中川久成
中川 久成(なかがわ ひさなり)は、江戸時代末期の大名、明治時代の日本の政治家、華族(伯爵)。
中川久成 | |
時代 | 江戸時代後期 - 明治時代 |
生誕 | 嘉永3年8月4日(1850年9月9日) |
死没 | 明治30年(1897年)5月3日 |
官位 | 従五位下・内膳正 |
主君 | 明治天皇 |
藩 | 豊後岡藩主 |
氏族 | 中川氏 |
父母 | 父:中川久昭、母:不詳 |
兄弟 | 久成、(板倉)久知、武夫、稲葉正善正室、細川行真正室 |
妻 | 押小路実潔の娘 |
子 | 養子:久任 |
略歴
編集嘉永3年(1850年)8月4日、第12代藩主・中川久昭の長男として生まれる。明治2年(1869年)9月23日、父久昭の隠居により、家督を継いだ。同時に藩知事に就任した。明治4年(1871年)7月の廃藩置県で免官された。明治8年(1875年)7月、司法省に出仕する。明治9年(1876年)10月、退職する。
明治17年(1884年)に伯爵に叙された。明治23年(1890年)7月10日、貴族院議員に選ばれて、死亡するまで在職した。明治30年(1897年)5月3日、48歳で死去した。
栄典
編集家族
編集脚注
編集
日本の爵位 | ||
---|---|---|
先代 創設 |
伯爵 (岡)中川家初代 1884年 - 1897年 |
次代 中川久任 |