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下飯坂 潤夫(しもいいざか ますお、1894年1月29日 - 1971年12月26日)は裁判官、最高裁判所判事[1]宮城県出身[1]孫は小説家の橘かがり[要検証]

東京帝国大学法科大学卒業[1]。第二次世界大戦前は鳥取地裁所長、水戸地裁所長、新潟地裁所長、大審院判事などを務め、その後は札幌高裁長官、名古屋高裁長官、大阪高裁長官を経て、1956年11月に最高裁判事となる[1]

松川事件では有罪説に立ち、第二次上告審のとき、無罪とした仙台高裁判決を罵倒[注 1]したが、最高裁小法廷の合議では無罪3対有罪1で無罪判決が確定した[2]。1964年1月に定年退官[3]

松川事件の無罪確定は終生の痛恨事とされ、死去後に遺言によって、遺体と共に松川事件の判決文が棺に納められた[2]

趣味は歌舞伎や野球やラグビー観戦[1]

脚注編集

注釈
  1. ^ 最高裁判所第一小法廷判決昭和38年09月12日刑集第17巻6号661頁(引用文は最高裁の公表しているPDFテキストのまま)「原判決はいろいろごまかしは云う」,「原判示はこぢつけ以外の何ものでもない。」,「私の同僚は本事件と真正面に取組まれ老体遂に職務に斃れられた、然るに原審裁判官はどうであろう。何千とある証拠の中も片々たる前示二つの調書にのみ拘着し、しかのこれに十分な詮索検討をも加えず、いとも簡単に且つこれが判文であるかと驚く程の舞文曲筆で以て第一審判原二審判決を一蹴して去つているのである。その浅薄さ、その短見さ極言するとその卑劣さ、云うべき言葉を知らない。しかも大言壮語する。弱い犬程大いに吠えるのたぐいである。今後もあることと思うが、裁判所の門戸に打ちつける嵐はきびしい、われわれ裁判官は徒手空挙で以ても、これをはねかえさなければいけない。私と雖も人権の尊重すべきことは十分に知つている。殊更に被告らを窮地に追い込もうなどとは思つてもいない。しかし、その構造の粗雑さにおいて、その表現の独断的で偏向的な、しかも壮語高言する原判決には我慢ができなかつたのである。このような判決を見逃すことは最高裁判所の恥だと考えたのである。これ敢えて、私が少数意見を発表する所以である。」
出典
  1. ^ a b c d e 野村二郎 1986, p. 75.
  2. ^ a b 野村二郎 2004, pp. 32-33.
  3. ^ 野村二郎 1986, pp. 75-78.

参考文献編集

  • 野村二郎『最高裁全裁判官』三省堂、1986年。ISBN 4385320403
  • 野村二郎『日本の裁判史を読む事典』自由国民社、2004年。ISBN 4385320403