上原晃

上原 晃(うえはら あきら、1969年5月16日 - )は、沖縄県出身[1]の元プロ野球選手投手)。右投右打。

上原 晃
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 沖縄県宜野湾市
生年月日 (1969-05-16) 1969年5月16日(48歳)
身長
体重
178 cm
79 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1987年 ドラフト3位
初出場 1988年7月31日
最終出場 1996年6月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

目次

来歴・人物編集

沖縄水産高では甲子園に4回出場。1年時の1985年夏の甲子園では3回戦で鹿児島商工に敗退、控え投手ながら2試合にリリーフとして登板した[2]。翌1986年春の選抜からエースとして出場、しかし1回戦で上宮高に敗れる[3]同年夏の選手権は準々決勝に進むが、水口栄二佐野重樹のいた松山商に9回裏サヨナラ負け[2]1987年夏の甲子園は1回戦で函館大有斗盛田幸妃に投げ勝つが、2回戦では常総学院島田直也に完封を喫する[2]

完成度の高い速球に「オキナワの星」として注目を集め、阪神タイガースがドラフト1位で指名すると噂されるも、明治大学への進学を希望[1]。しかし、1987年のドラフト会議中日ドラゴンズが3位で強行指名し、監督の星野仙一の説得もあり中日への入団を決意する[1]

1988年背番号17を与えられたルーキーの上原は、ウエスタン・リーグ最優秀防御率及び最多勝率を記録し、ジュニアオールスターゲームでも活躍[1]。一軍に抜擢された後は、抑えの郭源治に繋ぐ前のリリーフを任せられ、8月7日にはプロ初勝利を挙げる。同年は24試合に登板、防御率2.35と堂々の成績を残し日本シリーズでも登板。

翌年から先発に転向するが実績は残せず、1991年セットアッパーに戻って8勝をあげる。しかし指先の血行障害で手術を余儀なくされ、その後は登板機会も少なく、1996年には中日を自由契約となる。広島東洋カープ1997年)、ヤクルトスワローズ1998年)と球団を転々とするが一軍登板はなく、1998年限りで引退[1]。現在は整体師を務める。

詳細情報編集

年度別投手成績編集





















































W
H
I
P
1988 中日 24 1 0 0 0 3 2 1 -- .600 177 46.0 38 4 12 4 1 31 0 0 13 12 2.35 1.09
1989 22 13 1 0 0 4 5 0 -- .444 337 76.2 81 12 29 2 5 59 2 0 43 38 4.46 1.43
1990 13 8 0 0 0 2 5 0 -- .286 211 43.1 53 6 23 0 7 41 5 0 38 33 6.85 1.75
1991 46 0 0 0 0 8 4 0 -- .666 338 76.1 73 8 41 6 1 75 7 0 41 38 4.48 1.49
1992 16 3 0 0 0 0 3 0 -- .000 165 32.1 46 7 22 2 2 26 1 0 35 32 8.91 2.10
1993 13 0 0 0 0 1 2 0 -- .333 84 20.1 23 2 8 1 0 13 3 0 8 8 3.54 1.52
1995 3 2 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 59 13.2 16 2 4 0 0 3 0 0 4 4 2.63 1.46
1996 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 7 1.0 3 0 1 0 0 1 1 0 2 2 18.00 4.00
通算:8年 138 27 1 0 0 19 21 1 -- .475 1378 310.0 333 41 140 15 16 249 19 0 184 167 4.85 1.53

記録編集

  • 初登板 1988年7月31日ヤクルト戦(神宮)6-5 7回より登板、2回無失点
  • 初勝利 1988年8月7日阪神戦(ナゴヤ)3-2 8回より登板、2回無失点
  • 初セーブ 1988年9月4日巨人戦(東京D)6-1 7回より登板、3回無失点

背番号編集

  • 17 (1988年 - 1996年)
  • 43 (1997年)
  • 40 (1998年)

脚注編集

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  1. ^ a b c d e プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、78ページ
  2. ^ a b c 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  3. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年

関連項目編集

外部リンク編集