上野東照宮

東京都台東区上野恩賜公園内にある神社

上野東照宮(うえのとうしょうぐう)は、東京都台東区上野恩賜公園内にある神社。旧社格府社。三大東照宮を自称してはいないが、その豪華さや由来、また近隣の芝東照宮が自らを「日光東照宮久能山東照宮・上野東照宮に並ぶ四大東照宮の一つ」としていることから三大(もしくは四大)東照宮の一つに数えられることが多い。正式名称は東照宮であるが、他の東照宮との区別のために鎮座地名をつけて上野東照宮と呼ばれ、別名「三処権現」とも呼ばれる。

上野東照宮


拝殿

地図
所在地 東京都台東区上野公園9-88[1]
位置 北緯35度42分55.3秒 東経139度46分14.1秒 / 北緯35.715361度 東経139.770583度 / 35.715361; 139.770583 (上野東照宮)座標: 北緯35度42分55.3秒 東経139度46分14.1秒 / 北緯35.715361度 東経139.770583度 / 35.715361; 139.770583 (上野東照宮)
主祭神 徳川家康
徳川吉宗
徳川慶喜[1]
社格 府社
創建 寛永4年(1627年[1]
例祭 4月17日[1]
地図
上野東照宮の位置(東京都区部内)
上野東照宮
上野東照宮
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上野東照宮の鳥居前。明治時代

徳川家康(東照大権現)・徳川吉宗徳川慶喜を祀る。(なお、御朱印には創建当初の御祭神「東照神君、天海僧正、藤堂高虎」の文字が見受けられる。)

歴史 編集

寛永4年(1627年)、藤堂高虎が上野の高虎の敷地内に創建した。社伝によれば、元和2年(1616年)、危篤の家康から自分の魂が末永く鎮まる所を作ってほしいと高虎と天海に遺言されたという。『江戸図屏風』はこの頃と見られる現在とは異なる形状の社殿が描かれている。

現在の社殿は慶安4年(1651年)に家康の孫である徳川家光が改築したもので、上野戦争関東大震災第二次世界大戦でも焼失を免れている。

そのため強運の神様として、また家康を祭神としていることから出世、勝利、健康長寿の神様として信仰されている。

社殿は平成21年(2009年)1月から平成25年(2013年)まで修復工事が行われ、平成26年(2014年)から公開されている。500円の拝観料で透塀内を見学できる。ただし社殿内部は文化財保護のため非公開としている。

施設 編集

境内にはほかにの木像をご神体とした栄誉権現社もあり、他抜(たぬき)の御利益があるとされ受験、就職、合格、当選を願う人にとても人気がある。

日中友好を記念して昭和55年(1980年)に開苑した境内のぼたん苑では、一年を通じ牡丹の栽培を行っている。1年に3回公開され、4月上旬から5月上旬は地植えの牡丹中心の「春のぼたん祭」、元日から2月下旬には特別に冬に開花するよう促成栽培した冬牡丹を展示する「上野東照宮・冬ぼたん」が開催される。9月下旬から10月下旬にはダリアの展示「ダリア綾なす秋の園」が開催される[2]

併設する五重塔はもとは東照宮所属であったが明治神仏分離令により、当時は現在の上野公園全域を寺地としていた寛永寺の所属となった。しかし寛永寺は上野戦争により焼失し、寺地の大半が公園用地として没収され、上野東照宮から離れた地で再建されたため、五重塔は文化財管理の必要から東京都に譲渡された。現在は上野動物園内に位置するが、五重塔の正面は東照宮の参道に面した面である。

文化財 編集

重要文化財
  • 東照宮社殿 3棟1基
    • 本殿・幣殿・拝殿(合1棟)附:棟札4枚 慶安4年(1651年)
    • 唐門
    • 透塀
    • 石造明神鳥居 寛永10年(1633年)に酒井忠世が寄進
    • (附指定)銅燈籠 50基
  • 紫地葵紋付桐文散辻が花染胴服

交通 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c d 東京都神社庁.
  2. ^ 上野東照宮ぼたん苑”. 上野東照宮ぼたん苑 公式. 2024年1月22日閲覧。

参考文献 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集