中日本航空

日本の航空会社

中日本航空株式会社(なかにほんこうくう、英称:Nakanihon Air Service Co.,Ltd.)は、愛知県西春日井郡豊山町に本社を置く大手の産業航空会社。略称はNNK。

中日本航空株式会社
Nakanihon Air Service Co.,Ltd
種類 株式会社
略称 NNK
本社所在地 日本の旗 日本
480-0202
愛知県西春日井郡豊山町大字豊場字殿釜2番地
北緯35度15分2.5秒 東経136度55分18.4秒 / 北緯35.250694度 東経136.921778度 / 35.250694; 136.921778座標: 北緯35度15分2.5秒 東経136度55分18.4秒 / 北緯35.250694度 東経136.921778度 / 35.250694; 136.921778
設立 1953年(昭和28年)5月4日
業種 空運業
法人番号 3180001031924 ウィキデータを編集
事業内容 航空運送事業
航空機使用事業
小型航空機等の受託整備事業
調査測量事業
代表者 二神一(代表取締役社長)
資本金 1億2,000万円
純利益 12億7600万円
(2023年3月期)[1]
総資産 243億9000万円
(2023年3月期)[1]
支店舗数 31
主要株主 名古屋鉄道株式会社
株式会社中日新聞社
中部電力株式会社
ANAホールディングス株式会社
青山義光
外部リンク https://www.nnk.co.jp/
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中日本航空
Nakanihon Air Service
法人番号 3180001031924 ウィキデータを編集
設立 1953年5月4日
拠点空港 名古屋飛行場
保有機材数 67機
本拠地 愛知県西春日井郡豊山町
代表者 二神一(代表取締役社長)
外部リンク https://www.nnk.co.jp/
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本社を置いている県営名古屋空港を拠点に自社保有の飛行機ヘリコプターを日本全国で運航しており、航空事業・調査測量事業を手掛ける。名鉄グループ傘下。

概要 編集

 
中日本航空のAS 350

小型飛行機ヘリコプターなど70機を保有し、運送事業・使用事業として航空機を運航している。1984年に日本の事業会社として初めて救急医療専用ヘリコプターの運航を開始して以来ドクターヘリ運航のパイオニアである。2017年4月現在、ドクターヘリ運航箇所数は国内最多。また各県に配備されている防災ヘリコプターの運航や、機体搭載用の専用ストレッチャーを備えた小型固定翼機による患者輸送(メディカル・ウイング)、脳死ドナーから提供された移植用臓器の搬送など、EMS事業に積極的に参加している。このほか、テレビ局の報道取材ヘリの運航、遠隔地への物資輸送、旅客輸送、イベント輸送等を全国で行っている。

その他、航空機を使用した写真撮影やレーザー計測などの調査・測量事業なども手掛けている。

事業所ほか 編集

沿革 編集

第二次世界大戦後は日本において一切の航空事業が禁止されていた[注釈 1]が、サンフランシスコ平和条約が発効し航空事業が本格的に解禁された1952年以降、航空会社が次々と誕生した。

江南市で鉄工所を営んでいた青山利光(初代社長)は、太平洋戦争で生き残ったパイロット経験者を集め、セスナ式170B型を2機保有する会社を設立した。なお、設立当初の小牧飛行場(現・県営名古屋空港)は在日米軍の管理下にあったが、基地内に設けた仮テント式の基地からの出発となった。1960年3月に名古屋鉄道中日新聞社が資本参加したほか、1963年1月に全日本空輸(全日空)からDC-3型機2機を購入し、定期路線の運航を本格的に開始した。

しかし、東海道新幹線の開通による影響で名古屋 - 東京路線の運航が困難になったことから、定期路線の人員と機材を全日空へ譲渡し[注釈 2]、ヘリコプター部門に力を入れ始めた[2]。1964年にシコルスキー式S62A型によって北アルプス穂高岳山荘へ物資輸送を行なったのをきっかけに、ヘリコプターによる物資輸送の事業が本格的に始まった。1969年に航空による漁業パトロールがヘリコプターから小型飛行機に切り替わったのを機にこの分野にも関わり、1980年9月からセスナ式404型機を使用し、東北北海道の沖合1,000kmの東経155度線にまでにおよぶ取締りを行った。

マイカー時代の到来と共に各ラジオ局で始まった交通情報では空から各地の状況を即時に伝えるシステムが人気を博し、1970年から3年以上にわたって行われた。

1971年にアメリカからフェアチャイルドK-22を購入し、航空測量事業が本格化した。翌1972年にはスイス・ウイルド社の航測カメラRC-10を導入した。また、ジルコ社が開発した国産第1号の赤外線スキャナを利用して火力発電所の調査を行い、リモートセンシングの第一人者として温排水調査や地熱調査をしばらくの間独占した。

1984年(昭和54年)4月 - 日本の事業会社で初めて「ヘリコプター救急搬送業務」を開始した。現在のドクターヘリの基礎を築く。

1988年、地方都市間を結んでいる定期路線(コミューター路線)の全てを名古屋鉄道と全日空が共同で設立した新会社「中日本エアラインサービス」(後・エアーセントラル)へ移管し、定期路線からは撤退した。

2006年(平成18年)1月より本社第二格納庫の建設作業が行われ、9月より運用が開始された。

2010年(平成22年)12月 - 大学共同利用機関法人情報・システム研究機構国立極地研究所」の業務で、第52次南極地域観測隊へ、ヘリコプター・パイロット・整備士を派遣。南極大陸で物資・人員輸送を行った[3]

2015年(平成27年)4月 - 商品販売事業本部を名鉄協商株式会社へ譲渡した[4]

2015年(平成27年)6月 - 県営名古屋空港に飛来した「ソーラーインパルス2」の機体およびスタッフの日本滞在を24時間体制でサポートした[5]

2019年(令和元年) - 本社第一格納庫の建て替え工事が行われ、翌年2020年より運用が開始。

2023年4月(令和5年) - 3月31日をもって、ファーストエアートランスポート株式会社の保有する株式、運用する機体及び格納庫を買収した事を発表した。

機材 編集

運用中の機材 編集

現在使用(運航)中の航空機。EMS、旅客輸送(貸切)、報道取材、測量・空撮、貨物輸送、教育・訓練、遊覧、農林水産等に使用。

飛行機 編集

 
中日本航空の所有する Cessna C560

ヘリコプター 編集

かつて使用した機材 編集

現在は運航していないが、過去に使用したことのある航空機。

飛行機 編集

ヘリコプター 編集

委託運航 編集

消防防災ヘリコプター 編集

 
愛知県防災航空隊 Bell412EP

ドクターヘリ 編集

報道取材 編集

東京ヘリポート
長野ヘリポート
静岡ヘリポート
県営名古屋空港
八尾空港
広島ヘリポート

事故・インシデント 編集

関連会社 編集

関連項目 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 例外として、1951年10月に運航を開始した日本航空がある。※詳しくは、日本航空の歴史を参照。
  2. ^ ただ、名古屋 - 大阪線については、新幹線開業前から近鉄特急に利用者を奪われがちで搭乗率が芳しくなかったうえ、新幹線開業後はさらに利用客が激減して乗客が皆無に近くなったため、全日空に路線譲渡されることなくそのまま廃止となった。

出典 編集

  1. ^ a b 中日本航空株式会社 第71期決算公告
  2. ^ 第048回国会 運輸委員会航空に関する小委員会 第1号(衆議院会議録) - 国会会議録検索システム(2010年9月5日閲覧)
  3. ^ 南極での物資輸送
  4. ^ 商品販売事業の名鉄協商への譲渡について
  5. ^ ソーラーインパルス2の日本滞在をサポートしました
  6. ^ 日本テレビ放送網株式会社/中京テレビ放送株式会社とAW139発注趣意書を締結”. 三井物産エアロスペース (2016年10月19日). 2019年3月21日閲覧。
  7. ^ 日テレと中京テレビ、国際航空宇宙展でAW139発注 三井物産と趣意書締結”. FlyTeamニュース (2016年10月22日). 2019年3月21日閲覧。
  8. ^ “衝突事故で緊急対策”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 3. (2001年5月23日) 
  9. ^ “ヘリから砕石2・7トン落下…つり下げ飛行中”. 読売新聞. (2017年9月25日). https://web.archive.org/web/20170925083429/http://www.yomiuri.co.jp/national/20170925-OYT1T50011.html?from=ytop_main7 2017年9月25日閲覧。 
  10. ^ 団体概要 - NPO法人MESHサポート(2010年9月5日閲覧)
  11. ^ 中日本航空は沖縄民間救急ヘリMESHサポートを応援しています - 中日本航空(2010年6月8日付、同年9月5日閲覧)

外部リンク 編集