メインメニューを開く

中村 治朗(なかむら じろう、1914年2月20日 - 1993年8月24日)は、日本裁判官。元最高裁判所判事。生涯独身であった。

人物編集

香川県出身。旧制第六高等学校を経て東京帝国大学法学部在学中に高等試験司法科合格。 1940年判事任官。最高裁判所調査官、最高裁判所民事局長兼行政局長、最高裁判所首席調査官など最高裁内部での勤務期間が長かった。英米法に対する造詣が深く、学者的裁判官といわれた。

1978年、高等裁判所長官や地方裁判所所長を経ず、東京高等裁判所部総括判事在職時に最高裁判所判事に任命された。もともと将来の最高裁判事候補の一人と目されてはいたが、高等裁判所長官も地方裁判所所長も経ずに最高裁判事に任命された事例は他にない大抜擢人事であった。なお、裁判官出身の最高裁判所判事で高等裁判所長官を経ずに任命された者は、中村以外では、最高裁判所事務総長から任命された千種秀夫、東京高等裁判所部総括判事から任命された岩田誠東京地方裁判所所長から任命された谷口正孝だけである。

1976年の衆議院議員定数不均衡訴訟(最大判昭51・4・14民集30-3-223)においては、行政事件訴訟法31条の事情判決の法理を活用した違憲宣言にとどめる判決の手法を、裏方役の最高裁首席調査官の立場から実質的に生み出した。 1981年大阪国際空港騒音公害訴訟の判決では夜間離着陸差し止めに反対する意見を残した。

1984年に最高裁判所判事を退官後、弁護士登録。

1993年8月24日、逝去。79歳没。