不動山古墳
不動山古墳(ふどうやまこふん)は、群馬県高崎市綿貫町にある古墳。形状は前方後円墳。綿貫古墳群を構成する古墳の1つ。高崎市指定史跡に指定されている。
不動山古墳 | |
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墳丘(左に前方部、右に後円部) | |
所属 | 綿貫古墳群 |
所在地 | 群馬県高崎市綿貫町 |
位置 | 北緯36度18分13.65秒 東経139度4分43.10秒 / 北緯36.3037917度 東経139.0786389度座標: 北緯36度18分13.65秒 東経139度4分43.10秒 / 北緯36.3037917度 東経139.0786389度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 |
墳丘長94m 高さ10.1m(後円部) |
埋葬施設 | 不明(内部に舟形石棺) |
出土品 | 埴輪・土師器 |
築造時期 | 5世紀後半 |
史跡 | 高崎市指定史跡「不動山古墳」 |
地図 |
概要 編集
古墳名 | 墳丘長 | 築造時期 | 史跡指定 |
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普賢寺裏古墳 | 61.2m | なし | |
不動山古墳 | 94m | 5c後半 | 市史跡 |
岩鼻二子山古墳 | 120m? | 5c末 | (消滅) |
綿貫観音山古墳 | 97m | 6c後半 | 国史跡 |
群馬県南部、井野川下流の右岸地域に築造された古墳である。一帯では前方後円墳4基(綿貫観音山古墳・不動山古墳・普賢寺裏古墳・岩鼻二子山古墳(消滅))および円墳群が分布し、綿貫古墳群を構成する。現在までに前方部は大きく削平を受け、墳頂には不動尊が祀られるほか、1962-1964年(昭和37-39年)・2009年度(平成21年度)に発掘調査が実施されている。
墳形は前方後円形で、前方部を西南西方向に向ける。墳丘表面では葺石・埴輪が検出されている[1]。墳丘北側くびれ部には造出が認められており、埴輪列・土師器(和泉式高坏など)が検出されている[1][2]。また墳丘周囲には盾形の周濠が巡らされる[1]。埋葬施設は明らかでないが、現在は墳頂に大型の凝灰岩製刳抜式舟形石棺の身部が遺存する(蓋は不明)[3]。
築造時期は、古墳時代中期の5世紀後半[3](または5世紀中-後半[2])頃と推定される。綿貫古墳群は普賢寺裏古墳→不動山古墳→岩鼻二子山古墳→綿貫観音山古墳の順の築造と推定されており、一帯における5-6世紀代の有力豪族の存在を示唆する古墳の1つになる[3]。
遺跡歴 編集
墳丘 編集
墳丘の規模は次の通り[3]。
- 墳丘長:94メートル
- 後円部
- 直径:54メートル
- 墳頂直径:18メートル
- 高さ:10.1メートル
- 前方部
- 幅:55メートル
- 高さ:推定9.1メートル
- くびれ部
- 幅:36.5メートル
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後円部墳頂の不動尊
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前方部から後円部を望む
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後円部から前方部を望む
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円筒埴輪・朝顔形埴輪
文化財 編集
高崎市指定文化財 編集
- 史跡
- 不動山古墳 - 1992年(平成4年)3月2日指定[2]。
関連施設 編集
- 群馬県立歴史博物館(高崎市綿貫町) - 不動山古墳の出土埴輪等を保管。
脚注 編集
参考文献 編集
(記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(高崎市教育委員会設置)
- 「綿貫村」『日本歴史地名大系 10 群馬県の地名』平凡社、1987年。ISBN 4582490107。
- 大塚初重「不動山古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
関連文献 編集
(記事執筆に使用していない関連文献)
- 『新編高崎市史 資料編1 原始古代I』高崎市、1999年。
- 『箱石浅間山古墳・不動山古墳 -平成21年度緊急雇用創出基金事業に係わる埋蔵文化財発掘調査報告書-(財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団調査報告書 第495集)』群馬県埋蔵文化財調査事業団、2010年。
関連項目 編集
外部リンク 編集
- 不動山古墳 - 高崎市ホームページ