下塚誠

日本の俳優(1953−2018)

下塚 誠(しもつか まこと、1953年9月5日[1][3][4][5][6] - 2018年7月7日[7])は、日本俳優。下塚 諒(読み同一)での活動歴もあり[6]。本名、下塚 一二(しもつか かつじ)[1][3][5][6][8]

しもつか まこと
下塚 誠
本名 下塚 一二
別名義 下塚 諒
生年月日 (1953-09-05) 1953年9月5日
没年月日 (2018-07-07) 2018年7月7日(64歳没)
出生地 日本の旗 日本 兵庫県神戸市
死没地 日本の旗 日本 東京都
身長 170 cm[1]
血液型 AB型[2]
職業 俳優
声優
活動期間 1972年 - 2018年
著名な家族 下塚恭平(長男)
事務所 アイ コンティネンス
主な作品
テレビドラマ
スーパーロボット マッハバロン
破れ奉行
風見鶏
銭形平次
わかば
映画
続人間革命
大空のサムライ
ノストラダムス戦慄の啓示
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兵庫県[5]神戸市出身[3][4][9]兵庫県立鈴蘭台高等学校[1][3][4][9]放送大学卒業[10]兵庫教育大学中退[5]。柊企画[5]、サン・プロモーション[6][11]、エムスリーを経て[1]、アイ コンティネンスに所属していた[12]

来歴・人物 編集

大学受験のために上京したとき、劇団「東京小劇場」の関係者と知り合いとなったのをきっかけに[13]、俳優養成所「東京新社タレント養成所」に入り、東京小劇場聴講生となる[3]。劇団の公演やテレビドラマのゲスト出演を経て芸能事務所「柊企画」の所属となり、1974年に『スーパーロボット マッハバロン』(日本テレビ)のオーディションに合格[13]。主人公・嵐田陽役で主役デビューを果たす[3][4][9]

1977年関西テレビのテレビドラマ『志都という女』で主演の十朱幸代に思いを寄せる若者を演じて注目され[4]NHK銀河テレビ小説『昭和の青春シリーズ4 早春の光』で主演を務めたほか、フジテレビ銭形平次』などのテレビドラマや映画小説吉田学校』などに出演[3]1987年10月には演出・出演を兼ねる「求道塾」を結成し、1988年に旗揚げ公演『霊界通信・地獄物語』を上演[3]。1976年のプロフィールでは、「芯が通った素直な青年」と評されており、今後の目標について「徐々に自分の居場所をつかんでいきます」と答えている[9]

特技は、油絵[6][11]。趣味は、メディテーション[3]。霊能宗教家の家に生まれ、自身、幼少期から強い霊感を持ち、「鎮魂法」という瞑想行を修得している[14]。26歳で結婚し一男一女をもうけるも、のちに離婚[15]。息子の下塚恭平1979年8月17日[16] - )は、ビーコンラボエンターティメントに所属して[16]、俳優として活動していた[7]

2003年1月より、東京都町田市で「洋風居酒屋 レモンタイム」という飲食店を経営していた[17]

2015年秋に咽頭がんを発症し手術、翌2016年には肺に転移。その後末期の肺がんを罹患していることを公表し、闘病生活を続けていたが[7][17]2018年7月7日、都内の病院で死去[8]。64歳没。

出演 編集

テレビドラマ 編集

映画 編集

舞台 編集

ラジオドラマ 編集

CM 編集

著書 編集

  • 神の選択 - 終末への序曲(2010年、たま出版ISBN 978-4-8127-0301-4

脚注 編集

  1. ^ a b c d e 日本タレント名鑑2004』VIPタイムズ社、2004年、188頁。ISBN 978-4-9901242-2-9 
  2. ^ 下塚 誠さんのプロフィール(下塚 誠 〜神の選択〜)”. 2018年5月5日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i 『テレビ・タレント人名事典』日外アソシエーツ、1992年、386頁。ISBN 4-8169-1144-8 
  4. ^ a b c d e 福島民友』1977年7月26日付朝刊、9面。
  5. ^ a b c d e 日本タレント名鑑'82』VIPタイムズ社、1981年、101頁。 
  6. ^ a b c d e 『日本タレント名鑑'88』VIPタイムズ社、1988年、118頁。 
  7. ^ a b c “人気特撮ドラマ「マッハバロン」俳優の下塚誠さん死去 64歳 16年に末期がん告白”. スポーツニッポン. (2018年7月8日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/07/08/kiji/20180708s00041000304000c.html 2018年7月8日閲覧。 
  8. ^ a b 下塚誠氏死去(俳優) - 時事ドットコム 2018年7月7日
  9. ^ a b c d e 福島民報』1976年6月26日付朝刊、9面。
  10. ^ 下塚誠|有限会社Grue”. Glue. 2018年5月5日閲覧。
  11. ^ a b 『日本タレント名鑑'94』VIPタイムズ社、1994年、177頁。 
  12. ^ 下塚誠”. アイコンティネンス. 2017年3月25日閲覧。
  13. ^ a b 『テレビマガジン特別編集 巨大ヒーロー大全集』講談社、1988年、211頁。 
  14. ^ 神の選択―終末への序曲”. Amazon.co.jp. 2018年5月5日閲覧。
  15. ^ 末期がん告白 マッハバロン下塚誠さん「毎日を有意義に」(ページ5)”. ゲンダイネット. 2018年5月5日閲覧。
  16. ^ a b 『日本タレント名鑑2017』VIPタイムズ社、2017年、191頁。ISBN 978-4-904674-08-6 
  17. ^ a b 末期がん告白 マッハバロン下塚誠さん「毎日を有意義に」”. ゲンダイネット. 2018年5月5日閲覧。
  18. ^ 東宝特撮映画全史 1983, p. 538, 「主要特撮作品配役リスト」

参考文献 編集

外部リンク 編集