中山愛親

江戸時代中期から後期の公卿。正二位・権大納言、贈従一位。中山家21代

中山 愛親(なかやま なるちか)は、江戸時代中期から後期にかけての公卿権大納言正親町実連の子。官位正二位・権大納言、従一位中山家21代当主。

 
中山愛親
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 寛保元年5月25日1741年7月7日
死没 文化11年8月18日1814年10月1日
官位 正二位権大納言従一位
主君 桜町天皇桃園天皇後桜町天皇後桃園天皇光格天皇仁孝天皇
氏族 正親町家中山家
父母 父:正親町実連、母:広幡豊忠
養父:中山栄親
養母:勧修寺高顕
兄弟 愛親正親町公明裏辻公理、脩子
養兄弟:花山院愛徳四条隆師
正室:今城定種の娘
忠尹河鰭公陳、砥豫子、績子野宮定静室、今城定成
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経歴 編集

権大納言・中山栄親の養子となる。

宝暦11年(1761年参議に任命され、安永3年(1774年)権大納言に至る。天明2年(1782年議奏となり、光格天皇に近侍した。天皇の父・閑院宮典仁親王に対し太上天皇号を宣下することに腐心したが、幕府はこれを認めず事態は紛糾した(いわゆる「尊号一件」)。寛政5年(1792年)幕府の命により武家伝奏正親町公明と共に江戸に喚問され、老中松平定信と対談釈明したが、閉門を命じられた。帰洛したのち蟄居し、議奏を罷免された。

明治17年(1884年)従一位が贈られている。なお明治天皇は愛親の来孫に当たる[1]

尊号一件で愛親が勅使として江戸に下った際に、江戸城の11代将軍・徳川家斉の前で堂々たる抗議をしたという伝説が生まれ、これを元に『反汗秘録』『中山東下記』『中山伝記』といった小説(共に事件よりあまり隔たらない時期の成立と見られる)が密かに書かれている。田中暁龍によれば、同名異本を含めて103種類が現存しているとされる[2]。一番最初期に成立したとされる『反汗秘録』には、当時の京都では「「越中(定信の官位)が越されぬ山が二つある。京で中山(愛親のこと)、備前岡山(池田治政)」という落首が詠まれて流行したと記されている[3]。またこの経過に触れている漫画として、みなもと太郎の『風雲児たち』がある。

系譜 編集

脚注 編集

  1. ^ 愛親-忠尹-忠頼-忠能慶子孝明天皇典侍)-明治天皇
  2. ^ 田中暁龍「寛政期の尊号一件風説書の展開」『近世の公家社会と幕府』(吉川弘文館、2020年) ISBN 978-4-642-04331-1 P218-220.
  3. ^ 田中暁龍「寛政期の尊号一件風説書の展開」『近世の公家社会と幕府』(吉川弘文館、2020年) ISBN 978-4-642-04331-1 P208-209.