上野隆徳
上野 隆徳(うえの たかのり)は戦国時代の武将。三村氏の家臣。備中国常山城主。
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 天正3年(1575年) |
墓所 | 常山城趾 |
官位 | 肥前守 |
主君 | 三村家親→三村元親 |
氏族 | 上野氏 |
父母 | 父:上野高直 |
兄弟 | 隆徳 、女 |
妻 | 三村家親娘(鶴姫) |
子 | 隆秀 |
生涯編集
備中国の豪族上野高直の嫡男。主君三村家親の娘である鶴姫を娶った。
永禄11年(1568年)、三村元親の従属先である毛利輝元に本領である林荘、火打荘、曽原荘を返還した。
天正3年(1575年)6月に三村元親が毛利氏に攻められると親族ということもあり三村方につく。元親の自害後も隆徳は抵抗を続け、常山城は小早川隆景の軍勢が包囲。次男と妹を手にかけた後、隆徳と嫡子の隆秀は自害した[1]。
鶴姫は、城内の侍女三十余名を率い、城外の毛利軍に突撃した。鶴姫は毛利軍の武将である乃美宗勝に一騎討ちを挑むが、乃美宗勝はそれを拒否し、思わぬ奇襲に乱れた軍を建て直した。鶴姫は再度城内に戻り、自害した。