中園 健司(なかぞの けんじ、1952年10月27日[1] - 2013年10月6日[2])は日本の脚本家

人物 編集

福岡県久留米市生まれ。福岡県立三潴高等学校西南学院大学商学部卒業。高校、大学と演劇部に所属。高校の時に映画『若者たち』を観て感動し、その時、監督でも役者でもなく、山内久という脚本家に興味を抱く。大学の演劇部時代に、アクセント辞典に書かれていた日本三大アクセント無視地帯に、地元の久留米が含まれていてショックを受ける。

卒業後、福岡での劇団主宰を経て25歳で上京。夕刊紙を新宿駅の売店に数カ所配るバイトや、アルバイト情報の雑誌を配るバイトをする。映画三昧、読書三昧の生活をおくるなか、脚本家中島丈博の自伝的映画『祭りの準備』を見てシナリオ作家への道を決意。1988年、第2回TBS新鋭シナリオ大賞『消えた箱船』で脚本家デビュー。ちなみに、同年の第2回フジテレビヤングシナリオ大賞は、当時25歳のフリーターだった野島伸司の『時には母のない子のように』である。

これまでに『サラリーマン金太郎』(TBS)、『ベストパートナー』(同)など多数のドラマを書く。2005年には、NHK福岡放送局制作の地域発ドラマ『いつか逢う街』を担当。福岡県飯塚市の嘉穂劇場を舞台に、親子の絆(きずな)を描く。NHKでは他に『楽園のつくりかた』(文化庁芸術祭優秀賞)、『ルームシェアの女』を担当。また『ジャッジ 〜島の裁判官奮闘記〜』(2007年)は、裁判官を初めて主人公としたドラマとして注目され、2008年に続編の『ジャッジII』が制作された。松本清張生誕100年の2009年には映画『ゼロの焦点』(東宝)、TV『顔』(NHK)、翌2010年に『霧の旗』(NTV)と清張原作を立て続けに手掛ける。

2013年10月6日、食道癌のため死去[3]。60歳没。

連続ドラマ 編集

単発ドラマ 編集

映画 編集

著作物 編集

  • 『脚本家 - ドラマを書くという仕事』(西日本新聞社)

脚注 編集