下道 門継(しもつみち の かどつぐ)は、平安時代初期から前期にかけての官人医師朝臣官位従五位下権針博士

 
下道門継
時代 平安時代初期 - 前期
生誕 弘仁元年(810年
死没 貞観16年8月9日874年9月23日
官位 従五位下権針博士
主君 清和天皇
氏族 下道朝臣
テンプレートを表示

経歴 編集

権針博士在職中の貞観11年(869年従五位下に叙せられる。その後、長く病んでいたが、臨終に際して剃髪して出家したという[1]。貞観16年(874年)8月9日卒去。享年65。最終官位は外従五位下行権針博士。

人物 編集

至性があって、篤く仏教を信仰しており、常に袈裟を着用して法華経を唱えていた。路上で僧侶に出会った際には、必ず下馬して揖(笏を持ち上体をやや前に傾けてする礼)して、僧侶が通り過ぎるのを待ったという[1]

官歴 編集

日本三代実録』による。

脚注 編集

  1. ^ a b 『日本三代実録』貞観16年8月9日

参考文献 編集