上白銀町

青森県弘前市の町
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上白銀町(かみしろがねちょう)は、江戸期から現在にかけての青森県弘前市の地名。郵便番号は036-8207。2017年6月1日現在の人口は6人、世帯数は1世帯[1]

上白銀町
弘前市役所
上白銀町の位置(青森県内)
上白銀町
上白銀町
上白銀町の位置
北緯40度36分10.85秒 東経140度27分46.97秒 / 北緯40.6030139度 東経140.4630472度 / 40.6030139; 140.4630472
日本の旗 日本
都道府県 青森県
市町村 弘前市
人口
2017年(平成29年)6月1日現在)[1]
 • 合計 6人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
036-8207
市外局番 0172[2]
ナンバープレート 弘前

地理

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青森県道3号弘前岳鰺ケ沢線沿い南側に位置し、弘前市役所を置く官公庁街として機能する。町域の北部から東部にかけて下白銀町、南東部は元大工町、南部は塩分町茂森町、西部から西北部にかけて馬屋町に接する。

歴史

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  • 正保3年 - 町屋と見える(津軽弘前城之絵図)。
  • 慶安2年 - 「さやし町」と記され、鞘師11軒・飾師1軒・武家1軒(弘前古御絵図)。同年の寺町(現:元寺町)大火後、当地に居住していた鞘師が上鞘師町下鞘師町へ移住。当地は以後、武家屋敷地になると同時に、さやし町から上白銀町となる。
  • 寛文13年 - 武家屋敷8軒の他に、西端に重臣津軽玄蕃の下屋敷と町年寄松山家の屋敷(弘前中惣屋敷絵図)。
  • 享和3年 - 東から重臣西館宇膳・津軽頼母・高倉五兵衛の屋敷地となる(御家中町割)
  • 明治初年 - 戸数26。町の規模は「長三丁一尺、幅七間」(国誌)
  • 1888年(明治21年) - 弘前招魂社(護国神社)が建てられる。
  • 1910年(明治43年) - 護国神社が弘前公園北の郭に移転。護国神社跡地は藤田謙一の別邸となる。
  • 1917年大正6年) - 陸軍第八師団長官舎が建てられ、第2次世界大戦後は進駐軍政官官舎として使用される。
  • 1923年(大正12年) - 藤田謙一が弘前市公会堂を当地に寄贈。
  • 1948年昭和23年)〜1954年(昭和29年) - 自治体警察弘前市警察署設置(現在の弘前市役所別館)。
  • 1958年(昭和33年) - 弘前市公会堂が解体される。
  • 1959年(昭和34年) - 弘前市制70周年を記念して弘前市役所新庁舎が完成。

沿革

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  • 慶安2年 - さやし町と称され、寺町の大火後、上白銀町となる。
  • 江戸期 - 弘前城下の一町。
  • 明治初年〜明治22年 - 弘前を冠称。
  • 1889年(明治22年) - 弘前市に所属。

施設

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メディア

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行政

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有形文化財

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小・中学校の学区

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市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。

大字 番地 小学校 中学校
上白銀町 全域 弘前市立朝陽小学校 弘前市立第四中学校

交通

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脚注

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  1. ^ a b オープンデータひろさき 弘前市 町名別人口・世帯数_平成29年”. ひろさき未来戦略研究センター (2017年6月1日). 2017年6月18日閲覧。
  2. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。

参考文献

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角川日本地名大辞典 2 青森県(角川書店)