中本 伸一(なかもと しんいち、1958年1月17日 - )は、日本ゲームクリエイター北海道出身。北海道大学工学部中退。

略歴

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北海道札幌月寒高等学校から北海道大学に進学し、北大時代は青木由直教授に師事する。大学在学中からハドソンでアルバイトを始め、ゲーム開発に携わった[1]。このため資料によってはアルバイトを始めた1978年4月を入社時期としているものもある[2]

1980年に大学を中退してハドソンに正式に入社。卒業まで残り半年というタイミングだったことから、ハドソンの創業者である工藤裕司らからは「大学を卒業してから入社しても遅くない」と中退を思いとどまるよう説得されたものの、その説得に応じず半ば無理やりハドソンに入社してしまったというエピソードが残っている[3]。ちなみに当時の担当教官である青木教授は後に中本のことについて、「研究室にはほとんど顔を出さず単位不足で学部退学」と語っており、大学に残ったとしても留年がほぼ確実だった[4]

1986年には同社取締役、1999年には代表取締役副社長に就任した。日本初のパソコンゲームソフトの販売を行ったハドソンのソフト制作責任者として、数多くのソフト制作を手がけている。2006年に退社、同僚と一緒に機械モジュールの製造・販売を行うサイレントシステム[5]を設立し、現在の役職はエクゼクティブエンジニア[6]2008年にはスカイマークの社外監査役に就任したが[7]2015年に同社が経営破綻したことに伴い同年9月で退任している。

シリーズ第一作の開発を手掛けたことからボンバーマンの生みの親とされており[8]、PCエンジンのシリーズ作品の一部(『ボンバーマン』『'93』『'94』)では「ベーシック・ゲーム・デザイナー」ないし「オリジナル・ゲーム・デザイン」とクレジットされている。また『ボンバーマン』及び『プーヤン』(いずれもファミコン版)では隠れキャラクターとなっており、特に『ボンバーマン』では「登場させると一千万点」という破格の得点を得られる[9]

主な作品

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脚注

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外部リンク

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