中島 巌(なかじま いわお、1926年1月4日 - 1995年3月13日[1])は、日本のアマチュアゴルファー・ゴルフ指導者・ゴルフ場会社経営者・ゴルフコース設計者。中島常幸中島和也中島恵利華の父。群馬県桐生市出身。

アマチュアゴルファーとして活躍していたが、長男中島常幸の誕生に際し、息子を一流ゴルファーに育てることを決意。常幸のみならず、弟の中島和也、妹の中島恵利華にも厳しい練習を課し、プロゴルファーに仕立て上げた。その指導は徹底しており、常幸は練習に専心するため、通っていた私立樹徳高校を中退させられたほどであった。中島篤志によれば、巌は「巨人の星」の星一徹を地でいく筋金入りのがんこ親父であり、子供を“育てる”というよりも“つくる”という感じであったという。

やがて常幸は彗星のごとくゴルフ界にあれわれ、瞬く間にスターにのし上がるが、そのあまりの正確なプレーと、無表情があいまって父親製作の「サイボーグ」などと揶揄されたりもした。

1982年にゴルフ場開発に乗り出し、総観グループを立ち上げる。1987年には当時としては破格の1億円募集を打ち出して話題を集めた。

また、コース設計者として設計を手掛けたコースには、五浦庭園カントリークラブ・東松苑ゴルフ倶楽部(コース規模:18H/6675Y/P72/130万m2・コースレート:70.7)などがある。しかし、バブル崩壊の影響などで業績は悪化。

そんな中、1995年3月13日、肝臓がんにより壮絶なガン死を遂げた。中島の死後、2000年7月13日に浦和地裁に民事再生法の適用を申請し、受理された。幸い、コースの設計が優れていたため、自主再建にこぎつけた。東松苑ゴルフクラブは正会員849人・平日会員900人という盛況ぶりである。

現在、五浦庭園カントリークラブでは中島巌杯、東松苑ゴルフクラブではアンダーハンディ選手権中島巌杯がそれぞれ開催されている。

関連項目 編集

出典 編集

  1. ^ 『現代物故者事典 1994~1996』(日外アソシエーツ、1997年)p.403