中川 秀恭(なかがわ ひでやす、1908年(明治41年)1月1日 - 2009年(平成21年)4月26日[1])は、日本哲学者文学博士Ph.D.イェール大学)。日本各地の大学学長理事長を歴任した。

中川 秀恭
人物情報
生誕 (1908-01-01) 1908年1月1日
日本の旗 日本島根県
死没 2009年4月26日(2009-04-26)(101歳)
出身校 立教大学東北帝国大学エール大学
学問
研究分野 哲学神学
研究機関 北海道大学北海道教育大学国際基督教大学
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経歴 編集

1908年、島根県西郷町(現 隠岐の島町)に生まれた。島根県立隠岐水産高等学校を卒業。高校卒業後、三等航海士として日本・リバプール間を行き来するが、牧師になろうと決心してして大学に入学する。立教大学哲学科で学び卒業。1938年東北帝国大学法文学部哲学科を卒業。エール大学大学院修了。

帰国後、母校の東北帝国大学法文学部助手に着任。1945年、同学部講師に昇進。1947年北海道大学法文学部助教授に就任。1953年、同大学文学部教授に昇進。1967年に北海道大学を定年退官し、名誉教授となった。退任後は北海道教育大学5代学長に就任。1971年、北海道教育大学を退任し、名誉教授となった。以降は国際基督教大学教授となり、1975年に国際基督教大学学長となった。しかし、1982年に被差別部落民に対する差別的発言の責任を問われ、翌1983年に国際基督教大学学長を辞任した。1986年から2000年まで、大妻女子大学大妻女子大学短期大学部学長。2003年まで学校法人大妻学院理事長。2009年に死去した。

研究内容・業績 編集

主著 編集

単著 編集

  • 『ハイデッガー研究』(小山書店、1943年)
  • 『ヘブル書研究』(創文社、1957年)
  • 『祈りと沈黙 : キリスト教論集』(創文社、1988年)
  • 『航海いまだ途上にあり : 行く手遥か』(文藝春秋、2005年)

共編 編集

訳書 編集

など

脚注 編集

  1. ^ 【印刷用】中川秀恭氏死去/元国際基督教大学長 | 全国ニュース | 四国新聞社”. www.shikoku-np.co.jp (2009年4月28日). 2021年12月9日閲覧。

参考文献 編集

先代
城戸幡太郎
北海道教育大学学長
第5代: 1967年 - 1971年
次代
舩山謙次
先代
篠遠喜人
国際基督教大学学長
第7代: 1975年 - 1983年
次代
篠遠喜人