中川 久徳(なかがわ ひさのり)は、江戸時代中期の豊後国岡藩の世嗣。官位は従五位下・内膳正。
8代藩主・中川久貞の次男として誕生。
兄・久賢が早世したため、岡藩嫡子となる。明和5年(1768年)徳川家治に拝謁し叙任するが、不行跡のため天明3年(1783年)に廃嫡された。
代わって、長男・久遠が嫡子となる。文化8年(1811年)、67歳で没した。