中村 藤兵衛(なかむら とうべえ、1882年明治15年)11月3日[1] - 1949年昭和24年)11月30日[2])は、日本の貴族院勅選議員太田市長

中村藤兵衛

経歴 編集

群馬県新田郡太田町(現在の太田市)に太田保次郎の長男として生まれ、中村勘蔵の婿養子となった[1]1910年(明治43年)、東京帝国大学法科大学英法科を卒業した[1]。翌年より会計検査院書記となり、同副検査官となった[3]1915年(大正4年)より衆議院書記官も兼任し[4]1923年大正12年)より衆議院書記官長を務めた[1]1930年(昭和5年)に退官した後は国政研究会を主宰した[5]1935年(昭和10年)より内閣調査局(のち企画庁)参与を務めた[3][5]

1946年(昭和21年)3月22日に貴族院議員に勅選され[6]、晩年には太田市長に選出された。

著書 編集

  • 『改正衆議院議員選挙法義解』(1920年、民友社

脚注 編集

  1. ^ a b c d 『大衆人事録』
  2. ^ 『議会制度七十年史 貴族院・参議院議員名鑑』
  3. ^ a b 『貴族院要覧』
  4. ^ 『衆議院要覧』
  5. ^ a b 『人事興信録』
  6. ^ 『官報』第5757号、昭和21年3月26日。

関連項目 編集

参考文献 編集

  • 『衆議院要覧(乙)昭和三年』衆議院事務局、1928年。 
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第11版(下)』人事興信所、1937年。 
  • 『貴族院要覧(丙) 昭和21年12月増訂』貴族院事務局、1946年。 
  • 衆議院参議院編『議会制度七十年史 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1960年。 
公職
先代
寺田栄
  衆議院書記官長
1923年 - 1930年
次代
田口弼一