中村時蔵 (3代目)
日本の歌舞伎役者
三代目 中村 時蔵(さんだいめ なかむら ときぞう、1895年(明治28年)6月6日 - 1959年(昭和34年)7月12日は、歌舞伎役者。屋号は播磨屋。定紋は揚羽蝶、替紋は蔓片喰。俳名に獅童。本名は小川 米吉郎(おがわ よねきちろう)。
さんだいめ なかむら ときぞう 三代目 中村 時蔵 | |
1947年 | |
屋号 | 播磨屋 |
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定紋 | 揚羽蝶 |
生年月日 | 1895年6月6日 |
没年月日 | 1959年7月12日(64歳没) |
本名 | 小川米吉郎 |
襲名歴 | 1. 二代目中村米吉 2. 三代目中村時蔵 |
俳名 | 獅童 |
出身地 | 大阪府大阪市 |
父 | 三代目中村歌六 |
母 | かめ(嘉女)芝居茶屋萬屋吉右衛門の娘 |
兄弟 | 初代中村吉右衛門 十七代目中村勘三郎 |
妻 | 小川ひな |
子 | 二代目中村歌昇(贈四代目中村歌六) 四代目中村時蔵 初代中村獅童 萬屋錦之介 中村嘉葎雄 |
当たり役 | |
『八重桐廓噺』(嫗山姥)の 八重桐 『艶姿女舞衣』「酒屋」のお園 『妹背山婦女庭訓』「吉野川」の定高、 『摂州合邦辻』の玉手御前 『恋女房染分手綱』(重の井子別れ)の 乳母重の井 『一谷嫩軍記』「熊谷陣屋」の相模 『明鳥六花曙』の浦里 『雪暮夜入谷畦道』(三千歳と直侍)の 三千歳 『花街模様薊色縫』(十六夜清心)の 十六夜 『処女翫浮名横櫛』(切られお富)の お富 『名月八幡祭』の芸者美代吉 | |
経歴
編集- 1903年(明治36年) 10月歌舞伎座で「寿靱猿」で五代目尾上菊五郎の猿曳きで、二代目中村米吉を名乗って初舞台。
- 1916年(大正5年) 4月市村座『八重桐廓噺・嫗山姥』の八重桐で三代目中村時蔵を襲名。以後兄の相方を多くつとめる。
- 1950年(昭和25年) 日本芸術院賞受賞[1]
- 1957年(昭和32年) 日本芸術院会員。
- 1959年(昭和34年) 初代中村錦之助主演、東映製作『お役者文七捕物暦 蜘蛛の巣屋敷』の劇中劇で『女暫』をつとめる。なお公開日が4月1日だったので、この映画が観客の目に触れた最後の仕事でもあった。
また、時蔵の東映映画出演は数本あり、この他に1955年『獅子丸一平』・『源義経』、1956年『羅生門の妖鬼』・『続源義経』・『悲恋 おかる勘平』・『曽我兄弟 富士の夜襲』など、いずれも四男・錦之助主演作品に特別出演したもの[2][3]。 - 1959年(昭和34年) 2月歌舞伎座『仮名手本忠臣蔵』の塩治判官、七段目のお軽、八段目の戸無瀬をつとめる。これが最後の舞台になった。
- 1959年(昭和34年) 7月12日死亡、満64歳。
当り役
編集時代物
- 『伽羅先代萩』の乳母政岡・弾正妹八汐
- 『一谷嫩軍記』「熊谷陣屋」の相模
- 『妹背山婦女庭訓』「吉野川」の太宰後室定高
- 『摂州合邦辻』の玉手御前
- 『恋女房染分手綱』(重の井子別れ)の乳母重の井
- 『女暫』の巴御前
- 『実録先代萩』の乳母浅岡
- 『八重桐廓噺 』(嘔山姥)の八重桐
世話女房
立役
世話物
- 『明鳥六花曙』の浦里
- 『雪暮夜入谷畦道』(三千歳と直侍)の三千歳
- 『花街模様薊色縫』(十六夜清心)の十六夜
- 『処女翫浮名横櫛』(切られお富)のお富
- 『夏姿女團七』などの幕末の悪婆物にもよい味を出した。
舞踊
- 『茨木』伯母真柴実は茨木童子
- 『戻橋』扇折小百合実は愛宕山の鬼女
- 『壽靱猿』女大名
古風な芸だったが、義太夫に精通し、潤いのある滋味を舞台に醸し出していた。
家族
編集脚注
編集外部リンク
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