鉄モハ1600形電車1601号を1958年(昭和33年)に譲受し、三和車両で一部機器の改造を行って1959年にクハニ21として竣工した。この際車体は手を加えられず、深い丸屋根とお椀型ベンチレーターが特徴的ないわゆる「川造型」のままであり、側面扉はすべて片開き式で3ヶ所。手荷物扱いを行うために荷重2トンの荷物室[3]を設け、台車は種車のTR14から27-MCB-2に変更されている。前述のように1961年には車体更新[注釈 2]によってクハ20形クハ22となり、登場からわずか2年程で形式消滅している。
車体
編集いずれも16 m級、もしくは17 m級車体であったが、60年代初頭の段階では輸送力増強のために在来車両のうち十数両を対象に車体を3 m延長する計画が存在した[6]。しかし、その後新造車である200形を導入する計画[注釈 3]に移行したために、本系列では前述のようにクハ22のみが施工されている。
クハ20形全車とデハ23は片運転台構造、デハ20形は前述のデハ23を除いて両運転台構造であり、デハ22・デハ23とクハ21・クハ22は側面に補強板が露出しないノーシル・ノーヘッダーであった。
主要機器
編集主制御器はウェスティングハウス・エレクトリック、または三菱電機製で電磁空気単位スイッチ式手動加速制御(HL制御)のHL15Dを採用した。デハ20形の主電動機は国鉄払い下げ品のMT4[注釈 4]を1両当たり4基搭載した。台車はいずれも鍛造台車枠を備える釣り合い梁式台車であり、デハ20形はやはり国鉄払い下げ品のTR14、クハ20形は木造車からの流用で当初クハ21のみがKSK-3H台車、残りの2両は27-MCB-2台車を装備したが、後にKSK-3Hは廃棄され27-MCB-2[8]に変更された。またクハ20・クハ21は前述のように後年27-MCB-2からTR14に振り替えられている。制動装置はM弁を使用したAMM自動空気ブレーキを採用した。制御装置に関しては、60年代初頭時点では自動加速制御(AL)の機種に変更されることも検討されていたものの、車両導入計画の変更もあり実現しなかった。
変遷
編集本系列はデハ10形・クハニ10形・デハニ30形といった「旧型車」の中でももっとも在籍数が多く、1950-70年代の上信線において主力として活躍した。しかし、1980年(昭和55年)から開始された上信線近代化事業の一環として小型車であり走行性能も劣る本系列は代替されることになった。同年より始まった100形、250形、6000形の導入に伴って廃車が進められ、翌1981年(昭和56年)度末までに予備車のデハ23と入換作業用のデハ22を残して廃車・解体された。残った2両は引き続き在籍し、1985年(昭和60年)にはATSの設置改造なども行われたが、1991年(平成3年)にデハ23が、続いて1993年(平成5年)にデハ22が廃車となって本形式は消滅した。
その他
編集西武所沢車両工場で落成したデハ22は、試運転を西武線内で行った際、同社線上を自力走行している[9]。
車歴
編集- 凡例
- 二段 …二段窓、一段上昇 …一段上昇窓
両 …両運転台、片 …片運転台
車両番号 | 種車 | 竣工年 | 改造担当 | 側面窓形状 | 運転台 | 運転台形状 | 廃車年 | 備考 | |
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デハ20形 | デハ20 | 1951年11月 | 三和車両 | 二段 | 両 | 非貫通型 | 1981年4月 | 新造 (台車・台枠は国鉄モハ311[注釈 5]からの流用) | |
デハ21 | デハニ1 | 1958年8月 | 三和車両 | 一段上昇 | 両 | 貫通型 | 1981年4月 | ||
デハ22 | デハ4 | 1960年4月 | 西武所沢車両工場 | 一段上昇 | 両 | 貫通型 | 1993年2月 | ||
デハ23 | デハ5 | 1960年10月 | 東洋工機 | 一段上昇 | 片 | 貫通型 | 1991年2月 | ||
クハ20形 | クハ20 | サハ2 | 1956年8月 | 三和車両 | 二段 | 片 | 貫通型 | 1980年4月 | |
クハ21 | 1959年7月 | 東洋工機 | 一段上昇 | 片 | 非貫通型 | 1981年12月 | 新造 | ||
クハ22 | クハニ21 | 1961年5月 | 西武所沢車両工場 | 一段上昇 | 片 | 非貫通型 | 1981年12月 | ||
クハニ20形 | クハニ21 | 国鉄モハ1601 | 1959年3月 | 三和車両 | 一段下降 | 片 | 貫通型 | 1961年5月(車体更新) | 豊川鉄道モハ24(1927年) → モハ22(1937年) → モハ1601(1953年) → 譲受(1958年) |
脚注
編集注釈
編集- ^ 以降上信電気鉄道では1981年に落成した250形までグローブ型のベンチレーターを採用している。
- ^ この際、旧車体は解体されず前面の非貫通構造化ならびに2枚窓化の後近江鉄道クハ1207形の鋼体化改造用に流用された。
- ^ 当初新造車の導入は3両とし、在来車両13両(電動車:6両・制御車:7両)の車体延長を並行して行う計画であった。実際には1964年と1969年に200形を計9両導入し、車体延長工事は本系列のクハニ21→クハ22とデハ10形デハ10の2両に施工されたに留まる。
- ^ 製造メーカーによる形式はゼネラル・エレクトリックがGE-244、ライセンス生産を行った芝浦製作所がSE-102である。上信電気鉄道が導入したのは国産のMT4であったとされる[7]。国鉄ではいずれも端子電圧675 V・定格出85 KWの電動機として扱われたが、上信電気鉄道では端子電圧750 V・定格出力85 KWの電動機として扱っていた[4][8]。
- ^ 鉄道省デハ33535(1926年) → 同モハ1061 → 鶴見臨港鉄道モハ301(1934年) → 同モハ311 → 鉄道省モハ311 → 戦災廃車(1945年)
出典
編集- ^ 『鉄道ファン』通巻169号 p.39
- ^ a b 『鉄道ファン』通巻169号 p.40
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル』別冊33号 p.40
- ^ a b 飯島 巌「新車ガイド上信電鉄6000形・250形」、『鉄道ファン』244号(1981年8月)、交友社 pp. 巻末
- ^ 『鉄道ピクトリアル』別冊33号 p.39
- ^ 『鉄道ピクトリアル』別冊33号 p.43
- ^ 『鉄道ピクトリアル』別冊33号 p.41
- ^ a b 『鉄道ファン』通巻169号 p.41
- ^ 西尾 恵介「所沢車輌工場ものがたり(上)」、『RM LIBRARY』30号(2002年1月)、ネコ・パブリッシング pp. 39
参考文献
編集- 飯島 巌・諸河 久「上州名物 カカア天下と上信電鉄」、『鉄道ファン』169号(1975年5月号)、交友社 pp. 34-45
- 寺田 裕一『ローカル私鉄車輌20年 東日本編』JTBパブリッシング、2001年。ISBN 4533039820。
- 柴田 重利「上信電気鉄道」、『鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション』33号(2016年3月別冊)、鉄道図書刊行会 pp. 34-43