上原 浩(うえはら ひろし、1925年 - 2006年5月1日)は、日本の酒造技術者、元財務局課税物件鑑定官、元鳥取県工業試験場技師、鳥取県酒造組合連合会技術顧問、蔵元交流会常任顧問、日本酒サービス研究会(SSI)最高技術顧問、ここに美酒あり選考会審査委員長、鳥取県出身。

略歴 編集

  • 1925年(大正14年) - 鳥取県八頭郡西郷村(現・鳥取市河原町)で生まれる。[1]
  • 1944年(昭和19年)3月 - 旧制鳥取高等農林学校(現・鳥取大学農学部)を卒業。
    • 4月 - 広島財務局鑑定部に入局。
    • 9月 - 召集により軍隊に入隊。
  • 1945年(昭和20年)8月15日 - 終戦により武装解除。
    • 10月 - 復職。
  • 1950年(昭和25年) - 鳥取県工業試験場に異動。県内酒蔵の醸造指導にあたる。
  • 1985年(昭和60年) - 工業試験場を定年退職、その後1年嘱託勤務。
  • 1986年(昭和61年) - 鳥取県非常勤職員として同試験場に2年勤務。
  • 1988年(昭和63年) - 鳥取県酒造組合連合会技術顧問に就任、同試験場に出向。
  • 1989年(平成元年) - 試験場出向を終える。技術顧問の肩書は残る。
  • 1990年(平成2年)以降 - 蔵元交流会常任顧問就任。国内各地の酒造家の指導のため訪れ、日本酒サービス研究会(SSI)の最高技術顧問の肩書をあたえられる。
  • 2006年(平成18年)5月1日 - 膵臓癌のため永眠、80歳没[2]

人物 編集

生前は「日本酒界の重鎮」、「生き字引」とも言われたが、大変な「毒舌家」としても知られる。

語録 編集

「酒は純米、燗ならなおよし」
「一に蒸し、二に蒸し、三に蒸し、四、五が無くて次に麹」
良い麹や酒母は、良い蒸米ができた時にできるものであるという[3]

功績 編集

著書 編集

  • 『日本酒と私』谷岡印刷出版部、蔵元交流会、1999年。 
  • 『やまびこ酒博士(監修)』谷岡印刷出版部。 
  • 『いざ、日本酒』ダイヤモンド社、2002年。ISBN 4-478-56043-9 
  • 『純米酒を極める』光文社、2002年。ISBN 4-334-03178-1 
  • 『カラー版極上の純米酒ガイド(監修)』光文社、2003年。ISBN 4-334-03226-5 

尾瀬あきら 編集

漫画家・尾瀬あきらは上原が顧問を務める「蔵元交流会」の特別会員である。上原が指導のため九州へ行く時でも、東北を回る時でもペンとカメラを持って付いて行き、そして酒についてあれこれ質問をする。漫画のネタを仕込むためとの理由であり[2]、尾瀬の熱心な取材により代表作の『夏子の酒』(モーニング講談社)のネタ元になっている。そして作品中に上原自身をモデルにした元広島国税局鑑定官の「上田久」という人物も登場している(単行本8巻p.154以降に登場)。

脚注 編集

  1. ^ 『日本酒と私』p2
  2. ^ a b 上野俊彦「偏屈の師匠・上原浩」『闘う純米酒・神亀ひこ孫物語』平凡社、217 - 225頁。ISBN 4-582-82450-1 
  3. ^ 金子康朋『日本酒のすすめ』秀和システム、2007年、170頁。ISBN 978-4-7980-1586-6 

関連項目 編集

外部リンク 編集