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中山正嘉

中山 正嘉(なかやま ただよし、1917年7月3日 - 1994年7月4日)は、愛媛県出身のプロ野球選手投手)。

中山 正嘉
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛媛県
生年月日 1917年7月3日
没年月日 (1994-07-04) 1994年7月4日(77歳没)
身長
体重
170 cm
60 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1937年
初出場 1937年
最終出場 1951年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

目次

来歴・人物編集

松山商業出身、1935年第21回全国中等学校優勝野球大会において優勝投手となった。同校のチームメイトには千葉茂筒井修などがいた。

1937年、日本プロ野球の名古屋金鯱軍に入団。4月5日、対大東京軍戦で初登板。3安打11奪三振1四死球無失点の内容で、日本プロ野球史上2人目のプロ入り初登板で完封勝利を挙げる、スコアは7対0[1]1940年5月12日イーグルス戦で当時の日本プロ野球記録の1試合13与四球を記録している[2]。シーズンを通してはプロ野球記録の『1シーズン最多敗戦投手』(29敗)[3]となる。ちなみにチームの敗戦数63の約半分が彼が責任投手となっている。この年の中山は104試合中61試合に登板し(このシーズンの全球団で最多登板)、18勝している。1941年に引退したが、軍に召集されていたのかどうかは不明。

終戦後は球界を離れていたが、1950年に新規参入した広島カープに入団、32歳で球界復帰。しかしわずか2勝に終わり、翌シーズン中に引退した。入団時には石本秀一監督の命を受け、現役を退いて指導者となっていた樋笠一夫をカープに誘い、入団にこぎつけている。

三振の山を築く派手な投手ではなかったが、中山には鋭いシュートボール、カーブの武器があって、凡打させる率が多かった。

1994年7月4日に亡くなった。享年77。

詳細情報編集

年度別投手成績編集





















































W
H
I
P
1937 金鯱 24 8 4 3 0 5 7 -- -- .417 430 97.0 80 0 59 -- 2 51 2 0 45 35 3.25 1.43
1937 19 13 7 1 0 7 9 -- -- .438 519 113.0 95 5 84 -- 3 62 3 0 64 52 4.14 1.58
1938 19 12 8 1 0 8 7 -- -- .533 551 125.2 96 3 79 -- 1 57 3 0 57 40 2.86 1.39
1938 24 14 8 0 0 6 13 -- -- .316 595 134.1 113 4 85 -- 2 76 1 0 73 54 3.60 1.47
1939 60 40 30 8 0 25 21 -- -- .543 1573 379.2 281 3 175 -- 2 178 2 1 124 86 2.04 1.20
1940 61 29 19 2 0 18 29 -- -- .383 1601 367.1 305 2 216 -- 4 193 5 0 169 117 2.86 1.42
1941 大洋軍 5 1 0 0 0 1 1 -- -- .500 63 15.1 7 0 12 -- 0 4 0 0 6 5 2.81 1.24
1950 広島 20 10 1 0 0 2 10 -- -- .167 299 59.2 79 7 41 -- 3 19 0 0 66 51 7.65 2.01
通算:6年 232 127 77 15 0 72 97 -- -- .426 5631 1292.0 1056 24 751 -- 17 640 16 1 604 440 3.07 1.40
  • 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はNPBにおける歴代最高

背番号編集

  • 6(1937年 - 1940年)
  • 20(1941年、1950年 - 1951年)

脚注編集

  1. ^ 講談社刊 宇佐美徹也著「日本プロ野球記録大鑑」853ページ
  2. ^ 講談社刊 宇佐美徹也著「日本プロ野球記録大鑑」634ページ
  3. ^ 但し、非公式記録ではあるが、畑福俊英イーグルス)は1937年に32敗(春季21敗〈このシーズンの最多敗戦投手〉、秋季11敗)している。

関連項目編集

外部リンク編集