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中島 秀信(なかしま ひでのぶ、1925年 - 2003年5月15日)は、日本演奏家[1]編曲家[2]作曲家[2]指揮者音楽教育者である。
山口県下関市出身。中国地方を中心に活動していた。

中島 秀信
中島秀信 の画像.jpg
【 2000年 】
基本情報
生誕  1925年
出生地 日本の旗 日本 山口県下関市
死没  2003年
死没地 日本の旗 日本 広島県広島市
ジャンル 合奏
職業  演奏家
 編曲家
 作曲家
 音楽教育者
担当楽器 弦楽器鍵盤楽器など
活動期間 昭和平成
著名使用楽器
 弦楽器
 鍵盤楽器

略歴編集

1925年(大正15年)、山口県下関市生まれ。妻は、中学校教諭の中島道子[3]

楽器店の勤務などを経て演奏家として活動した[2]。主な担当楽器は弦楽器、鍵盤楽器など。全日本弦楽器指導者協会に所属し、広島県支部の支部長も務めた。[4]

編曲家としては、多数の編曲を行った。編曲作品は、吹奏楽コンクール、音楽祭などの音楽行事で用いられ、没後も用いられている[5]

作曲活動も行い、小学校歌や幼稚園歌の作曲にも携わった。
1954年(昭和29年)4月に広島市立安小学校の校歌、[6]1957年(昭和32年)に山陽小野田市立出合小学校の校歌、1976年(昭和51年)9月に東広島市立東西条小学校の校歌を作曲した[7]。その他に幼稚園、保育園などの園歌の作曲や行事歌の作編曲を行った。

音楽教育においては、1976年(昭和51年)には、双三郡市町村合併により現在は三次市)の「親子音楽」を、青木妙子らとともに指導した記録がある[8][9]。 2000年には、広島市東区の福木児童館で開催された「昔からの伝承遊び」と名付けた音楽教室では、中島が25種類の竹製の楽器を持参し、音の出し方や作り方を児童に指導した[10]。広島市内の60歳以上の男女で構成される合奏団「ひろしまシルバーアンサンブル」のメンバーとしても活躍した[10]。「シルバーアンサンブルもみじ」の編曲者としても知られる[11]

2004年(平成16年)10月24日には、親子音楽30周年を記念して記念行事が行われたが、中島は2003年に死没していたため青木妙子のみ出席した。 全日本学校音楽教育研究会に講師として所属し、公教育における音楽科指導にも携わった。

2003年(平成15年)5月10日に死去(78歳)[2][11]。当時は安佐南区相田に居住していた[11][10]

掲載編集

  • 中国新聞(2000年、中国新聞社)
  • 『音楽年鑑』(1966年、音楽之友社)
  • 『よろこびをつくる』(1964年、ヤマハ)

脚注編集

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出典編集

  1. ^ 音楽之友社、音楽新聞社編 『音楽年鑑』 音楽之友社、1966年、17頁,18頁。 
  2. ^ a b c d 中島秀信公式サイトプロフィール(PROFILE)”. 中島秀信公式サイト. 2017年3月3日閲覧。
  3. ^ 中国新聞、, ed. (2005), 中国新聞 
  4. ^ 音楽之友社、音楽新聞社編 『音楽年鑑』 音楽之友社、1966年、17頁。 
  5. ^ ブンカッキーネットひろしま/イベント情報/(プログラム画像を参照)”. 広島県. 2017年3月6日閲覧。
  6. ^ 広島市立安小学校/学校概要/校歌”. 広島市 (2016年4月12日). 2017年3月6日閲覧。
  7. ^ 東広島市/東広島市立東西条小学校/本校のあゆみ”. 東広島市 (2016年12月1日). 2017年3月3日閲覧。
  8. ^ 親子音楽30周年記念ページ/親子音楽データ”. 徳市自治振興会. 2017年3月閲覧。
  9. ^ 親子音楽30周年記念ページ/親子音楽の歴史”. 徳市自治振興会. 2017年3月閲覧。
  10. ^ a b c いきいき伝承体験 昔の遊び お年寄りに教わった 東区で教室 中国新聞 2000年12月11日 中国夕刊 夕二 写有 (全292字)
  11. ^ a b c お悔やみ申し上げます 広島 中国新聞 2003年05月12日 中国朝刊 死亡 圏域総 (全1,012字)

参考文献編集

  • ヤマハ、『よろこびをつくる』1964年。

関連項目編集